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祖先からの贈りもの

瀬尾駿

沖縄セントラル病院 瀬尾 駿

沖縄に転居して今年は10 年目、県・市医師 会の皆様にはお世話になるばかりですが、会報 に随筆をとの依頼を頂き、事情はわかりません が玉井修先生のご推薦ともあり、お受けしたも のの何を書いたらよいものか迷いました。緑陰 には相応しくないとは存じますがお許し下さい。

昨今国会議員の世襲制是非が取り沙汰されて おりますが、医者の場合はどうでしょうか。私 事で恐縮ですが、自己紹介を兼ねて、一やまと んちゅうの家系について調べました事を駄文と 致しました。

那覇に転居する前は静岡県三島市に住まい、 明治の頃祖父が病院を開設していた同じ場所で 外科医院を34 年開業、父は医師でしたが臨床 医ではなく九州大学で生理学を一生の仕事とし ておりましたので、開業医としては一代途絶え はしましたが、祖父も父も瀬尾家の養子として 医家を継承し全うした事になります。生前の母 からは常々瀬尾家は代々藤堂高虎(1556 〜 1630)を祖とする伊勢国津藩藤堂家の御典医 であったと聞かされておりましたが、確かな根 拠を知らずお話として聞き流しておりました。 昭和61 年父が平成5 年母が他界し昔を知る証 人は失われて、藤堂家との縁は遠退くばかりで したが、三島の家には古色蒼然とした立派な仏 壇があり、先祖の位牌と共に過去帳なるものが 祭られている事は子供の頃から知っておりまし た。しかし母の存命中はそれを手にする事など 到底許されるはずもなく、母の葬儀をすませて 5 年程後の事でしたが、三島市医師会五十年史 編纂を手伝わされた折、祖父の三島での開業歴 の事もあり祖先を知る唯一残された記録を調べ る事になりました。それには「瀬尾氏累世過去 牒」とあり、38 名の戒名と死亡年月日年齢が日にち別に分けられ筆書きされており、最も古 い戒名は元禄11 年没(1698)の女性、次は男 性で寶永3 年没(1706)ですがどちらも年齢と 俗名は書かれておらず、その後は童子・女性・ 女性と続き、6 番目が享保19 年(1734)正月 に亡くなった53 才の男性、以下年代順に童 子・女性・女性と続き、10 番目は天明3 年 (1783)77 才没の男性、次に亡くなった男性は 15 番目で文化9 年(1812)63 才没とありまし た。過去牒2 番目に亡くなった男性の年齢はわ かりませんが、仮にこの男性を含めて前記6 ・ 10 ・15 番目迄の男性諸子が藤堂家の藩医であ ったとするならば、慶應3 年(1867)没の27 番目の男性である曾祖父は五代目の医師に数え られてもよいのではないかと思われます。16 番 から26 番迄は全て女性か童子ばかりで、21 番 目の天保14 年に亡くなった女性の戒名には五 代目立元母(立元は曾祖父の俗名)と小さく添 書きしてあり、これが根拠となったものか、曾 祖父・祖父・父の戒名にはそれぞれ五世・六 世・七世の添書きが残されておりました。祖父 は嘉永3 年の生まれで、除籍原本によれば萬延 元年10 才で曾祖父の養子となっており、静岡 県の医史と医家伝(土屋重朗著昭48 年刊)に よれば明治12 年東大医科別課卒、明治10 年三 島に設立された養和病院に16 年赴任し、病院 長・警察医を兼ねたとあります。母の思い出話 によれば東海道・箱根山を駕籠でやって来たら しく、後に病院と土地を買いとり大正7 年69 才で亡くなる迄医業を続けたそうです。現在祖 父母一族と両親の墓は三島の菩提寺に祭られて おりますが、曾祖父母一族の戒名には伊勢国津 専琳寺と添書きがあり、この寺の存在を確認出 来ましたので、住職に事情を話し祖先供養の法 事をお願いしました。曾祖父が亡くなった慶應 3 年は徳川慶喜の大政奉還、続いて明治維新、 大正、昭和に入ってからは第二次大戦の戦火な ど一世紀半程の年月を経ており、何かを期待す るのが無理な事は承知の上で、平成18 年9 月 関西空港から電車を何回も乗り継いで三重県庁 の所在地津駅に到着、子供ら三名と合流して先 ずは伊勢神宮に参拝(外宮のみ)、翌日車で専 琳寺に向かいました。津市は藤堂家の城下町で すがお城はなく、城跡だけの大変に静かな街並 みでした。寺には浄土真宗西本願寺派万松山専 琳寺の門柱があり、古びた本堂と小さな鐘楼、 桜の老木と寺の由緒を唯一偲ばせるような銀杏 の大樹が繁っておりました。しかしお墓は見当 たらず、本堂内の仏壇装飾等も極めて簡素。読 経のあと住職とのお話にも最後迄瀬尾家に関す る情報は聞かれぬまま法事を終えましたが、寺 に居る間は何か温かな懐かしい雰囲気に包まれ ているようで、いつ迄も去り難い思いで過ごし ました。一度は尋ねてみたいと長年の願望がそ うさせたのかもしれませんが、伊勢の国に古寺 だけでも残して下さった遠い祖先の存在を、何 か強く意識した事も初めての経験でした。