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なんかおもしろいこと

山口健

リハビリテーションクリニックやまぐち
リハビリテーション科
山口 健

「なんかおもしろい事ないかなあ」が私の口 癖である。学生時代ラグビーをしていてスポー ツが好きだった事と父親が整形外科医であった 事もあり、整形外科医の道を選んだ。琉球大学 の整形外科医局に入局し研修した。学生時代の 不勉強がたたり、毎日新しい事を学ぶようだっ たがおもしろかった。

整形外科医になって5 年目になった頃、リ ハビリテーション(以下リハ)が気になり始め た。「なんかおもしろそう」と思ったわけであ る。今はリハ科の専門医になり指導医になった が、当時リハ科の存在を知らなかった。私が卒 業したのは平成4 年、リハ科が標榜できるよう になったのが平成8 年(それ以前は理学診療科 という名称であった)。その上現在でもリハ科 の講座を持つ大学は少なく、知らなかったのは 仕方が無かったと思っている。

卒後7 年目に東海大学のリハ科で研修する機 会をいただき3 年間リハ医学とリハ医療に触れ る事ができた。疾患を治療してもなお残る「障 害を見る事」の大切さを知ることができた。整 形外科疾患のみならず脳卒中や神経・筋疾患、 嚥下障害、排尿障害、言語の障害なども含めて 勉強する必要があった。想像以上の整形外科と のギャップに苦しむ事もあったが徐々にリハ科 のおもしろさがわかってきた。そして、リハの チーム医療の大切さもコミュニケーションの大 切さも知った。それらを学んでいく事もとても おもしろく感じた。

さて沖縄に戻った時、沖縄のリハがあまりに 遅れている事に愕然とした。リハ科の専門医は 県内にたった4 人であった(現在23 人)。琉 球大学のリハ部には当時リハスタッフが3 人し かおらず、患者のほとんどが整形外科疾患。脳 卒中や外科の術後廃用性筋力低下などのリハは依頼すら出ていない事も多かった。失語症や嚥 下障害のリハなどはお目にかかれなかった。リ ハ室の増築とスタッフの人員増加、整形外科以 外の患者増加に力を入れ、4 年後にはリハ室の 増築とリハスタッフの増加が得られ、これもま たおもしろかった。

その後、沖縄リハビリテーションセンター病院では回復期のリハに携わった。

日常の診療では、装具外来、嚥下造影、神経 伝導検査、筋電図検査等を行い、下肢の痙縮に 対する手術や脳卒中と変形性膝関節症の患者に 対する人工関節手術も経験した。さらに高次脳 機能障害支援拠点機関の仕事にも携わる事がで きた。これもまた非常におもしろかった。

沖縄県更生相談所の嘱託医もおととしまで 10 年以上続ける事ができた。非常にたくさん の補装具を処方し、学ぶ事ができた。離島への 巡回相談では障がいがある方の在宅生活の状況 を見る事ができ大変勉強になった。一時期は今 はなくなってしまった沖縄県立更生指導所の嘱 託医も兼任していた。また、ほぼ同一の期間、 沖縄県の社会福祉審議会の委員も務めさせてい ただいた。ここでも学ぶ事は多くおもしろい仕事であった。

そして今開業医になり、維持期のリハについ て考える。急性期や回復期では見られない様々 な問題がある。医療と介護、福祉の隙間はまだ まだ大きい。リハ科の医師としてどのように関 わっていけるだろうか。そもそも外来リハを受 け入れている医療機関が少ないのではないか。 若年者の脳損傷、成人脳性麻痺者、小児施設の リハ、離島在住者、医療リハの逓減制など問題 は上げればきりがない。

卒後21 年48 歳になる。改めて書いてみる と、いろいろな仕事をしてきたものである。い ずれの仕事も課題は多く、やりがいはある。沖 縄県のリハ医療はまだまだ医師の人材不足が著 しい。医療のみならず福祉の分野ではなおの事、 医師の理解が不足していると感じる。まだまだ 「なんかおもしろい事」はいっぱいありそうだ。