名嘉村クリニック 幸喜 毅
昔、中国と胡の国との国境の砦(塞)の辺り に一人の老人(翁)が住んでいた。老人が学生 の頃、理系の組から文系の組に移ることを希望 したが、担任から「それは逃げているだけだ」 と言われそのまま理系に残ることになり、理系 の友人から良かったねと言われた。老人は「こ れがどうして不幸にならないことがあろうか」 と言い、その後某大学の工学部を受験したが落 ちてしまった。友人から残念だったねと言われ、 老人は「これがどうして幸福にならないことが あろうか」と言い、翌年某大学の医学部を受験 して受かってしまった。その後、大学卒業間近 に精神科に入局することが決まり、周りの者か らも良かったねと言われたが、老人は「これが どうして不幸にならないことがあろうか」と言 い、全く予定していなかった内科に入局をした。 そして研修医生活を経て循環器診療に興味を抱 いた老人は心臓超音波検査の研修なども受け始 めていた矢先に、内分泌の甲状腺の研究のため 日本の滋賀県に行くことになった。友人から残 念だったねと言われ、老人は「これがどうして 幸福にならないことがあろうか」と言い、2 年 間の研究に勤しんでのち米国の私家御(しかご) 大学に3 年間の留学をすることができた。そ ののち再び元の大学の内科医局に戻り内科医と しての臨床生活を送るなか、同期からも良かっ たねと言われた。老人は「これがどうして不幸 にならないことがあろうか」と言い、それから の10 年は筆舌に表しがたい生活を送ることに なった。老人は、ふと病院を辞めることを決意 し、別の分野で有名な医院に勤務することにな った。周囲からは大変だねと言われたが、老人 は「これがどうして幸福にならないことがあろ うか」と言った。その瞬間、老人は長い夢から 醒めた。齢60 の年始にこれまでの人生を振り返るような夢を見るのも奇妙なものだ。あれか らの12 年は左程のこともなく幸せに生きてい るような気がする、老人はそう思った。それに しても、どうしてこんなにも揺ら揺らと生きて きたのだろう。老人の丙午(ひのえうま)生ま れ故がおこしたことなのか。
丙午とは、60 年に一度やってくる干支の一 つである。丙午生まれの女性は気性が激しく 夫の命を縮めるという迷信は、江戸時代初期 に放火の罪で火あぶりにされた八百屋お七が、 1666 年の丙午生まれだったことから広まった とされる。時代を経てもこの迷信は続き、世の 隅々まで流布されていくこととなる。1906 年 (明治39 年)の丙午では、前年より出生数が約 4%減少。夏目漱石は小説『虞美人草』におい て主人公の男を惑わす悪女、藤尾を『藤尾は丙 午である』と表現している。そして迷信は昭和 になってますます強くなり、法務省山形地方法 務局主催の「ひのえうま追放運動」などが展開 されたにも関わらず、1966 年(昭和41 年)の 出生率は前年に比べて25%も下がる影響があ った。そのためこの学年度の高校受験、大学受 験が他の年より容易だったかについてはしばし ば議論にのぼる話題であったが、確証には至っ てない。ただ少なくとも、4 分の3 に減った中で、 生物学的にみて競争に対する執着度が低くなる ことは想像に難くない。塞翁もそのような一人 だとしたら揺ら揺らと生きてきたのも合点が行 く。そんな生き方の善し悪しは誰も知らないこ とではあるが。人間万事塞翁が丙午、平成の丙 午生まれが、そのことを明らかにしてくれるだろうか。
外はまだ暗いもう一眠りしよう、老人はそう考え深い寝息を立て始めた。