ちばなクリニック 城間 勲
先日の新聞に載っていた「あんやたん展」の 記事を読んでいて、ふいに自分の「あんやた ん」を思い出した。あまり思いだしたくないこ とだが、妙に懐かしい気持ちにもなる。大学時 代の帰省の時の話である。
それは昭和46 年頃のことだった。沖縄はま だ本土復帰をしておらず、県外に出るにはパス ポートが必要な時代である。その頃僕は弘前で 大学生活を送っていた。本州北端の青森県から 沖縄の実家に帰るのは年1 回だけ、2 月末から 3 月いっぱい(だったと思う)の春休みの時だ った。ほぼ日本縦断に等しい片道5 泊6 日の旅 である。
帰る前日は当然ウキウキしている。半年ぶり に部屋を念入りに掃除する。万年床の下に生え たタタミのカビを拭き取るのも苦にならない。
今なら飛行機に乗ればその日のうちに沖縄に 着いてしまうが、30 年以上も前の話である。 主な交通手段は汽車と船であった。学生が飛行 機に乗るなどということは考えられなかった。 (あとでそうでもないことを知ったが…。)
弘前を発つのは金曜日の午後に決まってい た。なぜなら土曜日の午前中に東京に着きたいから。土曜日の映画館はオールナイトである。 10 数時間も急行列車に揺られてきてうんざり しているのと、できるだけ長い時間東京見物を したいとの思いで、映画館で一晩を過ごすのが いつものことだった。ホテルに泊まるのはもっ たいない。その時の映画の内容はほとんど覚え ていない。周囲が暗くなると、ものの10 分も しないうちに夢の中へ入っていた。翌日は東京 駅地下の東京温泉で一風呂浴びて東京見物へ。 といっても銀座などの繁華街をうろつくだけの ことであるが…。
日曜日の深夜、棒のようになった足で大阪行 の普通列車に乗る。運賃が安いうえに昼間の急 行列車並のスピードで走るのが魅力だった。と にかく汽車に乗っている時間を短くしたかった のだ。それができなければ眠っていたい。何も しないで10 数時間もただ座っているのは耐え られない。以前見たテレビで国内の鉄道全線に 乗る旅をしている人がいたが僕には理解ができ ない。
月曜日の午前中に大阪に着くと数時間駅の周 辺をうろついて、気を取り直して西鹿児島行の 急行列車に乗る。明日鹿児島から船に乗れば眠 っている間に沖縄に着く。小遣いは大阪までで ほとんど使い果たしていた。残りは船賃だけだ。
火曜日、定刻通りに列車が西鹿児島駅に着け ば何の問題もないが、一度だけ何かの理由で遅 れてしまい、港に行った時には船はすでに出航 した後だったということがあった。いつものよ うに所持金はゼロに近い。キャッシュカードな ど勿論ない時代で、沖縄へ電話をかけるにも簡 単にはできなかった。明日の出航までどこか眠 れる場所を探さなければならない。2 月下旬の ことである。外は身震いするほど寒い。南国鹿 児島の市街地にも雪が残っていて道はぬかるん でいた。洗濯物にするはずの衣類を重ね着して 駅の待合室のベンチで横になっていたら、駅員 に「もう閉めるから出ていってくれ」と夜中に 追い出された。外に出ると、駅前に公衆電話ボ ックスがあったのでそこで明朝まで過ごすこと にした。風が入らないように新聞紙をまるめて 隙間を塞いだが、底冷えは防ぎようがない。ボ ックスの中で足踏みしたり、口から出まかせの 歌を歌って気を紛らわそうとするが、全く効果 がなかった。そのうち水鼻が出てきて、鼻をか んでもかんでも止まらなくなった。ひどい顔に なっていただろうと思う。今考えると穴があっ たら入りたいような気分であるが、あの時ほど 時間の過ぎるのを遅く感じたことはなかったよ うな気がする。夜が白々と明けてきて、車の走 る音などで周囲が徐々に賑やかになってきたと きは正直ほっとした。後日数人の友人にその話 をしたが、案の定、同情してくれた奴は一人も いなかった。
僕と同世代の人に、当時の沖縄〜鹿児島間の 船中の思い出を訊くと、誰でも「船底の2 等船 室のムッとするような臭いには参った」とほぼ 同じことを答える。それに耐えられなかった僕 は、船室から毛布を持ち出して甲板のベンチで いつも寝ていた。
卒業後の研修は県立中部病院で受けることに なったが、その時の通知には、赴任に必要な旅 費は全て当方で負担するのでどのような手段で 帰ってきてもよい、といった内容のことが書か れてあった。これを読んで、毎年悲惨な帰省経 験を繰り返していた僕は、こんな時しか贅沢は できないと考え、最も速く、しかも楽に帰るに はどうしたらよいか考えた。熟慮の末、青森〜 東京間は特急寝台列車、東京〜沖縄間は飛行機 に乗ることに決めた。
そして…。大学生活最後の帰省は想像以上に 素晴らしい旅だった。6 年間ずっと急行列車の 堅い座席に座って移動していた僕には、夜は横 になれてしかもより速く走る特急寝台列車はま さに理想的な陸の乗り物だったし、生まれて初 めて乗った飛行機は離陸の時にちょっと手に汗 を握った以外は全く快適だった。短い短い1 泊 2 日の旅だった。
その時以来、僕は船にも長距離列車にも乗っ たことがない。