常任理事 金城 忠雄
左より勝子夫人、友寄英毅先生、新垣善一先生
友寄英毅先生日本医師会最高優功賞受賞、新 垣善一先生旭日双光章受章を心からお祝い申し上げます。
平成25 年11 月26 日(火)沖縄県医師会主 催で、ANA クラウンプラザホテル沖縄ハーバ ービューにおいて両先生のご業績を称えた祝賀 会が開催されました。来賓や多くの方々が出席 され喜びを共にされましたので祝賀会の模様を 報告いたします。
初めに、主催者を代表して沖縄県医師会宮城 信雄会長から、両先生の沖縄県における医療保 健活動を通して、県民生活の向上へ貢献された 永年のご労苦に対するねぎらいと感謝の言葉が 述べられました。次いで、友寄英毅先生の業績 を那覇市医師会真栄田篤彦会長と新垣善一先生 の業績を中部地区医師会中田安彦会長から紹介 されました。
友寄英毅先生については、那覇市に友寄内科 胃腸科を開業のかたわら、那覇市医師会長の重 責と医師会活動の向上や学校保健活動、特に准 看護師をはじめ看護師養成活動の業績が紹介されました。
新垣善一先生については、胸部外科専門医と して県立中部病院で活躍の後開業され、中部地 区医師会長の重責と学校保健活動、特に地域医 療・公衆衛生向上への貢献が紹介されました。
来賓祝辞は、沖縄県福祉保健部崎山八郎部長 から、永年にわたる保健・医療・福祉の向上に 貢献されたご労苦に対するねぎらいの言葉が述 べられました。
その後、記念品・花束贈呈が行われ、お二人 の先生方からお礼のご挨拶が述べられました。
乾杯の音頭は、本来ですと沖縄県医師会代議 員新垣善一議長のお役目ですが、ご本人の祝賀 会でもありますので、本日は長嶺信夫副議長の ご発声となり、乾杯を契機に、和やかな雰囲気 と盛況の楽しい懇親会となりました。
懇親会の合間に、ご両名への祝電もご披露されました。
尚、当日のハーバービューホテルにおける友 寄英毅先生と新垣善一先生の詳細な業績紹介や 祝賀会の模様については、以下の通り報告掲載 いたします。
挨 拶
本日ここに、友寄英 毅先生日本医師会最高 優功賞受賞、新垣善一 先生旭日双光章受章祝 賀会を開催いたしまし たところ、多数の皆様 にご出席頂き、厚くお 礼申し上げます。
友寄先生、新垣先生のご業績は後程詳しくご 披露されますが、お二方ともに地区医師会・沖 縄県医師会役員として長年に亘り会の発展並び に県民の医療・保健・福祉の向上に尽力された ご功績によりこの度の栄誉ある賞を受賞されております。
先生方の輝かしいご功績は、私ども会員はも とより県民だれもが等しく認めるところであ り、本県の医療・保健・福祉の歴史を振り返っ て見たとき、先生がこれまで果たしてきた役割 はいかに大きなものであったかを改めて認識す るものであり、ここに先生方の永年のご労苦に 対し沖縄県医師会を代表して深甚なる敬意と謝 意を表する次第であります。
さて、現在、わが国では世界が経験したこと のない超高齢社会を迎えており、それに伴い、 今後の社会保障の対策が急務となっております。
そのような中にあって、我々医師会が中心と なって急性期、慢性期、回復期、在宅医療と切 れ目のない安心できる地域包括ケアシステムを 構築していかなければなりません。
また、ご高承のとおり、本県の平均寿命は女 性が1 位から3 位に、男性は30 位へと転落し ました。本会では、健康長寿復活に向け、沖縄 県と協力しながら諸事業を展開しております。 まず、安里副会長が中心となって進めておりま す「おきなわ津梁ネットワーク」の構築です。 これは、脳卒中、糖尿病、急性心筋梗塞等生活 習慣に起因する疾患についてIT を活用した地 域連絡クリティカルパスを構築すると共に、特 定健診の受診結果等の保健情報のデータベース を以って、地域の医療連携を図り、住民に切れ目の無い保健医療を提供し、長寿復活を目指す ものであります。また、次代の沖縄を担う児童 生徒にも、自分の健康を考えてもらうため、小 学生向、中学生向けの健康副読本の作成に着手 しております。
