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『予言の風景』

須信行

琉球大学医学部第二内科教授
須 信行

1969 年12 月27 日に大学を卒業した。40 年 が経った。2008 年12 月27 日に一冊の本を出 した。『予言の風景』だ。1969 年昭和44 年12 月27 日に大学を卒業した。ストの時代だった。 7 回ストがあった。1968 年1 月に始まったスト は1968 年10 月4 日に終わった。259 日間のス トだ。卒業延期だ。1969 年昭和44 年12 月27 日に大学を卒業した。昭和44 年に卒業したか った。獅子(44)の会にしたかった。それから 40 年が経った。ストも一つの風景へ変貌した。

『予言の風景』を1 週間で書き上げた。自伝 『予言の風景』では言葉が私を待っていた。言 葉は天空を舞っていた。ひたすらそれらの言葉 を書きとどめた。1 週間で『予言の風景』はで きあがった。楽しい仕事である。天空を舞って いる言葉を書きとどめるだけだ。美しく舞って いる言葉は自ら舞い降りてきた。そして舞い降 りてきた言葉は風景を作った。その風景をまと めたのが『予言の風景』だ。

『予言の風景』は叙事詩だ。終戦間近に600 匁(2,250 グラム)で生まれた子供の叙事詩だ。 人は時代とともに生きている。人は時代から逃 れることはできない。時代は選択を迫る。同じ 時代を生きた人の人生は同じではない。異なる。 そこに叙事詩が生まれる。生きてきた風景だ。 風景はながい坂道を駆け下りるように通り過ぎ て行った。飛び去る風景は応援歌だった。

内科教授と作家は似ている。内科教授と作家 はいつでも原稿の締め切りに追われている。内 科教授は論文を書けば書くほど投稿料、掲載 料、別冊代を取られて貧乏になって行く。作家 は書けば書くほど原稿料が入り金持ちになる。 内科教授と作家はいつでも原稿の締め切りに追 われている。しかし、前者は貧乏そして後者は 金持ちだ。「作家になろう。金持ちになろう。 原稿料を貰おう」と決意した。自伝を書いた。 1 週間で出来上がった。180 頁の自伝だ。早速、 出版社に持って行った。編集長は会ってくれ た。目の前で作品を読んだ。笑いながら読んで いる。楽しそうに読んでいる。これは良い徴候 だ。きっと本にしてくれる。明日から大金持ち だ。ベストセラーだ。しかし、編集長は冷たか った。「面白い。文章も上手い。しかし、面白 いということと売れるということは別だ。これ はお金になりません」と言った。「この本は売 れません」と編集長は繰り返した。私の1 週間 は無駄に終わった。

内科の教授が本を書いても売れないのだ。決 心した。本を出す。内科の教授は書けば書くほ ど投稿料、掲載料、別冊代を取られて貧乏にな って行く。このことには慣れている。本を出版 することにした。私はますます貧乏になるだろ う。貧乏には慣れている。自伝『予言の風景』 をニライ社から出版した。