中頭病院 外科 平安山 英義
これまでゴルフを趣味として過ごしてきた が、若腰を痛めてからはもうダマシが効かなく なり、一線を退いた。あの当時は腰の痛みと共 に左足がちぎれるように、痙攣で痛くなり、ど んな体勢をしても痛みが取れず、ついには麻 酔科の佐藤公淑先生へ持続硬膜外麻酔をして頂 き、この世に復活することが出来た。以来好き なゴルフと一大決心をして決別と成った。それ からは野鳥を追いかける生活が始まった。ゴル フも朝の早起きが必要であるが野鳥の方もまた 暗いうちからの駆け出しが必要と知った。どこ に珍鳥が出たという情報が出ると、早起き三文 の徳と自称して、時には午前5 時頃には家を飛 び出して現場に向かうことも多い。鳥は気まぐ れで、その場にほんのひとときしか居ないこと も多い。だから新聞や友人のツテなどでどこど こに珍鳥が出たという情報があれば、その時に は急ぐ必要がある。また、鳥たちの渡りのシー ズンがある。春は3 月〜 5 月(南から北への 移動)であり、秋は9 〜 11 月(北から南への 越冬のための大移動)である。この頃になると 何処かに必ず珍しい鳥が来ていると信じて家を 出るのであるが、なかなか見つからず(実際に はいないのかも知れないがいると信じて探鳥し ている)、実入りの無い状態で帰ることが多い。 その時はどうしてかたちまち女房にバレてしま う。顔色を見るなり、すぐさま鳥はいなかった の?と聞かれる。そんな時は大儀そうに、あち こち捜したが見あたらなかったと自己慰め的な言葉でかわす。
日本に来る珍鳥の7 割強はこの琉球列島に 来ているというから言わば珍鳥の飛来地である はずと念じて励んでいる。能登半島の沖合約46km にある「へぐら島」は周囲が6km 程度の 小さな離れ島であるが5 月頃の鳥の移動の時期 にはたくさんの野鳥(167 余種)が渡って来る と言う。本土の大抵の探鳥家に聞けば、「ああ、 行ったことがある」という位有名な所であるよ うだ。私も何時かはと思っているがなかなかそ の機会が無い。この沖縄もあながち見捨てたも のでは無く、何処かに何らかの珍鳥が通り過ぎ ているものと思う。探鳥する範囲が余りにも広 く、この為人に気づかれないままに通り過ぎて いるものと思っている。県野鳥の会の重臣であ る嵩原建二氏(現;県立名護特別支援学校、教 頭)によれば、うるま市ではヤイロチョウの死 んだ個体が発見されていると言い、このヤイロ チョウは県内ではまだ撮影されていないが、と にかく知らないうちに通過しているものと考え られた。またミツユビカワセミ(くちばしがア カショウビンのように赤い)も2 〜 3 年前南部 で保護された記録もあり、普段目にすることは ないが何らかの珍鳥がこの琉球列島を知らない うちに通過していると信じている。
さて野鳥は大きく分けて夏鳥と冬鳥に大別し ている。夏鳥はいわゆるリュウキュウアカショ ウビンやベニアジサシなどのアジサシ類、それ に尾の長く、愛くるしいブルーのアイリングを したサンコウチョウが主であるが、他にはホト トギスやカッコウなども来る。もちろん前述の ヤイロチョウやコマドリ等も夏鳥として本土に は飛来している。
冬鳥は数は大変多く、クイナやカモ類やオシ ドリ、マガン、ヒシクイ、ハクチョウ、ツル類、 シギ類、サシバやハヤブサなどの猛禽類など種 類といい、数も多い。何処に来るのかは未定で 一般的には田園地帯や沼地や池・ダム等に飛来 することが多い。沖縄本島では豊見城市の、通 称三角池や金武町の田園部、羽地や我部祖河の 田園地帯、喜如嘉、奥間の田園地帯などが多い。 また、糸満市の米須海岸周辺も多くのカモ類や シギ類が飛来している。
