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「オキナワン・スピリッツ」

西関修

沖縄県立南部医療センター・こども医療センター
西関 修

医師となり、来年で24 年目、干支で言うと 三回り目に入る節目に、原稿の依頼をいただい た。「午年に因んで」ということであったが、 これまでを振り返り、これからを展望した時、 自分にとって「午年」が意外に人生の転機に一 致していることに気付いた。各区切り毎、自分 なりに意味付けをして振り返ってみた。

卒後臨床研修のため沖縄を訪れたのは、大学 を卒業した平成2 年、庚午(かのえうま)の 年、24 歳の5 月だった。本土からきた自分に とっては、カルチャーショックと、過酷な研修 プログラムにもまれ、昆虫が幼虫から成虫に変 わる蛹の時期のように、一旦は完全に練られてから形となった時期である。4 年間の中部病院 での研修、1 年間の北部での経験から、「外科 医」としての一歩を踏み出すところまで漕ぎ着 けた。6 年目からは、出身大学へ戻り、新たに 形成外科医となるべく研修を始めた。「外科医」 としての「いろは」と「守備範囲」は十二分に 習得し、下地は十分に拵えておいたつもりであ ったが、新しい種目「形成外科」はその「守備 範囲」の広さに圧倒された。それでも専門医の 資格を得るに至り、一段落できた。

ある知人の医師が、研修医時代を「医者の青 春時代」と称していたが、人生の「青春時代」 と同じく、希望に燃えると同時に、逆境にも数 多く出会う、楽しくもつらい時期である。はじ めの区切りで2 度の「青春時代」を自分は経験 できたと思う。

平成14 年、壬午(みずのえうま)の年、7 年間の本土での生活に区切りをつけオキナワへ 還ってきた。実は、本土に帰った当初から、自 分の中では、「オキナワン・スピリット」とも いえる気持ちがくすぶっていた。沖縄での研修 で学んだことは、医学、医療の知識、技能のみ ではなく、自分が学ぶとともに、人を教える楽 しみの中で、自分もまた育てられるコトであっ た。その空気のなかで呼吸がしたくて、近くに いる研修医をつかまえては、疑似的に「屋根瓦 方式」の関係を作ってみたり、小さな冊子を作 り、そのシステムを共有できるよう努力してい た。そんな矢先、中部病院へ戻った。

7 年ぶりの中部病院では、まわりの研修医た ちは特に手をかけなくても「屋根瓦方式」に染 まっていった。中部病院という「古酒(スピリ ッツ)」の甕に入門する新研修医たちは、古酒 に仕次ぎされる新酒であり、注がれた甕のなか で、熟成され、4 年物、5 年物となって旅立っ てゆくのである。慣れ親しんだ空気のなかで、 自分自身も改めて熟成される思いであった。途 中カナダ留学の機会を得た後、6 年前に現在の 病院に赴任した。当院は、新臨床研修制度が始 まってから毎年研修医の数を増やし、年々卒業 生を輩出しているが、まだ古酒の文化はその途 上である。これまで指導した研修医の何人かは自分のスピリットの種をもって巣立っていっ た。昨年より、自分の考えるスピリットを共有 すべく冊子の作成とそれを用いた研修医指導に 取り掛かり始めたところである。

平成26 年、甲午(きのえうま)の年、自分 自身の成長というよりは、これまでに蓄積した ことに対する熟成の過程にどっぷりつかりた い。また、指導医の一人として、当院の「甕」 を形作り、守る一員として、しっかりした「古 酒」文化が出来上がるように尽力したい。

ところで、その次にむかえる、平成38 年、 丙午(ひのえうま)の年には、自分の人生にお いて沖縄滞在期間が人生の半分を超える。その とき、どのような「古酒(スピリッツ)」に浸 かっているのか、今から創造力を膨らませなが ら、新年に臨みたい。