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平良賀計先生沖縄県功労章受章
金城幸善先生日本医師会最高優功賞受賞祝賀会
平安常良先生瑞宝小綬章受章

稲田隆司

常任理事 稲田 隆司

左より金城幸善先生と準子夫人、平良賀計先生と正子夫人、平安常良先生と哲子夫人

この度の平良賀計先生沖縄県功労章受章、金 城幸善先生日本医師会最高優功賞受賞、平安 常良先生瑞宝小綬章受章を心よりお祝い申し上 げます。先生方の受賞を称えた祝賀会が平成 22 年11 月30 日(火)沖縄ハーバービューホテ ルクラウンプラザにて行われました。多くの会 員や病院関係者がご出席され慶びを共にされま した。

はじめに主催者を代表して宮城会長より本県 の保健、医療活動を通し県民生活の向上発展に 多大な貢献をされた先生方の永年の御労苦に対 し、尊敬と感謝の言葉が述べられると共に、県 民が希求する安心、安全な医療の提供のため、 引き続きのご指導を賜りたい旨の挨拶がありま した、続いて真栄田篤彦那覇市医師会長、名嘉 勝男南部地区医師会長、山内英樹浦添市医師 会長により先生方のご功績が紹介された後、来 賓を代表して奥村啓子沖縄県福祉保健部長(宮 里達也保健衛生統括監代読)より先生方に対し ご祝辞が述べられました。

その後、記念品、花束贈呈が行われ、先生方 よりお礼のご挨拶が述べられ、新垣善一代議員 会議長の乾杯の後、懇親へと移りました。

和気あいあいと先生方への敬意に満ちた祝賀 会でした。

なお、先生方のご業績と謝辞を以下のとおり 掲載いたします。

挨 拶

宮城信雄沖縄県医師会長
宮城信雄沖縄県医師会長

本日ここに、平良賀 計先生沖縄県功労章受 章・金城幸善先生日本 医師会最高優功賞受 賞・平安常良先生瑞宝 小綬章受章祝賀会を開 催いたしましたところ、 多くの方々にご参加賜りまして、厚く御礼申し 上げます。

先生方のご業績は後程詳しくご披露されます が、平良賀計先生並びに平安常良先生は長年に 亘り本県の精神医療の推進に大きく貢献された ご功績により、また、金城幸善先生は長年にわ たり公衆衛生事業の発展に貢献されたご功績に より、各々栄誉ある賞を受賞されております。

本県の医療の歴史を振り返って見たとき、先 生方がこれまで果たしてきた役割はいかに大き なものであったかを改めて認識するものであり ます。

ここに、先生方の永年のご労苦に対し沖縄県 医師会を代表して深甚なる敬意と謝意を表する 次第であります。

さて、去る28 日(日)沖縄県知事選挙が行 われ、沖縄県医師会をあげて応援した仲井眞弘 多氏が見事再選を果たしました。

会員の皆様には絶大なるご支援とご協力を 賜り、改めてこの場をお借りして感謝申し上げ ます。

仲井眞知事は、政策目標に「保健医療の充 実」と「健康福祉社会の実現」を掲げるなど、 保健・医療・福祉への理解を示しており、県民 の健康の一翼を担う保健医療関係者として誠に 心強い限りであります。本会といたしまして も、仲井眞県政とより緊密なる連携を図り、沖 縄県の「健康・福祉社会」の実現に向け取り組 んでいく所存でありますので、会員の皆様には 引き続きご理解とご協力を賜りますようお願い 申し上げます。

一方、中央情勢に目を向けてみると、菅首相 は所信表明において国民の社会保障の充実に取 り組むと明言しておりましたが、現在にいたる まで何の進展も見せておらず、そればかりかマ ニフェストに掲げた公約の多くが実行されてお りません。