沖縄の健康長寿復活は、県民の健康を担う私 ども沖縄県医師会にも責任があると思います。 私ども執行部も全力を挙げて取り組む所存であ りますが、友寄先生、新垣先生におかれまして は、何卒、今後とも卓越したご見識によるご指 導、ご助言を賜り、県民が真に健やかに暮らせ る医療提供体制の構築にお力添えを賜りますよ うお願い申し上げる次第であります。
終わりに臨み、永年に亘って先生方を支えて こられたご家族の皆様に深甚なる敬意を表する と共に、皆さまの今後益々のご健勝とご多幸を 祈念して私の挨拶とさせて頂きます。
業績紹介
この度の友寄英毅先 生日本医師会最高優功 賞受賞に際し、輝かしい 数々のご功績の中から 主なものを簡単にご紹 介させていただきます。
先生は、那覇市医師 会理事、副会長、会長を合計29 年1 ヶ月間務 められるとともに、県医師会の常任理事を8 年 歴任されました。特に平成14 年4 月から平成 22 年3 月までの8 年間は、那覇市医師会長と して陣頭指揮をとり、医師会事業の発展強化と 医の倫理、質の向上に尽力し、開かれた医師会、 親しみを持てる医師会作りに大きく貢献されました。
平成14 年4 月から平成24 年3 月まで、那 覇看護専門学校の学校長を務め、学生生徒の資 質向上とともに教務職員の能力向上のために、 県内外の研修・講演会への参加を積極的に行い、 平成21 年4 月より正看護師養成コースを設置 され那覇看護専門学校の強固なる基盤作りにご 尽力され、看護教育に多大なる功績を残しております。
なお、地域保健活動の取り組みとして、学校 保健活動を活性化するために「学校保健委員会」 を早期に設置し学校保健の環境を整備、学校医 の資質向上に向け、全国に習い、昭和53 年「那 覇市医師会学校保健学校医大会」を企画し実施 されました。
沖縄県医師会においては、平成10 年4 月か ら平成18 年3 月までの8 年間にわたり沖縄県 医師会常任理事を務められ、会内はもとより関 係団体との調整窓口となり、県医師会の会務運 営、事業推進の要役として会の発展に多大な貢 献を果たされました。
平成11 年の医政教習所記念碑の再建、およ び、平成12 年7 月8 日・9 日の2 日間に亘っ て沖縄県医師会の主催により開催した全国規模 の第23 回プライマリ・ケア学会においては、 財務担当理事をし、平成17 年度には沖縄県医 師会の担当により開催した九州医師会連合会諸 行事を無事成功裡におさめました。
祖国復帰から県医師会館建設に至るまでの、 36 年余に亘る沖縄県医師会の歴史を記した「沖 縄県医師会史第2 巻」を発刊致しましたが、先 生は編纂委員会委員長としてその手腕を遺憾な く発揮されております。この内容はこれまでの 会史とは一線を画しており、先生の立案により コラムの章が加えられ、団体史と個人史を盛り 込む親しみやすい内容となりました。本書は沖 縄県医師会の歴史のみならず、沖縄県の医療史 を知るうえでも貴重な存在となっております。
以上のような友寄英毅先生のこれまでの長年 に亘るご功績が認められ、日本医師会最高優功 賞受賞の栄に浴されております。先生のこれま での御苦労に対し、改めて深甚なる敬意と感謝 の意を表すると共に、今後とも御健勝でご活躍 されん事を祈念いたします、また先生を長年支 えて下さいました奥様に対しても感謝並びにお 祝いを申し上げたいと思います。この度の受賞、 誠におめでとうございます。
この度の新垣善一先 生旭日双光章受章に際 し、輝かしい数々のご 功績の中から主なもの を簡単にご紹介させて いただきます。
昭和47 年、祖国復帰 する前の沖縄の医療事情は劣悪であり、その郷 土沖縄を憂い愛する気持ちから先生は帰郷を決 意し、日本政府沖縄派遣医として中部病院に派 遣されました。以来今日まで約41 年間に亘り 医師としての見地から本県の地域医療・保健・ 福祉の向上にご尽力されました。
先生は、多忙な日常診療にも関わらず昭和 55 年4 月より平成10 年3 月までの間、中部地 区医師会理事、副会長、会長を合計18 年間に 亘って務め、医師会活動発展に多大なる功績を 残されました。
中でも、昭和63 年に開設された中部地区医 師会会館の建設に際して、先生は会館建設設立 準備委員会、会館建設委員会の担当理事として 会館予定地の購入から、基本設計、事業計画等 を統率され、その手腕が高い評価を受け昭和 61 年より副会長に就任されました。
