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臓器移植普及推進月間(10/1 〜 10/31)に寄せて

宮島隆浩

沖縄県移植コーディネーター 宮島 隆浩

宮城信雄会長をはじめ、会員の皆様におかれ ましては、臓器移植に対し、日頃から深い御理 解と御協力をいただき、厚くお礼申し上げます。

さて、毎年10 月は「臓器移植普及推進月間」 として、臓器移植の一層の定着・推進を図るた め、広く国民に対して臓器移植の現状を訴える とともに、移植医療に対する理解と協力のため 普及啓発を行っております。

今回は医師会報にてこのような機会を頂いた 事にお礼申し上げるとともに、お読みいただい ている皆様に少しでも役に立つ内容になればと 考えております。

臓器移植と言いますと標語「いのちへの優し さとおもいやり」とある通り、陰陽の陽の部分 ばかりが広報されますが、残念なことに陰の部 分もあります。

国内では2 例目となる臓器売買事件もありま した。

また、諸外国に目を向けますと死刑囚からの 臓器摘出や商業的な臓器売買の問題もあります。

このように書くととても普及推進月間には不 適当な内容に見えるかもしれません、しかし医 学・医療の中において血管吻合技術が確立され た事、免疫抑制薬の開発やその使用法が確立し た事がこの遠因であり、すでに臓器移植だけで なく生殖医療や終末期医療においても倫理問題 を抱えていると思います。

そしてこの流れは技術革新が起こるたびに発 生し、世界のグローバル化という現象から国内 問題では済まずあっという間に世界の問題とな ります。

世界には価値観だけでなく宗教や生活習慣な ど日本とは多くの異なる点、異なる国が存在す る事は説明の必要もありませんが、そのすべて が一つの生態系のように繋がっており、さらに 今後加速することと思われます。

その中で臓器移植をどのように捉えて関わっ ていけば良いのでしょうか

臓器移植には大きな2 面性が存在します、そ れはドナーであり、レシピエントです。

この2 面は臓器移植という言葉にも隠されて おり、ドナーは臓器提供、レシピエントは移植 医療この2 つのキーワードが合わさって初めて 臓器(提供)移植(医療)になるのです。

臓器移植が特徴的なのは医療者と患者だけで 完結していたこれまでの医療に比べて、提供臓 器が無いと治療を開始できないという点であ り、これはドナーが生体か死体かを問わず必須 です。この点が臓器移植の陰を生み出す根源か もしれません。

生体ドナーからの臓器提供ではドナーへの侵 襲は軽度から高度まであり、本来、緊急を要す る移植を除けば例外的な手術であるにも関わら ず、日本では生体ドナーからの移植がスタンダ ードになっている現状があり、医療としての問 題点があるだけでなく家族内の倫理的ジレンマを生むという社会問題、死体移植のような第三 者機関を通して匿名で行われる臓器提供に比し て個別の病院が警察のような捜査権も無い中で 行われる臓器提供は臓器売買の可能性を否定し きれないという問題もあります。

死体ドナーにおいても、脳死をどのように扱 うのか、臓器提供する、しないで人の死が変わ って良いのか、脳死などを扱う救急や集中治療 の現場で終末期医療を充分に行うにはどうした ら良いのか、その上で提供病院、提供家族、移 植病院、あっせん機関など全ての関係者が臓器 提供して(あるいは関わって)良かったと感じ る事ができるような臓器提供体制のあり方はな んなのか。

この中には法律や制度の問題もあり、また一 般県民の認知度不足は、普及啓発や教育の不足 に起因することもあります。しかし、これらの 問題は私たち医療従事者が改善する事は容易で は無く、そしてまた多くの人を動かす必要があ り、移植医療の原則として私が考える「人を変 えない」という点にも相反します。では私たち に何ができるのでしょうか。

私たちは今一度、死生観を見直してみること が必要ではないでしょうか、日常診療の中で当 たり前に生と死に直面しているとは言え、それ はあくまで3 人称(他人)の生死でしかなく、 深く考えるためには自分自身(1 人称)または 家族や大切な友人など(2 人称)の生死を考え なくてはならないと思います。

特に人は死をどのようにして受容するのだろ うか、というような医療者としての技術とはま ったく関係のない、一人の人間として個人的に 体感するような問題に対して、少なくとも自分ならこうだというような価値観の形成と、自分 とは違う感じ方、反応をする他者への理解を持 って終末期医療に関わる事が当たり前にあれば 大きく違うのではないかと考えております。

それは臓器移植に関する法律改正の多くの議 論の中でもドナー家族に対するケアが声高に登 場しましたが、これは何もドナー家族だけでは ないと思います。ドナー家族は臓器を提供する ことに悲しみや辛さを感じているのではなく、 大切な家族を失うというそのことに悲しみや辛 さを感じているのですから、これは移植コーデ ィネーターだけでは到底対応できない、このよ うな家族に関わる全ての人に求められる価値観 であり知識なのだと理解しています。

臓器提供という課題を考えるとき、宗教的な 点や考え方、教育の問題などに問題意識があり がちですが、あくまでそれは前段階の話であ り、臓器提供が発生するのは救急病院であり多 くはICU などの集中治療の現場です。

そこではなんとかして助けようという大変素 晴らしい医療が行われている一方でどうにも助 けられない人、そしてその家族に対する医療が まだ不十分な点もあるのではないか。そうであ れば医療に関わる我々が自らの努力で変える為 にこの点に注力する事がもっとも医療の発展に 貢献できるのではないでしょうか。

今回はよくある臓器移植推進とは違う切り口 から医療従事者だからこそ出来る、臓器提供と いう行為を負の側面として終わらせるのではな く、次につなげる一つの選択肢として、終末期 医療の一つと考え、臓器移植とのかかわりにつ いてお考え頂ければ幸いです。