那覇市立病院 寺田 泰蔵
私とセーリング(ヨット)との出会いは、学 生時代にヨット部の同級生に誘われて生理学教 室の准教授先生のヨットに乗せてもらったのが 始まりです。在学中何度か乗せていただき、言 われるがままにロープを引っ張り、巻き挙げ (体力がありそうだから肉体労働要員?)てい ましたが、ヨットが海の上を進んでいく爽快感 は何にも変えがたいものでした。目的地は2 時 間ほどセーリングして行く貝料理屋(入り江に 浮いており直接ヨットを桟橋につけて入れるお 店でした。)で、海賊焼きをご馳走になったこ とはよい思い出です。
卒業後は首都圏の大学病院救急部、救命セン ターで仕事に没頭し、昼も夜もないような生活 をしながら十数年、なぜか学生時代のヨット体 験が忘れられず、いずれはヨットに乗りたいな など考えながら暮らしていました。
縁あって那覇市立病院へ就職し沖縄に住み始 めてから、「こんなきれいな海が身近にあるの なら」と考えながらも、船については自動車の ように中古船店があるわけでなく、どうしたら 自分の船が持てるかもさっぱりわからず過ごし ていたある日、当時たまに食事に行っていたワ インバーのシェフより知り合いの人のヨットに 乗せてもらったお話を聞き、またその船が売り に出ているのを聞いて宜野湾マリーナまで見せ てもらいに行きました。船はベネトウというフ ランスの会社の37 フィートの立派なヨットで したが値段も手が届かず、また私には大きすぎ る船で残念ながらあきらめて帰ってきました。 その時船のオーナーさんに「この船だと船舶免 許は一級が必要、後々のことを考えても一級を取っておいたほうがいいよ」といわれました。 当時船舶免許制度が変更となり、数年前に四級 免許を取得していた私は自動的に二級船舶免許 となり、また二級免許を取得すると講習と筆記 試験の追加のみで一級免許が取得可能となった ため、がぜんやる気をだして休みを使って3 日 間の講習に励んで免許を取りました。その後は また熱も冷め、まあいずれ一度は船を持ちたい けど退職してからのお楽しみでもいいかななど と考えながら過ごしていました。そんなとき偶 然インターネットのヨット売り買い情報で沖縄 からヨット出品があり、早速オーナーさんへ連 絡、試乗させてもらうこととなりました。船は 30 フィートのヤマハの船で船齢は30 年弱と古 い船ですが、スカンピの愛称で知られる当時人 気を集めたヨット(前のオーナーのうけうりで すが)でとてもよくメンテナンスされており、 その上しばらくは操船も教えていただけるとの ことで、格安で譲り受けることとなりました。 それからおっかなびっくりの接岸、離岸練習、 艤装の準備、ヨットスクール(沖縄でも受講可 能です。)まで受講し、最近なんとか一人で海 に出て帰ってくることができるようになりまし た。また知り合いのヨットと一緒に行った一泊 二日の慶良間旅行は、普段行くことの出来ない ようなとても美しい入り江などに寄ることがで き大変楽しい思い出となると同時に、帰りは海 が荒れてなかなかのアドベンチャーにもなりま した。始めるまではヨットを持つような人とは いったいどんな人たちだろう?・・・何か浮世 離れした人たちの集まりではないか・・・など と少し心配していましたが、実際マリーナで知 り合いになった人たちを見回してみると、公務 員、銀行員、消防士、元自衛官、ドクターなど バラエティーに富んでいます。ヨットという共 通の趣味を通して、いろいろ教えていただいた り、異業種交流もとても面白く新鮮です。昨年 はメンテナンスのため4 ヶ月ほど船を陸に上 げ、エンジンの取り換え、電気の配線や船底の メンテナンスを行いました。また最近漁船と自 衛艦との衝突事故などもあったため、やはりほかの船舶と無線通信を行えるようにしなくては と思い立って第一級海上特殊無線技士の資格を 取得し、国際VHF 無線局を開局しました。エ ンジンの取り換え以外はまわりの人にいろいろ と教えてもらいながら少しづつ自分で手を加え ていますがこれもヨットの楽しみかたの一つと 思い、天気の悪い休日はメンテナンスに励んで います。仕事の都合で船を出すのは月に1 〜 2 回程度ですが、細く長く続けていければと思っ ています。