また、中部地区医師会では、昭和53 年11 月より平成12 年3 月まで運営された沖縄市救 急診療所に21 年間に亘り医師を派遣しており ましたが新垣先生は中部地区医師会役員として 昭和61 年より平成10 年までの13 年間に亘り 同診療所運営委員会委員として地域救急医療に ご尽力されました。
更に、平成6 年から平成10 年までの4 年間、 会長に就任され、予防接種事業の個別化への移 行、中部地区医師会立訪問看護ステーションの 開設、中部地域産業保健センターの開設など 数々の事業をスタートさせ、地域住民の健康保 持・増進や中頭学校保健協会名誉会長として学 校保健の発展に情熱を傾注されると伴に、会員 の福祉・医療問題など、何時でも先頭に立って リーダーシップを発揮されてこられました。平成16 年からは現在までの9 年間に亘り、沖縄 県医師会代議員会議長を務められ、県医師会の 会務運営にご尽力されております。
また、平成9 年に開催された第29 回九州地 区医師会立共同利用施設連絡協議会においては 担当地区医師会長としてその力量を如何なく発 揮され、約600 名もの参加者を得て、会を成 功裡に終えることができました。
その他にも昭和57 年から現在まで31 年間 の長きに亘り、宜野湾警察署嘱託医として沖縄 県の保安保持を担うと共に、平成元年から平成 23 年までの22 年間、宜野湾市国民健康保険運 営協議会委員として、医師としての見地から健 康保険の運営についての意見を述べると共に、 その健全運営に向けご尽力されました。
以上のような新垣善一先生のこれまでの長年 に亘るご功績が認められ、この度、旭日双光章 受章の栄に浴されております。
新垣先生のこれまでの御苦労に対し、改めて 深い敬意と感謝の意を表すると共に、今後とも 御健勝でご活躍されん事を祈念いたしまして、 簡単ではございますが、業績紹介を終わります。
この度の受章、誠におめでとうございます。
来賓祝辞
友寄英毅先生日本医 師会最高優功賞受賞・ 新垣善一先生旭日双光 章受章祝賀会が開催さ れるに当たり、お祝い の言葉を申し上げます。
友寄英毅先生の日本 医師会最高優功賞の受賞、新垣先生の旭日双光 章の受章、誠におめでとうございます。
両先生の長年に亘る御功績は、医師会活動の 発展に寄与し、本県の地域医療、保健、福祉の 向上に多大な貢献をもたらしたもので、その御 尽力に対して深く敬意を表します。
県では、地域医療の質の充実を図り、切れ目 のない医療を提供する体制の確保に努めるとと もに、「健康・長寿おきなわ」の維持・継承と長寿日本一の復活を目指して県民の健康づくりに 関する施策を推進して参ります。沖縄県医師会 におかれましては、今後とも一層の御支援、御 協力をいただきますようお願い申し上げます。
結びに、今回の栄えある表彰を受けられまし た、友寄先生、新垣先生の今後益々の御健勝と 御活躍を祈念するとともに、本日の祝賀会を開 催された一般社団法人沖縄県医師会の御発展と 会場の皆様の御健勝と御活躍を祈念申し上げ、 お祝いの言葉といたします。
謝 辞
本日はこの様に盛大 な受賞祝賀会を開催し て下さいましてありが とうございます。
皆様にはお忙しい中 を御出席下さり心から 御礼申し上げます。
県福祉保健部長崎山八郎先生にはご丁寧な御 祝詞を賜りましてありがとうございます。県医 師会長宮城信雄先生、那覇市医師会長真栄田篤 彦先生には過分な業績紹介をして頂き大変恐縮 しております。
去る11 月1 日に開催されました第66 回日 本医師会設立記念医学大会におきまして、素晴 らしい式典の下、名誉ある最高優功賞を拝受い たしました。この賞はひとえに会員の皆様、医 師会職員の皆様、関係機関の皆様の御支援の賜 物であり、心から感謝申し上げます。
受賞の理由が「医師会活動を通じて看護師養成 に貢献した功労者」となっていますので、那覇市 医師会の看護学校について少しお話しします。