今日に至るまで私共の諸先輩方が、長年にわ たって築いてこられた地域医療が崩壊の危機に 瀕しています。

我々後進は一丸となって医療行政の進むべき 道を正し、地域医療再生のために全力で取り組 むことを固く決意するものであります。

かかる状況の中で、平良先生、金城先生、平 安先生におかれましては、何卒今後ともその卓 越したご見識によるご指導、ご助言を賜り、県 民が希求する安心・安全な医療の構築にお力添 え下さいますようお願い申し上げる次第であり ます。

終わりに臨み、永年に亘って先生方を支えて こられたご家族の皆様に深甚なる敬意を表する と共に、皆様の今後ますますのご健勝とご多幸 を祈念いたしまして、ご挨拶といたします。

業績紹介

真栄田篤彦那覇市医師会長
真栄田篤彦那覇市医師会長

平良賀計先生沖縄県 功労章受章に際し、主 なご功績を簡単にご紹 介させていただきます。

平良先生は、昭和19 年9 月台北帝大医学専 門部をご卒業後、慶応 大学医学部精神科並びに埼玉県浦和保養院に勤 務される傍ら、慶応義塾大学において学位を取 得されております。

その後、劣悪な衛生環境や不十分な医療環境 におかれた郷土沖縄の将来を憂いた先生は昭和 33 年に帰郷し、那覇市久茂地に中央神経科医 院を開設され、翌34 年には天久台精神科医院 を開設されております。その後昭和43 年には 天久台病院を開設され、以来長年にわたって沖 縄精神科医療の草分け的存在として、精神障がい者の診療並びに社会復帰の促進に尽力され、 本県の精神衛生事業の発展に大きく貢献されて おります。

先生は、沖縄本島のみならず、宮古、八重山 等離島各地の無料巡回相談・診療を行い精神衛 生の啓発普及に貢献されると共に、精神科医療 設備の整備、医師及び看護師の養成にもご尽力 されました。

また、沖縄県精神病院協会の設立並びに日本 精神病院協会沖縄支部結成に尽力され、昭和 52 年4 月から2 期4 年にわたって沖縄県精神病 院協会長、日本精神病院協会沖縄県支部長を務 められ、多年に亘りその幅広い活躍を通して沖 縄県における精神衛生事業の推進、精神科医療 の技術向上に貢献されております。

さらには、精神衛生審議会委員をはじめ、精 神衛生鑑定医、沖縄県麻薬取締審査委員会会 長、家庭裁判所調停委員・同参与等の公的機関 の委員を務められ、本県の精神衛生行政にも大 きく貢献されております。

また、平良先生は文学にも造詣が深く、沖縄 県現代俳句協会の会長としても指導的活躍をさ れております。

以上のような数々のご功績が認められ、この 度沖縄県功労章を受章されました。

平良先生におかれましては、今後も益々ご健 勝でご活躍されんことを祈念いたしまして、簡 単ではございますが業績紹介とさせていただき ます。

この度のご受章、誠におめでとうございます。

名嘉勝男南部地区医師会長
名嘉勝男南部地区医師会長

金城幸善先生日本医 師会最高優功賞受賞に 際し、主なご功績を簡 単にご紹介させていた だきます。

先生は、昭和33 年3 月、札幌医科大学医学 部をご卒業後、同大学内科学教室の助手を務め られた後、昭和40 年から平成8 年までの31 年間 の長きに亘り琉球政府立名護病院院長、沖縄県 立南部病院初代院長、そして沖縄県立那覇病院 院長と、各県立病院の院長の要職を歴任し、地 域の中核病院として、また、救急医療、離島・僻 地、高度・特殊医療等の政策医療を確保し、県 民の保健・福祉の向上、発展に貢献されました。

名護病院長に就任された昭和41 年当時、沖 縄は極端な医師不足に加え、特に北部地区にお いては、医療基盤は脆弱で困難を極めておりま した。そのような中、施設の整備と医療内容の 充実を図り、当時40 床規模であった施設を昭 和50 年には300 床、昭和53 年には医師数23 名となり、更に昭和55 年には総合病院へと発 展させております。