撮影場所が田園地帯となればどうしてもそこ で働く農家の方々との軋轢が生じることは避けられない。私は現地で働く農家の人々を最優先 に考え、邪魔をしないように色々配慮している つもりであるが、逆に農家の方々も、その場で 待ってくれたり、迂回をしてくれたりと逆配慮 されていることも多く、大変感謝している。働 く農家がいて、そこにエサ場があり、そして鳥 が来てくれるという一連の深い関係があるから こそ、野鳥の撮影が出来るのである。
さて、夏鳥と言えば私はまずリュウキュウア カショウビンに期待している。去年は一昨年 (2012 年)の台風の影響でヤンバルの山野はこ とごとくやられ、岩の上に根をはっていた樹木 はなぎ倒されていて、無残な光景になっていた ので、果たしてこのような状況でもアカショウ ビンは来てくれるのか心配していた。飛来の時 期は4 月中旬頃で、ヒュルル、ヒュルルの鳴き 声が聞こえたらもう血が騒ぐ。ついに夏は来に けりである。やがてあちこちの山野で鳴き声が 聞けるようになるとホットする。鳴き声はおそ らく縄張り宣言であろうと思う。この声の聞こ える範囲は私の縄張りだと声高らかに宣言して いるものと思われる。やがてツガイが出来て営 巣と成るとこの時期は物静かに過ごすことが多 い。天敵であるカラスや猛禽類のツミ等、さら には人間に営巣地を知られたくないからであろ う。去年は中部地区や名護市近辺で何度も撮影 が出来た。以前はヤンバル、いわゆる真のヤン バル3 村、すなわち、大宜味村、国頭村、東村 であったが一昨年の台風で壊滅的な打撃で営巣 地があまり無かった。このためヤンバル通いを しても撮影することが殆ど出来なかった。その 代わりに中部では去年口笛で呼び込みをしての 撮影が出来たこともあった。下手な口笛に同情 票が集まったのかは分からないが、下手な口笛 が哀願するリュウキュウアカショウビン(以下 アカショウビン)の鳴き声に似ていたのではな いかと自問しながら呼び掛けた。大抵はこの呼 び掛けに反応して、車の中の自分では見えない 所にアカショウビンは来ていた。時には高い枝 に、時には見えない低い所にと。この口笛でア カショウビン君とうまくコミュニケーションが取れれば最高でる。ある時は三脚にカメラをセ ットして車から降りて口笛を吹いた。すると真 正面の木の枝に若いアカショウビンが飛んで来 てとまった。帽子をかぶり顔をカメラに着けて 隠し、何枚も撮影することが出来た。アカショ ウビン君は不思議な表情をして親鳥が呼んだの かというような顔をしている。私は相変わらず 顔は見せない。やがてコンパクトフラッシュが 切れた。口笛は静かに流れている。慌てて車に 引っ返してメモリを交換したがまだ逃げない。 別のカメラでも撮影が出来た。幸いにも車が通 らなかった。さらに別の日にほとんど同じ所で 今度は反対側に向けて口笛を吹いた。この口笛 を聞いている人がいれば何と下手なと思われそ うであるがアカショウビン君は来てくれた。同 様に帽子で頭を隠し、カメラに顔を着けている。 枝に止まり周りを見渡しているが逃げる気配が 無い。撮影は続いている。通りがかった車が何 をしているんだ、と止まり怪訝そうな様子であ るが私は振り向かない。F 数を上げたり、ISO を100 にしたりで撮影条件をいろいろ変えて の撮影だ。逆光ではプラス補正もした。車が走 り出したと同時にアカショウビン君も逃げた。 いつでも撮影がうまくいくとは限らない。ある 日の夕方、曲がり角の枝先にアカショウビンが とまっていた。折からの夕日を受けていっそう 輝いている。絶好のチャンスと車の中からカメ ラを構えた途端に逃げられた。アカショウビン はこちら側に逃げてきた。すると登り坂の向う 側からバイクがさっそうと現れた。バイクに驚 き逃げたものと分かった。このようにしばしば、 いざという時に限って「マーフィーの法則」に 落胆させられることが多い。こういう時は気を 取り直して、更なるチャンスを目指して黙って 前に進むよりほかはない。苦労してうまく撮影 が出来た時はつい「アカショウビン君、ありが とう」と感謝の気持ちを述べている。いつも撮 影が出来るとつい感謝の気持ちでいっぱいだ。
