沖縄県医師会 > 沖縄県医師会の活動 > 医師会報 > 5月号

MJO(medical jazz orchestra)の紹介

知花幹雄

おろくハートクリニック 知花 幹雄

MJO というユニークな面白いジャズバンド がある。その生い立ちから現在までの足跡を紹 介する。

このバンドが誕生したきっかけは、今から21 年前の1990 年の10 月に県立那覇病院の中で一 番忙しい集中治療室で、重症患者を診るために 泊り込んでいる二人の医師のある会話からはじ まった。脳外科の猪野屋博先生が心臓外科の私 に『先生、12 月の忘年会の余興で1 位になれば ラジカセがもらえるらしいよ。医局でバンドを 組んで出てみようよ。』と言った。私は冗談だ と思い、『いいね、できるといいね。』と答えた だけだった。ところが数日後に、猪野屋先生が 『知花先生、琉大産婦人科にドラムセットがあ って、今はメンバーもいなくてほこりをかぶっ ているというから、借りてきたよ。』とドラム セットをもってきたのを見て、『猪野屋先生、 本気だったの!』と私は驚き、早速メンバーを 探し回って9 人編成の『バンド』を発足して練 習を開始し、12 月14 日の忘年会でデビューし たのだった。まず、『ジングルベル』に始まり、 次いで『枯葉』を演奏、最後にワイルドワンズ の『思い出の渚』を歌うというトンチンカンな 構成であったが、多いに受け、1 位のラジカセ を手に入れることができた。職員からは『県立 那覇病院の文化レベルが一段と高いものになり ましたよ!』と絶賛され、院長から『研修棟の あいている部屋を部室にして使ってもいいです よ。』と病院の正式なクラブとして認めていた だいた。

メンバーにとっては、このバンドでの週1 回 の練習はいいストレス解消になり、忙しい日常 の仕事や術後管理の合間に息抜きのできる機会 を与えてくれるものであった。しばらくして、 『那覇病院でバンドをつくった』ということを 知った新田クリニックの新田武司先生が『是非 自分もメンバーに入れて欲しい。』と申し出、 新田先生が加わるようになった。新田先生は、 長崎大学入学後、医学部にジャズバンドを立ち 上げたが、医学部では物足りず、それを全学に 広げ、『長崎大学スウィングボートジャズオー ケストラ』を設立した先生である。その新田先 生が高校時代のバンド部の仲間で医療関係の仕 事をしている人たちに次々と連絡してくれて、 あっという間に20 人を超え、グレンミラー楽 団(17 人)よりも大きな、まさにビッグバンド ができあがったのだった。医療関係者だけでは なく、ジャズが大好きでメンバーに加わりたい という知人も加わってもらい、新田先生に『県 立那覇病院スウィングジャズオーケストラ』と いう名前を付けてもらった。とりあえず、グレ ンミラーとベニーグッドマンの音楽からやろう ということになり、まず『ムーンライトセレナ ーデ』から始まり、『真珠の首飾り』、『アメリ カン・パトロール』、『タキシード・ジャンクシ ョン』、『シング・シング・シング』など、昔懐 かしいビッグバンドの曲を次々とこなしてゆ き、『闘牛士のマンボ』、『エル・マンボ』、『マ ンボNo.5』、『マイアミビーチ・ルンバ』など のラテン曲や、『マイウェイ』、『シャレード』 などのポピュラーな曲も手がけ、現在レパート リーは200 曲を越えた。ドラムスの平安明先生 (平安病院理事長・沖縄県医師会理事)とベー スギターの仲吉博彦先生(小禄クリニック院 長)の二人がメンバーに加わってからは素晴ら しい演奏ができるようになった。途中、県立那覇病院のメンバーが転勤や開業などで減ってい ったため、バンドの名前はmedical jazz orchestra(MJO)と改名した。

県立那覇病院で誕生し、毎週木曜日の夜8 時 から10 時頃まで、それぞれ忙しい仕事が終わ ってから県立那覇病院の研修棟の部室に集ま り、これだけの演奏ができるようになったのは ジャズに対する情熱と、また演奏することによ って、それぞれのストレスが発散され、日常生 活がリフレッシュされる喜びを感じているから だと思う。しかし、県立那覇病院が新川に移転 して旧県立那覇病院が取り壊されてからはルー チンに練習する場所が無くなってしまった。そ の後は有料貸しスタジオなどを借りて、年1 回 のレギュラーコンサートをめどにして、メリハ リをつけて楽しみながら週1 回、演奏の練習を 続けていた。

そして一昨年、メンバーから『新聞に「県立 南部医療センター・こども医療センターが赤字 のため、独立行政法人になって県から離れるか もしれない。ついては、県立病院の赤字解消の ために一般から寄付金を募る」という記事がで ていたが、我々のバンドを生んでくれた病院の ために何かやるべきじゃないか?』という声が あがり、皆の賛同で、2009 年8 月2 日にパレッ ト市民劇場において『いつもありがとう!沖縄 県立南部医療センター・こども医療センター』 と銘打って、チャリティーコンサートを開催し た。会場へは沖縄県立南部医療センター・こど も医療センターの大久保和明院長ほか数名の先 生方を招待した。県立病院の赤字を懸念して少 しでも寄付できればと企画したチャリティーコ ンサートであったが、その1 カ月前の新聞に 「2008 年度の県立病院の決算は19 年ぶりに現 金ベースの損益で約3 億円を超える黒字になっ た。そして、最大の問題となっていた不良債務 (累積38 億円)は公立病院特例債の活用などで ゼロになった。」という記事が出た。頑張った 県立病院をまさに天が助けて下さった出来事だ った。そのことを満席の403 名の観客に報告し たところ、県立病院のために尽力されておられ る大久保院長ほか県立病院の先生方へ盛大な温 かい拍手が送られた。金額は10 万円であった が、それ以上の勇気と感動を県立病院と観客へ 与えられたと思う。

そして、去年11 月7 日には、自殺防止のた めに尽力されている社団法人『沖縄いのちの電 話』を支援することと『MJO 創立20 周年記 念』をかねて、那覇市民会館大ホールにおい て、スペシャルゲストの平・ゆきさんにウチナ ーラテン音楽も唄ってもらい、盛大なチャリテ ィーコンサートを開催した。チケットは前売り で1,200 枚以上売れ、大雨であったにもかかわ らず、928 名の方がご来場くださり、お蔭さま で『沖縄いのちの電話』へ20 万円の寄付金を 贈呈することができた。

今後も沖縄県のため、チャリティーコンサー トは続けたいと思っていますので、皆様の温か い御声援と御指導・御鞭撻をよろしくお願いい たします。

平成22 年11 月7 日(チャリティーコンサート:那覇市民会館大ホール)

新田武司先生(新田クリニック):テナーサックス

知花幹雄先生(おろくハートクリニック):ピアノ

中里和正先生(ウィメンズクリニック):アルトサックス

仲吉博彦先生(小禄クリニック):ベースギター

新里仁哲先生(大浜第一病院):トロンボーン

平安 明先生(平安病院):ドラムス

波平智雄先生(平安病院):ギター