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今どきの若いもんは…

新里敬

中頭病院内科・臨床研修部
新里 敬

「今どきの若いもんは・・・」と言うように なったら、年を取った証らしい(苦笑)。私の 周りの同世代がそのフレーズを口にするのを聞 いて、ついに私もその年齢に達してきたか、と 嘆息した。

振り返ってみると、社会に出たとき、いや、 学生のときからかもしれないが、私(たち)は 「今どきの若いもん」だったと思う。1960 年代 前半生まれの私たちは、「新人類」とか「共通 一次世代」と言われた。当時の西武ライオンズ 黄金時代の中心だった工藤公康や渡辺久信らが その代表格だ。

従来の慣習やしきたりにとらわれず、自分た ちの持っている独自の感性や価値観を打ち出し ていこうともがいていたのかもしれない。ただ、 従来の慣習を壊しながらも、一方では体制維持 に貢献するという、微妙なバランス感覚を持っ て仕事をこなしていた(それは今も変わらない 気がする)。その上の世代とは異なった独特の 感覚を持った私たちが、「今どきの若いもん は・・・」と言うのは、滑稽な感じがしないで もない。

そもそも、「今時の若いもんは・・・」とい うフレーズは、昔から使われてきた言葉のよう である。1,200 年以上前に建てられた法隆寺の 塔には、「最近の若者はしょうがない」という 意味の落書きがあるのだとか。エジプトで発掘 された紀元前2000 年の遺跡の壁には、「今どき の若い者は・・・」と記されていたそうな。

時代やその背景に関わらず、いつの世におい ても、年長者にとっては若者はよく理解できな い存在なのだ。いつの時代でも、年長者は若年 者を見て、そう言って嘆くのである。古今東西 を問わず、年長者と若者たちの間にはジェネレ ーションギャップは存在するわけで、それをい ちいち気にしてもしょうがない。

私たちもまた、今の若者を見て、同じように 思い、「親の顔が見てみたい」という言葉がつ い口をついてしまうのである。そのときには、 鏡で自分の顔を眺めてみるのがよい。そろそ ろ、自分の子供たちがそう言われる年代になっ ているのだから(「新人類ジュニア」と呼ばれ ているらしい)。

論語の子路第十三に、次のような一節があ る。「子曰く、其の身正しければ、令せずして 行わる。其の身正しからざれば、令すと雖も従 わず。」(孔子がいうには、上の人が正しいこと をして民を率いれば、命令しなくても徳が行わ れるようになる。上の人が正しい行いをしてい なければ、命令しても徳は行われない。)親、 上司、政治家など、誰にでも当てはまると思 う。まさに、子供は親の鏡であり、部下は上司 の鏡であり、研修医は指導医の鏡なのである。 “ うちあたい”( あっ、それって自分のこ と!・・・と決まりが悪い感じがしたときの島 くとぅば)するのは私だけだろうか。

若者は、次の新しい時代を創る、未来の立役 者なのである。彼らは、その時代に見合った、 新たな価値観をもたらしてくれる。おそらく、 私たちがそうであったように。ならば、彼らの 存在価値を認め、彼らが成長して立派に生きて いけるよう支援することが、私たちに与えられ た役目ではないだろうか。

「今どきの若いもんは・・・素晴らしい!」 そう言えるようになるのが、そう言ってあげ られるような子供や若者を育てることが、大人 になった(はずの)私たち新人類世代が背負っ ている大きな課題なのだ。2008 年に強い西武ラ イオンズを復活させ、プロ野球日本一に輝いた 渡辺久信監督は、コーチ陣にこう徹底したとい う。「ベンチを見ながら野球する選手を作るな。」

自らの足で立ち、自らの頭で考え、自らの足 で歩む若者を育てたい。そう願うのは、私が渡 辺監督と同世代だからか。このようなことを書 くと、先輩諸氏から「今どきの若いもんは、身知らずの口たたきばかりだ」と、またお叱りを 受けそうである。

だが、いつの時代も、きっと「今どきの若い もんは、素晴らしい!」はずなのである。そう でなければ、歴史の新しいページは開かれてこ なかったのだから。