さらに、離島診療所の派遣医師の確保が困難 な状況から、韓国に渡って数名の韓国人医師を 離島診療所に招くなど、離島医療の確保にも精 力を注がれました。

昭和56 年には環境保健部次長として南部病 院開設に携わり、翌57 年度には初代院長とし て就任されましたが、ここでも医師確保に難渋 を極め、その確保のため北は北海道まで医師派 遣の要請に奔走されました。

平成2 年には那覇病院院長に就任され、皮膚 科、心臓血管外科を新たに開設し、診療体制の 更なる充実を図ると共に、離島からの救急ヘリ 搬送のシステム作りにも積極的に取り組まれ、 更には、救急救命士による心電図伝送訓練にも 多大な貢献をされております。

県を退官された後は、平成13 年に財団法人 沖縄県総合保健協会の理事長に就任され、離島 を含む県下全域の地域、学校、職域の健診およ び人間ドック等を実施し、疾病の早期発見と早 期治療により予防医療事業の推進に活躍されて おります。

また、平成16 年5 月には県内の行政機関、 学校、企業、保健医療関係者で構成する沖縄県 禁煙協議会の設立に尽力し、禁煙についての啓 発、支援活動を行い、那覇市の路上喫煙防止条 例の制定や県内タクシー全面禁煙化の実施にも 貢献しております。

以上のような数々のご功績が認められ、この 度日本医師会最高優功賞を受賞されました。

金城先生におかれましては、今後も益々ご健 勝でご活躍されんことを祈念いたしまして、簡 単ではございますが業績紹介とさせていただき ます。

この度のご受賞、誠におめでとうございます。

山内英樹浦添市医師会長
山内英樹浦添市医師会長

平安常良先生瑞宝小 綬章受章に際し、主な ご功績を簡単にご紹介 させていただきます。

平安先生は、昭和34 年3 月長崎大学医学部 を卒業後、昭和38 年6 月平安医院を開業されました。

その後、昭和46 年3 月、平安先生のご令兄 が急逝されたことから、その志を受け継ぎ平安 病院病院長に就任されております。以来平成 17 年12 月までの34 年間にわたり、本県におけ る精神科医療及び精神科障がい者福祉並びに、 精神保健の向上に多大な貢献をされました。

平安病院長ご就任後は、当時の本県の精神医 療状況に強く不安を抱かれ、先ず30 床からは じまった病院事業を充実・拡張され、昭和58 年には新館を建設されております。現在は393 床と拡大、充実され、その間、精神科デイケア の開始や精神科作業療法並びに理学療法などの 事業に積極的に取り組むとともに、生活訓練施 設の併設などにより、精神障害者の治療のみな らず社会復帰までも包括する精神科医療の中核 病院として発展させてこられました。

また、所属されている浦添市医師会は平成4 年4 月に設立されましたが、平安先生は初代会 長に就任され、以来5 期10 年間にわたって会 長として浦添市医師会の基礎を築きあげており ます。その間、糖尿病連携事業や病診連携事業 の推進をはじめとして、浦添市との緊密な連携 のもと、市民公開講座、3 キロ減量市民大運動、 予防接種健診事業に取り組んでこられました。

現在、浦添市医師会は会員数、施設数共に設 立当初の3 倍近い数を数えるまでに発展してお り、その礎を築いてこられた平安先生のご功績 は誠に大なるものがあります。

また、先生は数々の行政機関や精神保健関係 の委員を歴任され、沖縄県社会保険診療報酬請 求書審査委員として26 年もの永きに亘り大き く貢献されております。更に、日本精神病院協 会沖縄県支部長就任をはじめ、沖縄県精神病院 協会会長、九州精神病院協会理事、九州精神神 経学会評議員、沖縄県精神保健協会評議員、沖 縄県地方精神保健審議会委員、沖縄県医療審 議会委員等、精神保健行政の推進に多大な貢献 をされております。

