沖縄県立八重山病院附属波照間診療所
藤原 昌平
有人島としては日本最南端の島にある唯一の 医療機関、それが私の勤務している診療所で す。この度若手コーナーへの投稿という貴重な 機会を戴き、沖縄の離島医療の魅力を少しでも 皆様にお伝えしたく筆を執らせて頂きました。
3 年間の研修を終え私が赴任したのは県立八 重山病院附属波照間診療所でした。波照間島は 那覇より南西に400km に位置する石垣島から さらに南西63km に位置しています。人口約 550 人で就労人口の半数が農業に従事し、主な 農作物はサトウキビ。そんな島にたった一人の 医師、それが私の仕事です。赴任してまず心懸 けた事は「とにかく診療所の外に出て島を知 る」事でした。研修医時代に「ベッドサイドに 足を運べ」と教えられたのを島でも実践しよう と試みました。一年程積極的に地域に飛び出し て生活しているうちに、様々な事が見えてきま した。
患者宅に訪ねていくと、診療所では分からな い発見をすることが有ります。こんな経験が有 りました。患者さんに便の色について訪ねても 「普通の便だよ」との回答。でも実際は黒色便。 後日青年会の活動でハエ防除作業(各家のトイ レに殺虫剤を撒く)を行った時に原因が判明し ました。当時はまだ汲み取り式(所謂「ぼっと ん」)が多かったのです。殆どのトイレが母屋 と離れており、電灯は薄暗く、これでは便の色 が分かりません。「百聞は一見に如かず」とは こんな時にも引用できるのでしょうか。
診療所医師の大切な業務として専門医との連 携があります。アクセスが悪いので専門医受診 が容易ではなく紹介のタイミングも簡単には決 められません。付き添いの家族の都合・宿泊先 の有無・時には港から病院までの介護タクシー の手配など疾患以外の様々な事情のバランスを 図りながら、最も患者さんに利益のあるタイミ ングを選ぶのも重要な仕事です。そういう意味 では利用者のために最良の介護サービスを様々 な職種と連携してマネージメントするケアマネ (介護支援専門員)と診療所医師の仕事は似て いると感じています。この際に重要な情報であ る患者さんの様々な背景を発見する機会は診療 所の中ではなくその生活の場に殆どあります。 そんな生活の場で一緒に生活している事は診療 所医師にとって大きな武器になっています。
家族へのアプローチが容易なことも大きな武 器の一つです。生活習慣病ではその生活習慣 の指導が重要ですが、概して男性の行動を変容 する事は困難です。しかし飲食店の少ない島で は家庭での食事を改善できれば効果的です。そ こで同じように通院して来る奥さんの診療時に 情報提供をすると簡単に食生活を改善出来る ことがあります。いちいち呼び出す手間が無い のです。
他にもこの武器が役に立つ場面があります。 在宅でターミナル・ケアをする時など、資源の 乏しい離島では介護者である家族の負担が大き くなります。しかし在宅の現場では本人や他の 家族を目の前にしてそうした苦労を口に出来ま せん。離島ではこの介護者も同じ医師の元へ通 院しているため定期受診という名目で一時でも 介護から離れて貰い普段口に出来ない苦労を聴 き取り心のケアをするようにしています。
島民の教育を行う事も重要な仕事の一つで す。狭い環境では効果が目に見え易くやりがい を感じます。離島診療所では24 時間医師一人 で対応するため時間外受診は大きな負担になり ます。やはり島でも小児の受診が大きな割合を 占めています。パンフレットを渡し自宅で読ん で貰ったり保健師さんと協力して若いお母さん の勉強会をしたりしているうちにかなり時間外 受診は減りました。
最も教育の効果を実感したのは新型インフル エンザの時でした。昨年度の流行時は島民みん なが過敏になっていました。そこで疾患の知識 や受診のタイミングを説明したプリントを学校 を通して保護者に配って貰い正しい知識を持っ て貰うよう努めました。実際に小児を中心にか なり流行したのですが発熱のみを主訴に夜間受 診することは一件もありませんでした。そして この効果は現在も続いており気付いたら時間外 診療の件数は半分以下になっていました。
4 年の勤務の中で島の医療体制の向上も重要 な仕事だと感じるようになりました。実際に働 いて危機管理という概念が著しく欠如している と感じました。現実的に問題となったのがやは り新型インフルエンザ流行時でした。発熱した 客を何も言わずに診療所において帰る観光業 者。お客さんが発症したら宿から出て貰い後は 診療所に任せるという業者もいました。このま までは流行時に診療所の機能が麻痺すると考え 観光協会に呼びかけ話し合いを行いました。そ ういった中で「事前に診療所に連絡し指示を仰 いでから受診」「幾つかの空き屋を観光協会で 管理し観光客が発症しても食・住は確保して隔 離する」などの対策が取られました。また施設 が狭く外来が区別できないため、公民館の施設 を個人的に貸して貰い発熱患者は別に診療する 体制を取りました。これにより通常の診療所の 機能を維持しながら発熱外来の設置が可能とな ったのです。
しかし問題だったのが上記の取り決めに一切 自治体が関わろうとしなかった事でした。波照 間島が有る竹富町は幾つかの島を抱えており役 場が町内では無く石垣島に有るためか、現場で 話し合いを持つことを再三要請しても足を運ん でくれませんでした。私個人が作ったシステム ではやはり継続性に乏しく、行政を巻き込むこ とが今後安定した医療体制に繋がると考え、赴 任して一年経った頃から役場に医療に関する協 議の場を作るようにあの手この手で要請し続け ました。そして漸く今年度から開催されまし た。依然遅々として話が進まないのですが、少 なくとも土台は作れたと思っています。
このように島では様々なアプローチで目の前 にいる患者さんを診る事が出来、そしてその結 果が見え易く、医師本来のあり方を思い出させ てくれる理想的な環境だと思います。逆にそれ が辛い時も有りますが。「人を診て、家族を診 て、住民を診て、地域を診る」4 年が経った今、 敢えて一文で表すならこれが島医者の醍醐味で あり理想だと思います。もちろん出来ているわ けでは無くそうなれるよう努力している最中な のですが。
最後に、もし離島医療に興味を持って頂けたら 私達離島診療所医師が執筆しているブログ「離島 医師達のゆいまーる日記」(日経メディカルオン ラインで連載: http://medical.nikkeibp.co.jp/) も読んで頂ければ今回伝えきれなかった苦労や喜 びを知って頂けると思います。