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「午年(うまどし)に因んで」

林成峰

沖縄県立南部医療センター
こども医療センター消化器内科
林 成峰

ひのえうま(丙午;へいご)は、十干(甲・乙・ 丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸)と十二支(子・ 丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥) との組合わせで出来る60 通り(偶数同士、奇 数同士の組み合わせになり、120 通りの半分に なる)の一つの年で、西暦年を60 で割って46 余る年が丙午の年となる。直近でいえば1966 年(昭和41 年)で、次回が2026 年(平成38 年)である。

そこで、丙午の語源やその言い伝えについて 調べてみた。十干で丙(ひのえ)=火の兄を表 し、方角を示す十二支で午(うま)が真南、す なわち最も熱くエネルギーの強い方角を示すた め、丙午は、火の兄(ひのえ)+午(うま=真 南=熱い)という最もエネルギーの強いものが 重なり合った性質を持つ組み合わせになること から、「その年に生まれた女性は気が強い」、「火 災が多い」などの迷信が生まれた結果、その年 生まれの女性は気性が激しく、夫を尻に敷き、 夫の命を縮めるとされ、死後「飛縁魔(ヒノ エンマ)」という妖怪になると伝えられている。 小生の同級生の殆どは丙午生まれであるが、別 に気の強い女性ばかりとも限らない。無論、し とやかで物静かな女性も結構いる。ちなみに、1966 年生まれの有名人女性(敬称略)を列挙 してみると、村上里佳子(= RIKACO。モデル、 タレント、女優)、小泉今日子(歌手、女優)、 森尾由美(女優)、森口瑤子(女優)、永井真理 子(シンガーソングライター)、国生さゆり(女 優、タレント)、伊藤かずえ(女優)、中村あゆ み(シンガーソングライター)、益子直美(元 前日本バレー女子選手、タレント)、斉藤由貴(歌 手、女優)、広瀬香美(シンガーソングライター)、 有森裕子(元女子マラソン選手)といった面々 が、その他丙午年生まれの女性有名人には三田 寛子(女優)、早見優(タレント・歌手)、ソフ ィー・マルソー(女優)、安田成美(女優)、江 角マキコ(女優)などが挙げられる。

資料1

資料1

冷静に考えれば、迷信そのものであると分か るものであるが、江戸時代中期には特に信じら れていたようである。1846 年(弘化3 年)の 丙午には女児の間引き、1906 年(明治39 年) の丙午では前年よりも出生数が約4%も減少 し、丙午生まれの多くの女性が結婚できなか ったとも言われている。さらにこの迷信は第 二次大戦終結後にもみられ、1966 年(昭和41 年)の丙午では避妊や妊娠中絶を行った夫婦が 多く、出生率が約25%も低下した。そんな昭 和41 年に産声を上げたのが、小生夫婦を含む、 136 万974 人で、その前後での出生数が多かっ たのは丙午の余波といわれている(資料1 参 照)。翌1967 年の早生まれを含む1966 年に出 生した子供の高校・大学受験が他年度よりも容 易であったかという検討では、大学一般の入学 率では有意差を認めなかったものの、1985 年 における国公立大学への進学率は他年度に比べ 上昇したようである。少子化に直面した親の、 子供への教育に対する熱心さと意識の高さを反 映したものではないかと想像してしまうが…。

山形市では、子どもを産む産まないで離婚調 停に至ったり、近所から嫌がらせを受けたなど の相談が多発したことから、1965 年11 月に法 務省山形地方法務局が主催となり、ひのえうま 追放運動の一環として市内パレードで啓発を呼 びかけたこと、群馬県粕川村(現・前橋市粕川 町)役場が1906 年とその前後の年に誕生した女性1400 人の調査結果で丙午には根拠がない ことを、村長主導で「迷信追放の村」宣言を広 報したとの記載がある。文仁親王妃紀子(現秋 篠宮妃紀子殿下)が1966 年の丙午生まれとい うことで、この迷信も薄まりつつあるが、この 少子化時代、何はともあれ、2026 年の出生率 が下がらないよう祈りたいものである。