以上のような数々のご功績が認められ、この 度瑞宝小綬章を受章されました。

数々のご功績がありますが我々が何よりも強 調したいのは、先生のお人柄であります。

非常に誠実、篤実で大変穏やかな方で、我々 のリーダーとして公私ともにご指導を頂いてお ります。現在も平安病院名誉院長としてご活躍 中でありますが、今後ともの益々ご健勝でご活 躍されんことを祈念いたしまして、業績紹介と させていただきます。

この度のご受章、誠におめでとうございます。

祝 辞

奥村啓子沖縄県福祉保健部長
(代読:宮里達也保健衛生統括監)
宮里達也保健衛生統括監

平良賀計先生の沖縄 県功労章受章、金城幸 善先生の日本医師会最 高優功賞受賞、平安常 良先生の瑞宝小綬章の 受章祝賀会が開催され るにあたり、ごあいさ つを申し上げます。

平良先生、金城先生、平安先生、この度の栄 えある受章、誠におめでとうございます。心よ りお祝いを申し上げます。

平良先生におかれましては、帰郷後、昭和33 年12 月に中央精神科医院を開設し院長に就 任、翌年12 月に現在の天久台病院を開設し院 長に就任後、今日に至るまで沖縄県の精神薄弱 児教育福祉対策の基盤整備と発展向上に取り組 まれたほか、精神衛生事業に尽くされた功績、 沖縄県精神病院協会長として重責を遂行された 功績など、精神科医療の技術向上、沖縄県の精 神衛生事業の進展等に大きく貢献されました。

金城先生におかれましては、昭和41 年6 月に 琉球政府立名護病院院長をはじめ、沖縄県立南 部病院長、県立那覇病院長を歴任され、沖縄県 民の保健・福祉の向上、発展に貢献されました。 また、平成13 年10 月から財団法人沖縄県総合 保健協会理事長に就任され、沖縄県民の予防医 療及び健康保持増進に大きく貢献されました。

平安先生におかれましては、昭和46 年に平安 病院院長に就任後、今日まで沖縄県における精 神科医療及び精神障害者の治療、障害者の福祉 向上、精神保健の向上に大きく貢献されました。

また、初代浦添市医師会長、日本精神病院協会 沖縄県支部長、沖縄県精神病院協会長などを歴任 し、精神保健の推進に大きく貢献されました。

平良先生、金城先生、平安先生の長年にわた る医療、保健、福祉の向上に対する多大な貢献 に対し深く敬意を表しますとともに心から感謝 申し上げます。

沖縄県におきましては、今後とも患者の視点 に立った医療の確保や予防対策の推進並びに地 域医療の質の向上と切れ目ない医療提供体制の 整備に取り組み、総合的な保健医療体制の確立 に努めていきたいと考えております。

宮城会長をはじめ、沖縄県医師会の皆様には、なお一層の御支援、御協力をよろしくお願 い申し上げます。

結びに、平良先生、金城先生、平安先生の今 後ますますの御健勝と御活躍並びに会場の皆様 の御健勝と沖縄県医師会の御発展を祈念申し上 げまして、お祝いの言葉といたします。

平良賀計先生謝辞(代読 平良直樹先生)
平良賀計先生

私は台湾の台北帝大医学専門部を卒業いたしま した。それも戦争のため繰り上げ卒業という形で すぐに徴兵され、そのまま戦地に赴きました。

部隊長の命令で数人で斥候に出されました が、帰ってみると部隊は全滅状態でした。何故 私が生き残り戦友は死んでいったのか、今でも 理解できない運命のいたずらでした。終戦後 は、宮古島で主に外科系の医療を中心に行っ ていました。昭和23 年に結婚し、24 年には長 女が生まれ、26 年に妻娘を連れて宮古島を離 れ上京しました。そこで大森赤十字病院整形 外科に勤務し、何の計画性もなく給料の高い 病院へと転々とし、明日の食い扶持ぶちの保証も なく、家庭を顧みず妻には本当に苦労をかけたと思います。