一応、1 日3 〜 4 回の撮影というノルマを果たすと帰りの我が愛車も何となく軽やかだ。
1500cc の傷だらけの愛車もまさに人馬一体ならぬ人車一体でずいぶん苦労ばかりを強いて きた。時にはこんな声も聞こえた。「旦那、今 日はからきしツイていない。もうこの辺で帰り ましょうや。こんな坂道はあっしには無理でさ。 何言うんだ、もう少しじゃないかガンバレ」と、 自分と車に言い聞かせてもう何年か?。こんな 事で去年はアカショウビンの写真でパソコンの 中が真っ赤になるくらい撮影が出来た。
アカショウビンは沖縄を初め、北海道まで渡 ってくる夏鳥である。本土に渡るアカショウビ ンは赤が主体であるが、県内に来る、いわゆる リュウキュウアカショウビンは羽の色が赤紫の 光沢があり、赤一色の単調なアカショウビンに 比べ数段と美しい。県内には4 月中旬に大抵は 来て、営巣し、子育てをして9 月中旬から10 月上旬には南方へ帰って行く。他の夏鳥のサン コウチョウやアジサシ類もそれぞれ南方へ帰っ て行く。去年は旧知念村の「こまか島」に300 羽近いベニアジサシが来ていた。その他にマミ ジロアジサシ4 〜 5 羽、エリグロアジサシが2 〜 3 羽、さらに台風7 号が宮古・石垣地方に向 かったためか、ヒメクロアジサシが1 羽来てい て、幸いにも撮影することが出来た。そこから の帰り船に乗るとき、現場で働くアルバイト生 が曰く、この鳥たちははるばる遠い南方〜オー ストラリア辺りから来ていますという説明をし ている。何か言い足らないと思い、付け加えた。 といのは海水浴客には地元のお客さんのみなら ず、わざわざ本土からのお客さんも一緒だった からである。私は「これらの鳥たちは言えば沖 縄出身です。毎年、はるばる遠方からやって来 てはいますがここ沖縄で営巣し、子育てをして また南方に帰り、また来年も、その次の年もま た来るでしょう。ぬけるような青空があり、そ してこの澄んだコバルトブルーの海があって、 そのなかに飛び交う鳥達がいてこそ南国沖縄の 楽園なのです。この楽園がいつまでも続くよう に中央の鳥の営巣地には入らないように御協力 をお願いします」と演説ぶった。去年の暮れ 11 月に入りベニアジサシは本土でも600 羽位 (300 つがい)が営巣したと聞かされた。これも温暖化のせいか?それとも鳥たちの進化(進歩)か?
所で、アカショウビンの学名はハルシオン・ コロマンダ(Halcyon coromanda)である。
ハルシオンと言えば睡眠薬のハルシオンを思 い出される方も多いでしょう。で、ハルシオン を辞書で調べると英語の辞書に「カワセミの仲 間で冬至の頃に海上に営巣し、波を静め、卵を かえすと信じられた鳥」とされている。この波 をも静めるということから、こころの中をも静 めるということで睡眠薬にも採用されたのでは ないかと勘ぐった。
ちなみに、カワセミは中国で宝石の「翡翠 (ひすい)」に例えられ、漢字でそのまま「翡翠」 と書く。翡翠の「翡ひ」はオスを、「翠すい」 はメスを表すと同僚の武島正則先生から教わっ た。カワセミはその昔、「清流の宝石」と言わ れていたが、鳥たちもさすがにエサが無ければ 生きられない。清流でなくともエサがいればど こにでも現れる。最近はエサのいる海にも出没 するようになってきている…。
(つづく)
呼びかけに笑顔で現れたリュウキュウアカショウビン