沖縄県立南部医療センター・こども医療センター
医療情報科(放射線科医)
玉城 聡
私は生来機械いじりが好きで、コンピュータ ーにも興味を持ちその延長で放射線科医となり そして医療情報の責任者ともなった。なったか らには「情報」という言葉に敏感でなければと ある情報セミナーに参加したら、そこですっか り忘れていた孫子に出会った。孫子はご存じの 通り「彼(敵)を知りて己を知れば、百戦して 殆(危)うからず。彼を知らずして己を知れ ば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、 戦う毎に必ず殆うし。」と説いた2,500 年前の 中国の兵法家である。この文章の現代語訳は 「敵情を知り味方の状況も把握すれば百戦して も危なくないが、敵情を知らず味方の状況しか 把握できなければ五分五分である。敵情も味方 の状況も把握していなければ戦うたびに必ず危 ない。」とのことで、この有名な一節は若かりし頃はどうということなく受け流していたが、 戦いや敵等の表現を仕事に置きかえて解釈すれ ば現代でも十分以上に通用することとなり、情 報にたずさわる私には紙すらない古代から「情 報」という抽象概念が重んじられていたことに 強烈なインパクトとそしておおいに励みになっ た。また孫子は「兵法は、一に曰く度、二に曰 く量、三に曰く数、四に曰く称、五に曰く勝。 地は度を生じ、度は量を生じ、量は数を生じ、 数は称を生じ、称は勝ちを生ず。」とも述べて おり、現代語訳は「ものさしではかり(度)、 ますめではかり(量)、数えはかる(数)、くら べはかる(称)、勝敗を考える(勝)ことで、 戦場の広さや距離を考え(度)、その結果で必 要な物量を考え(量)、その結果から兵数を数 え(数)、その結果から敵味方の能力を考え (称)、その結果から勝敗を考える(勝)。」とい うように、戦略は占いや君主の思いつきでなく 「数値」を基に環境や資源を把握しておこなえ と述べている。びっくりである。孫子はその他 にも幅広い事柄を多数述べているが例えば「言 うとも相聞こえず、故に鼓鐸(こたく)を為 る。視すとも相い見えず、故に旌旗(せいき) を為る。」(現代語訳「言っても聞こえずだから 太鼓を使う。示しても見えないから旗やのぼり を使う」)の一節とこの続きは、世間で最近よ く言われる「見える化(可視化)」を喝破して おり時代を超えたその普遍性に驚くばかりで、 これまで戦国合戦で立回りの邪魔じゃないかと 疑問だった武士や足軽の背中の物干し竿のよう に長い旗指物や、自らの居場所を敵にも知らせ ながらの太鼓やどらの打ち鳴らしや夜のかがり 火が、実はただの合図や目印にとどまらず組織 行動や士気高揚のための可視化道具でもあるの だという奥深さに無線機や携帯電話と単純比較 しかできなかった自分の了見の狭さを知らされ た。これらは孫子のごく一部に過ぎないが、そ うこうしているうちに今度は「経営科学」に出 会った。経営科学とはオペレーションズ・リサ ーチ(operations research OR)とも呼ばれ、 その誕生は第二次世界大戦においてイギリス軍がドイツ軍のロンドン空襲や潜水艦のU ボート に対抗するために軍人以外に数学者や物理学者 などの科学者チームを立ち上げて数学的戦略を 取り入れて目覚ましい成果を上げ、戦後は米国 でコンピューター科学と結びつきながら線形計 画、システム最適化、在庫管理、待ち行列、需 要予測、シミュレーションそして意思決定論な どと幅広く発展していった。日本ではQC(品 質管理)が先行したので経営科学への注目は弱 かったが今はQC と経営科学が融合しながら広 がってきているようだ。もちろん病院でも医学 統計やQC 活動はそれなりに見聞きするがとて も病院の日常業務に活用されているとは言い難 いし、また今の100 年に一度の経済大不況の原 因も金融工学じゃないかとの思いもあってこれ までは企業の手法は病院には業態が異なりすぎ てあまり役立たないと考えていた。しかしこの 経営科学の立ち読みは(入門書。専門書は高等 数学の羅列で私には理解できない)、患者さん の診察待ち分析など病院への応用例や、その後 にワインの出来具合い予測や映画の興行収入予 測、大リーグの松坂投手の獲得、警察の犯人の 所在予測など一見数値化できない分野でも専門 家と対等の活用例を知ることとなり、経営科学 は企業幹部だけでなく病院現場の最前線にも広 く有効な手法だと考えるようになり、今では金 融工学も包丁のごとくで問題は使う人間のモラ ルだったと受け止めている。結びとしては、私 は病院でもKKD(経験、感、度胸)以外に、 古典の孫子と先端の経営科学の手法が二重らせ ん的に交錯しながら、多忙さで燃え尽きてゆく 医師や看護師らの業務改善など診療現場の最前 線でも広く役立つ実学だと確信するようになっ たしだいである。
参考文献
酒井英之著「孫子に学ぶ情報セキュリティ」sky 社
多田実ら著「Excel で学ぶ経営科学」オーム社
イアン・エアーズ著「その数学が戦略を決める」文芸春秋社