その後、色々な人との出会いがあり、慶應の 精神科医局に入局し本格的に精神科医として歩 むことになりました。元来、音楽や芸術に関心 があり心理学や精神科にも魅力を感じていまし た。医局には北杜夫や、なだいなだという後の 有名な小説家も在籍しており、私の文学心も大 いに刺激されました。学術面でも著名な先生方 の薫陶(くんとう)を受け博士号もとることが でき人生の大きな転換期となりました。

昭和33 年に沖縄に帰り、病院センター通り と呼ばれる開業医の集中した美栄橋に中央神経 科という名称で診療所を開設いたしました。開 業にあたり那覇市医師会の先生方には大変お世 話になりました。

翌昭和34 年に現在の天久の土地を購入し、 天久台病院の前身である天久台精神科を開設い たしました際にも、諸先生方には多くの面でご 高配いただき感謝の念に絶えません。その後、 障がい児教育や司法精神医学などに関わって参 りましたが、今回の受章も医師会の先生方のお 支えがあってこそだと深く感謝申し上げます。 今では後期高齢者を過ぎ末期高齢者となる身で すが、諸先生方にはこれからも変わらぬご指 導、ご鞭燵、ご支援をお願い申し上げ御礼のご 挨拶とさせていただきます。本日は、誠にあり がとうございました。

平良賀計先生、正子夫人と会員の方々

平安常良先生、哲子夫人と会員の方々

金城幸善先生と会員の方々

金城幸善先生謝辞
金城幸善先生

本日は私達のために、かくも盛大に祝賀会を 催して戴き感謝にたえません。去った8 月に日 本医師会から最高優功賞受賞の通知を受けた時 本当にびっくり致しました。本来この賞は医師 会活動に貢献された方々が受賞されるものだと ばかり理解していました。受賞理由として「地 域医療提供体制の確保と保健活動に努められ た」となっておりました。

公費留学生はインターン修了後直ちに帰省し て公的医療機関に勤務することが義務づけられ ておりました。私達の頃に大学院更に大学の教 職に就けば義務延期が認められました。医師と して或る程度技術を身につけるまで修練を積む 必要性を痛感していましたので、6 ヶ年間大学 に残ることになりました。

昭和40 年に帰省しましたが、当時の公務員 医師数は90 名程度で数年間殆ど増減がなく平 均勤続年数は4 ヶ年程度でした。中部病院、那 覇病院でも定数は12 〜 13 名程度でその他の施 設は数名程度でした。私は名護病院勤務を命ぜ られましたが、病院病床は結核20、一般病床 20 床で医師定数は2 名でした。

しかも私が配置されたのは、前任の外科医が 開業に転じたため員数合わせとして配置された ようなもので、2 名共内科医でした。その翌年 院長が開業することになり必然的に私が院長に 就任することになりました。その年突然米民政 府は300 床規模の病院建設を着手しました。規 模は示されたもののマスタープランもなく、し かも保健所裏の空き地を利用することとなり、単年度毎の予算執行となりました。先ずは管理 棟の建築に着手し、すべての病床が完成し各種 専門医の確保及び機器整備が備わり総合病院と しての業務展開が可能になるまでに開始から大 凡15 ヶ年間要したことになります。

復帰後県は各地域の医療の充実を図るべく、 医療圏域を設定し、県立の中核病院を作ること になり、南部地域に南部病院を設置することに なりました。当時私は名護病院での役割を一応 果たしたものと考え、異動を希望し、南部病院 運営に参画することになりました。開設は昭和 57 年でしたが、300 床規模の病棟は完成してい ましたが医師及び看護要員の確保が困難で内 科、外科、小児科の3 科150 床でスタートする ことに致しました。

