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「午年」生まれの私の記憶と抱負

清水健

しみず胃腸内科21 清水 健

今回広報担当 平良先生(浦添市医師会)か らの推薦で年男として「午年に因んで」一筆書 かせていただくことになりました、しみず胃腸 内科21 の清水健です。日々「馬車馬」のよう に働く中、過去の自分を思い起こすことも滅多 にないため、今回はとてもよい機会になったと 思っています。

早速生まれてから今まで、年男の「午年」に 自分がどのような状況であったか過去の記憶を たどってみたいと思います。

12 歳(昭和53 年):

小学6 年生の私は米国に住み、何事も積極的 に発言、行動することを徹底的に教え込まれま した。おかげで翌年日本に帰国してからは日本 の中学校で同級生と「馬が合わず」、目だっては いじめられるという悲惨な学生生活でした。し かも昭和41 年は「丙午:ひのえうま」であった ため特に女子の出生率が低く、同級生の女子が 少ないことを言い訳に一人ほろ苦い青春時代を 送りながら勉学に励んでいた記憶があります。

24 歳(平成2 年):

2 年遠回りをして入学した千葉大学医学部の 5 年生だった私は、その頃流行のスキー、テニ ス、コンパなどの余興に明け暮れ、失った青春 を取り戻す日々を送っていました。その後何と か卒業、国家試験に合格し、大学生の頃に知っ た大都会東京の大病院で働く生活に憧れ、周囲 の忠告にも「馬耳東風」、東京女子医科大学附 属病院消化器内科に入局しました。

36 歳(平成14 年):

10 年間大学病院とその関連病院でまさに「馬 車馬」のごとく働き、消化器内科の専門的な内視鏡治療や手技を習得した自分は、ちょうどこ の年の半年前、縁があって沖縄の地に降り立っ ていました。沖縄での生活は、休日のひと時小 学生だった子供たちと一緒に美しい海で遊び、 かけがえのない思い出がつくれた有意義なものでした。

そして48 歳になった今年平成26 年、ちょ うど平成20 年1 月の誕生日に開業したクリニ ックも6 年目を迎えました。実は昨年末ひそか に心の中で「沖縄県の大腸癌死亡率を全国一に 減らしてみたい」という突拍子もない目標を掲 げたことを、「にんじんを目の前にぶらさげた 馬」になった気持ちで、この場を借りて発表し たいと思います。今年からこの目標に向かって 「競走馬」のようにスタートダッシュしようと 思っていますので、今後ともどうぞよろしくお 願いいたします。