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普通の医療ができることの幸せ

清水徹郎

南部徳洲会病院高気圧酸素治療部長
NPO TMAT 理事 清水 徹郎

いつか沖縄に住みたい・・そんな想いを抱き つつ50 歳をむかえ、今年やっと夢が叶いまし た。自分は北海道生まれの北海道育ちで、 1986 年に大学を卒業し、札幌の病院で臨床研 修をスタートしました。当時の研修システムは 大学医局に所属し、ストレート研修、専門医取 得が普通でしたが、当時としてはめずらしく、 自分の所属していた病院はローテート研修を行 っていました。卒後4 年目に愛知県がんセンタ ーで後期研修を終え、消化器外科医として20 代後半から40 代前半までを過ごしました。

1995 年、阪神淡路大震災がおこり、このと きに神戸徳洲会病院に派遣され、災害医療を初 体験しました。これを契機に翌年、ハワイの Queen’s medical が主催する災害医療セミナー に参加しました。これは米海軍やアメリカ連邦 危機管理局FEMA のバックアップの下に行わ れたかなり本格的なものでした。そして自分が 理事を務めるNPO TMAT の発足に至ったの です。TMAT はその後1999 年の台湾大震災、 スマトラ、ジャワ中部のインドネシアで相次い だ震災、近いところではハイチの震災における 災害医療活動を展開し、そして国内では中越や 今回の東日本大震災の活動に至ったわけです。

災害のみならず、2004 年には2 週間にわた ってアフリカ諸国、バングラデシュ、ミャンマ ー、カンボジアの医療視察のチャンスを与えら れました。

近年医療のグローバルスタンダード化が進ん でいます。各領域での診療ガイドラインも世界 のコンセンサスを意識しつつ作成されていま す。しかし、実際のところ世界中でこのスタン ダードに乗った医療の恩恵を受けられる患者さ んの数は限られていると言って良いでしょう。

震災の時、特に発展途上国での解放骨折の第 1 選択は創外固定です。ところがその後のメン テナンスが悪く、結局は感染を併発し、四肢の 切断を余儀なくされるケースが少なくありませ ん。災害以外の場面でも発展途上国では満足な 医療が受けられないことは、いちいちこの紙面 をお借りして述べる必要も無いでしょう。

自分にとって印象的であったのは、パリ・ダ カールラリーで有名なセネガルの国立病院で す。旧フランス統治下にあったセネガルには30 年前に寄贈されたコバルト照射装置がありまし た。セネガル国内はもとより、隣国からも患者 が殺到し、ボロボロのコバルト照射装置は一日 中フル稼働状態でした。ところが、その病院に はCT が無かったのです。照射野の設定や、治 療効果判定はどうやっていたのでしょう?

世界遺産アンコールワットのあるカンボジア のシェムリアップ市内には、日本人フォトグラ ファーが立ち上げたアンコール小児病院があり ます。世界中からボランティアスタッフが集ま り、かなり高度な医療を行っています。沖縄の 比ではない炎天下に朝から晩まで患児をつれた 母親が道ばたに長い長い行列を作っています。 残念ながら、この病院にもCT はありません。

救急車を呼んで、到着した救急隊が最初に患 者に尋ねる言葉が「あなたは保険に入っていま すか?」である国は先進国にも途上国にもあり ます。南アフリカのプライベートホスピタルの ICU は全員白人のGun shot の患者で埋まって います。一方保険に入っていなくても診療が受 けられるパブリックホスピタルの医療レベルは 本当に最低限です。

MSF(国境なき医師団)やAMDA への登録 を目指す研修医の先生もいらっしゃるでしょ う。アメリカの一流病院での留学を目指すのも 大変結構なことだと思います。自分は医療のグ ローバルスタンダードは二本立てで良いと思う のです。医療先進国で先端医療の技術を競い合 って作るものがあるのは当然ですが、世界中で 「最低限ここまでは・・」という担保があって も良いのではないでしょうか。

自分は医師になって25 年になりますが、偉 そうに言うと「時代は変わった」と思うので す。卒後1 年目の時に「アッペは外科医の手 (触診)で最終診断をするものだ。」と指導医に 言われました。ところが今やmulti detector CT で前額断画像を作って正確な画像診断を行 い、腹腔鏡下に虫垂切除を行うことは普通のこ とになっています。

今のレジデントの皆さんは「XX レジデント マニュアル」を沢山お持ちですね。自分もよく これらの本にはお世話になっています。そし て、問診、理学所見から的を絞って検査に回し て正確な診断治療を心がけるプロセスはもはや ルーチン化されていると言って良いでしょう。 でも考えてみてください。停電が起こって(台 風2 号の直撃の時の那覇市内がそうでした) CT が撮れない!検査装置が故障して生化学検 査が出ない!どうしますか?救急を断ります か?関東の計画停電の際に、多くの病院がこれ を理由にER のドアを閉めました。

医学の先達がそうであったように、聴診器一 本で肺炎を診断し、触診のみでアッペのオペに 踏み切ることを強いられている医師は世界中に たくさんいるのです。オペができれば幸いかもし れません。スマトラ大地震のとき、小児のヘル ニア嵌頓症例は「黒タッグ」がついていました。

最新の知識・技術を習得し、高度な医療機器 を駆使して、最大限の医療をなし、また病のみ でなくその患者の人生や家族まで思慮したうえ で診療に当たることは医師としての理想像であ り、自分もそうありたいと今はもっぱら救急医 として努力しています。でもその一方で「CT がないと何もできない医師」にだけはなりたく ないし、レジデントの先生にもそのことを機会 あるごとに伝えていきたいと思っています。

様々な書籍やインターネットから最新の知識 を得て、上級医のHands on training のもと、 CT、MRI、血管造影などを駆使して、研修・ 診療ができること・・これを当たり前のことと とらえるのではなく、偶然にもこの国に生まれ たために可能であると言うことを忘れずに研鑽 していただきたいと思います。