ここでも各科専門医の確保が県内では充足出 来ず、本土の各大学や公立病院からの応援を得 て5 ヶ年後には9 科30 名の医師を確保し、総合 病院として活動することができました。尚南部 病院では入院患者の診療に留まらず、院内外の コミュニティー活動にも取り組みました。院外 活動として年1 回南部地域の各市町村を巡回 し、日曜日に病院各科を総動員して無料健診、 健康相談及び健康教育を職員も無料奉仕で実施 いたしました。これは通常の平日の健診には受 診する機会の少ない勤労中年層を対象とし、実 際実施してみますと受診者の大半はその年齢層 でした。さらにこの活動は住民に疾病予防の重 要性を認識してもらうこともねらいとしました。

南部病院の更なる充実発展に取り組もうした 矢先、那覇病院長の山内先生の退任によりその 後任として赴任することになりました。以上の ように私は公務員医師として上司の命を受け、 北部及び南部地域の病院の基礎づくりに参画し て参りました。今回の受賞もその活動に対して 与えられたものだとしますとこれは私一人が受 けるべきものではなく、共に苦労した全職員へ の賞として有難く拝受することにいたしたいと 考えます。

現在私は健診機関の一つである総合保健協会 に勤務しており、健診を通して生活習慣病対策 のあり方について一次予防の重要性を痛感して おります。当協会に勤務した頃、たまたま我が 国のアンチエイジング研究会が発足し、その後 アンチエイジング学会に発展、本年10 回目の 学会が開催されました。学会ではアンチエイジ ング医療の健全な普及発展のため専門施設認定 を平成18 年に実施致しました。幸い当協会も 最初の認定施設の10 カ所の一つに認められま した。目下内容の充実に取り組んでいます。当 県の長寿復活の一助となるべくアンチエイジン グ医療の普及に努めたいと考えています。今回 の受賞に際しましては多くの先生方から沢山の ご祝意を戴き心から感謝申し上げます。

平安常良先生謝辞
平安常良先生

本日は、平素より私が尊敬しております大先 輩の平良賀計先生、金城幸善先生と共にお祝を して頂き有難う御座います。

平成22 年秋の叙勲で、図らずも瑞宝章瑞宝 小綬章の栄に浴いたしました。去った11 月11 日には厚労省にて勲記、勲章を授与され、引き続き家内共々宮廷に参内し天皇陛下に拝謁の栄 を賜り、私共夫婦にとりましてこの上もない光 栄なことであります。これも一重に、長年に亘 る多くの先生方のご激励、ご指導の賜だと厚く 感謝申し上げます。

私は日本復帰後、当時、医者が少なかったこ ともあり、支払い基金の審査委員、精神科病院 協会理事並びに同会長、更に、浦添市医師会初 代会長、その他県や市の色々な委員や嘱託等、 実力以上のことをさせられてきましたが、県医 師会の先生方や、平良賀計先生初め、精神科の 先輩の先生方並びに沖縄県・浦添市の行政の 方々のご指導ご鞭撻により、無事、大過なくそ の職責を全うすることが出来ました、そのこと が評価されて叙勲の栄に浴したものだと衷心よ り感謝いたしております。

本日はご多忙の中、奥村沖縄県福祉部長のご 名大としてご出席下さいました宮里達也統括監 に過分なご祝辞を頂き、また、浦添市医師会会 長山内英樹先生には身に余るご紹介をしてもら い有難うございました。

このような盛大な祝宴を開催して下さった県 医師会会長宮城先生並びに、医師会の職員の 方々にも改めて感謝いたします。

今後は、この章に恥じないよう、尚一層努力 して沖縄県の精神科保健福祉のために尽くして まいりたいと思います。今後とも倍旧のご指導、 ご支援を下さいますようお願いいたします。

最後になりますが、ご出席の皆様の益々のご 繁栄と、御健勝をお祈りいたしまして御礼の言 葉とさせていただきます。