「那覇看護専門学校」は、今から42 年前に 當山堅次先生はじめ先輩の先生方が設立され た「那覇准看護学院」を前身とし、幾多の変遷 を経ながら現在の学校に至っています。豊見城 市に所在する学校の用地を取得するために那覇 市医師会の全会員で行う定期学童検診の検診料 30 年分と特別会費を投入したことも那覇市医 師会の大きな事績の一つであります。これまでに准看護学科4,954 名、進学課程及び看護学科 985 名の人達が本校を卒業し、県内外で看護職 者として活躍しています。残念ながら色々な事 情のため平成26 年3 月で准看護学科を閉科し ます。会員の皆様に多大な御迷惑をかけますこ とを申し訳なく思っています。
新しい「那覇看護専門学校」は看護学科入学 定数120 名、県内最大規模の学校となって再出 発します。本校は多くの病院、医院や保健福祉 施設に臨地実習でお世話になり、又多くの方々 に外部講師を依頼していますが、皆様にはこれ まで通り「那覇看護専門学校」の運営に御協力、 御支援下さいますようお願い致します。
私も、家内ともども健康に気をつけながら微 力ではありますが、地域医療に少しでもお役に 立つよう努めてまいりたいと思っています。ど うぞ今後とも宜しく御指導下さいますようお願 い致します。
本日は誠にありがとうございました。
この度、平成25 年度 秋の叙勲に際し、はか らずも旭日双光章拝受 の栄に浴し光栄なこと と感激致しております。 これもひとえに関係す る皆様方の御指導、御 高配の賜物と心より感謝申し上げます。
今後は、この栄誉に恥じることのないよう心 掛け微力ながら一層の精進を致す所存でございます。
顧みますと、私は昭和46 年、中部病院新垣 淨冶先生、那覇病院の田端辰夫両先生に「学業 も終って何時まで大学に残っているのか」と東 京麻布のホテルの一室で詰問され、復帰の年1 月1 日付けで中部病院に赴任致しました。そし て6 年間の勤務を経て、昭和53 年6 月開業しました。
開業後間もなく中部地区医師会長の新里仁達 先生から理事就任を要請され爾来18 年間医師 会役員として務めました。
ところで、会館の件は復帰前より課題とな っており第4 代会長の大田為雄先生は、予防 接種手技料を積立て会館建設の資金に充てる よう決議しています。新里会長は積立金の一 部を活用し、同56 年会館用地として約千坪を 取得しています。けれども先生は病のため急 逝されます。そこで後を受けて桑江朝彦先生 が会長に迎えられます。桑江先生は強いリー ダーシップを発揮して同58 年1 月会館設立準 備委員会を発足、新里吉一委員長の下、会館 建設と臨床検査事業、人間ドック他、諸々の 課題を検討し、同委員会は会館建設委員会と 名称変更し翌59 年3 月臨時総会において承認 されました。
事業概要は決まったものの、その機能と規模 についてはまだまだ問題があり、種々悩んでい たところ、北部の照屋会長から日本自転車振興 会の方で「成人病健診センター」なら補助が見 込まれるとの情報があり大浜参議院議員に連絡 し、同振興会に案内して頂いて事業計画の説明 を致しました。その際先生から国内の同様な施 設を視察し勉強するよう教示され、福岡成人病 センター、糸島郡医師会病院を視察致しました。 その後同振興会から補助金の許可が得られ、こ こに資金の大枠が決まり、昭和61 年6 月定期 総会で事業計画が承認されました。時代は益々 高齢化、少子化が進行し健康志向の現状をみる とセンター機能は将来大きな力を発揮すると確 信致しました。
昭和63 年3 月31 日、中部地区医師会の活 動拠点となる会館と検査センターが完成し現在まで多くの関係者の皆様の御指導、御協力によ り大変順調に推移しており、この場を借りて感 謝と御礼を申し上げます。
さて、最後になりましたが、本日は公使とも に御多忙の中、来賓の崎山八郎福祉保健部長始 め、多くの会員の皆様の御参会の下、かくも盛大 な祝賀会を開催して下さいました宮城会長、役 員の皆様、又県医師会の職員に心から敬意と御 礼を申し上げます。本当に有難う御座いました。
新垣先生を祝福する宮里尚義先生
左から安座間隆先生、友寄先生ご夫妻、安座間順子夫人
新垣先生を祝福する潮平芳樹先生
左から那覇市医師会末吉局長、平良直樹先生、山城千秋先生
友寄先生ご夫妻、真栄田篤彦先生、高良英一先生
喜屋武邦雄先生、喜久村徳清先生