理事 宮里 善次
はじめに
感染症の予防に予防接種が果たしてきた役割 は大きく、天然痘の根絶などはその最たるもの である。Vactin-preventable-deseases の予防 徹底化は世界的な医学的潮流の一つであり、そ の中心的な役割を担っているのがW H O と CDC である。現在、彼等が撲滅対象疾患とし ているのは麻疹とポリオである。米国では ACIP(Advisory Committee on Immunization Practices)は乳幼児へのインフルエンザワク チンの接種を奨励しており、文献報告によれば 6 〜 23 ヶ月未満で、1 回接種よりも2 回接種法 が有効としている。また日本では対症療法しか 方法のないローターウィルス感染症に対して も、2006 年度から経口生ワクチンの投与が始 まっており、予防徹底化の強い意志を感じる。
一方、先進国の中でも我が国はワクチン接種 率が低く、ワクチン後進国あるいは麻疹輸出国 と揶揄されるほど、世界の潮流から遅れている 状況である。また沖縄県では過去に「予防接種 さえしていれば…」と云う禍根を残した悲しい 出来事があった。昭和39 年秋から40 年春先に かけて大流行した風疹による風疹児の大量出生 と1998 年8 月〜 1999 年9 月の長きにわたり麻 疹が流行し、2034 人が罹患し、8 人の死亡があ った。そうした経験を教訓にして、沖縄県の予 防接種率は格段に良くなったのかと云えば、そ うとも云えない現状である。ただし麻疹に関し ては、その後の“はしか0 プロジェクト委員会” の献身的な努力で、2 回接種法と全数把握報告 システムが確立され、麻疹症例が発生しても封 じ込めに成功している。2008 年5 月時点で、 一期と二期を合わせたMR ワクチンの接種率は 87.2%(全国平均、麻疹87.9%、風疹88.2%) とかなりの改善が見られる。とは云え、いまだ 全国では34 位にとどまっており、流行を阻止 できるとされる目標の95 %にはほど遠い値で ある。
2007 年の全国的な大学生の麻疹流行を受け て、その年の12 月28 日には大臣告示「麻疹に 関する特定感染症予防指針」が示され、その後 5 年間で麻疹排除を達成し、その状態を維持す るとしている。それを受けて中学一年生(第3 期)と高校三年生(第5 期)の追加接種が行わ れるようになったが、沖縄県の接種率は2008 年9月現在、中学一年生が53%(全国56.4%)、 高校三年生41.2 %(全国47.6 %)と、ここで も全国平均を下回っている。沖縄県を含め、日 本の予防接種率はなぜ低いのだろうか?
我が国のワクチン接種法変更の経緯
接種法が集団接種から任意接種に変わるきっ かけとなったのはインフルエンザワクチンであ った。インフルエンザで問題になるのはハイリ スク群(老人や免疫力の低下した症例、乳幼児 など)である。ところが流行のきっかけは抗体 を持たず、集団生活をしている児童生徒から始 まることが多い。我が国ではその流行を押さえ る手段として、1962 年に全ての児童生徒を対 象とした集団接種が開始された。しかし70 年 代に入ると異を唱える運動が起きる。曰く、社 会的流行を防ぐために全学童に強制接種をする のは人権問題ではないのか?集団接種をしても 流行を阻止できていない現状があるではない か?ワクチンを打ってもインフルエンザに感染 する症例がある。など等。果ては接種目的、対象、方法など、現在ならEBM に耐えられない ようなフィールドトライアルの成績なども引用 され、誤解に基づくワクチン無効論まで唱えら れ、学校保健師まで巻き込んだ形で、反対運動 が展開されたのである。さらに予防接種による 健康被害訴訟で、一審、二審とも国が敗訴した こともあり、インフルエンザワクチンに対する 不信感が生じた。当時のマスメディアはその事 を更に煽るような形で報道したため、80 年代か ら急速にワクチン全体の接種率が低下していっ たのである。この頃、小児科医としてスタート をきっていた筆者も、何名かの学校保健師か ら、ワクチン効果の有無に対して問い合わせが あったが、学校医を担当されていた会員の先生 方は、さらなるご苦労があったと推察される。
80 年代後半にはいると自己責任による個人防 衛の考え方が起こり、1994 年に予防接種法改 正が行われたが、この考え方を取り入れる形で 任意接種に変わった。ところが法律に基づく臨 時の定期接種からはずれたことで強制力を失 い、インフルエンザのみならず、他のワクチン 接種率もさらに低下し、その結果として20 年 後に大学生を中心とした大人型の麻疹流行を拡 張させた一因となったのはご承知の通りである。
ちなみに改正予防接種法の要旨は、第一に義 務接種が努力義務となると同時に健康被害救済 制度の維持と強化である。第二に健康被害に対 する法整備と情報提供および予診の充実を図る としている。また医療関係者向けに『予防接種 ガイドライン』、保護者向けに『予防接種と子 どもの健康』が作成され現場に提供され、活用 されている。
韓国の場合
さて、お隣の韓国では沖縄から一年遅れの 2000 年1 月〜 2001 年7 月の間に55,000 以上 (人口10 万対118 例)の麻疹症例と7 例の死亡 が報告されている。韓国政府はすぐに動き、 2001 年初めに麻疹排除のための5 カ年計画 (下記の3 つの到達目標)を策定している。
1)学校入学前に麻疹混合ワクチン2 回接種 (MCV2)を義務化(集団接種)。
2)幅広い年齢の小児に対しての追加接種キャン ペーン。
3)麻疹疑い症例の検査室診断による全数サーベ イランスの構築。
その結果、WHO に報告された接種率は2002 年〜 2005 年で、すでに95 〜 99.9 %を達成し ている。またワクチン未接種児童は入学できな いシステムを構築し、入学児童の接種率は実に 99 %を達している。短期間に効率的な成果を 出していることは一目瞭然である。
同じ頃に同じ経験をした韓国を引き合いに出 したが、対応の速さと的確さ、あわせて結果の 差は歴然としている。韓国は7 人の死亡からわ ずか一年で95 %以上の予防接種率を成し遂げ、 我が国は沖縄の8 人の死亡から10 年近くもか かって、大人型の麻疹流行でやっと腰をあげ、 2 回接種法と全数把握報告の義務化に至ってい る。沖縄県の場合は国に先んじてその制度を構 築したが、“はしか0 プロジェクト委員会”の 功績である。
我が国の予防接種率が低い理由
予防接種率が悪いと思われる理由を列挙する。
1)厚労省の対応は迅速とは言えず、しかも Vactin-preventable-deseases の予防徹底化 の潮流に遅れている。
2)健康被害に目が向きすぎて、活動が制限を受 け、迅速な対応ができてない。
3)国民の教育とキャンペーンを国レベルで行う べきであるが、ガイドラインの配布などで現 場まかせにしている。そのため地域で温度差 がある。
4()国民は感染するまでは被害者であるが、一旦 感染すると加害者になるという意識が薄く、 外出自粛や医療機関の正しい受診方法などが あまり守られていない。予防接種を受けてな い人ほどその傾向が強い。
5)任意接種で95 %接種率を達成できるほど、 日本国民の意識は成熟しているのだろうか?
6)教育現場でワクチン接種を強制できない。
こうしてみると厚労省のリーダーシップ不足 とシステム構築の悪さ、現場の負担感だけが浮 かび上がるばかりだ。我々としては地域行政と 教育現場、県民に働きかけて、地道に予防接種 率を上げていく工夫をするしかないが、“はし か0 プロジェクト委員会”という素晴らしい先 駆けと、彼等によって効率的で協力的なシステ ムが既に作られていることは幸いである。付け 加えて云えば、教育現場との協力体制ができれ ば他県に類をみない万全なシステムになること は間違いない。新型インフルエンザをはじめ、 他の感染症に対しても、その手法と活動は多い に手本とすべきである。
おわりに
アップトゥデイトな話題提供を2 つ。
小児科領域では昨年暮れからHib ワクチン (インフルエンザ桿菌b 型)が導入された。世 界で毎年6 0 0 万人以上の乳幼児が罹患し、 20 %に重篤な後遺症、5 %の死亡をもたらす感 染症である。多大な効果が見込まれる。問題点 は高額な各医療機関設定であるが、高額が予想 され、追加も含め3 回接種なので、保護者が二 の足を踏むことも考えられる。
沖縄発のフィールドトライアルとして、2008 年1 〜 12 月の一年間、“肺炎小球菌プロジェク ト”と銘打って沖縄と北海道で肺炎双球菌性疾 患の調査が行われた。特に沖縄では小児科の入 院施設をもった本島の全病院が参加しており、 県下における入院を要した肺炎双球菌性疾患の 疫学が、近々明らかになるだろう。
多くの時間と労力を費やした結果が実りある ことを願うばかりだ。
子ども予防接種週間(2/28 〜 3/8)に因ん で、今年も会員の先生方に予防接種のご協力と 啓蒙をお願い致します。
参考文献
1, Pediatrics 2008;122:91 ― 919
2, Pediatrics 2008;122:1235 ― 1243
3, 小児科臨床 Vol.61
4, LASR vol.28 p85 ― 86
5, 2007 年度麻しん風しんワクチン接種率全国集計結果