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午年(うまどし)を迎えて思うこと

神山琢郎

かみやま皮フ科 神山 琢郎

今年は午年で私の干支となっている。私の生 まれは昭和41 年でいわゆる丙午(ひのえうま) の年で、この年だけ出生数ががくんと下がって いるのは誰でも知っていることだと思う。生ま れ年がどのような年であったかネットで検索してみた。

有名な出来事としてはビートルズの訪日した年であった。人口が1 億人を超えた年であり、 全共闘が活発化していった年であった。

同い年の芸能人としては、小泉今日子や森尾 由美、伊藤かずえなどがいる。沖縄でのその当 時の出来事としては前年昭和40 年に佐藤総理 が戦後初の総理大臣として沖縄に来県し沖縄返 還の道筋をたてていった年であった。

私の生まれた年はそのような年であった。こ の世に生を受けてもうじき半世紀が経とうとし ている。東京オリンピックは私の生まれる2 年 前開催されまたあと7 年後に2 回目が開催され ようとしている。オリンピックも半世紀ぶりの 開催となる。

この半世紀のうちに私たちの生活は何が変わ ったのであろう。イケイケどんどんの高度成長 期からバブルの崩壊を迎え日本は長い冬の時代を経験した。

日本が成長できない間に経済的な急成長を遂 げた隣の国々が自信をつけて日本にいちゃもん をつけるようになってきた。

もう少し生活に密着した意味での変化を考え てみると1950 年台3 種の神器と言えば白黒テ レビ・冷蔵庫・洗濯機だったものが1960 年中頃、 新3 種の神器としてカラーテレビ・クーラー・ 自動車がもてはやされるようになった。現在テ クノロジーの進化は目を見張るものがあり携帯 電話にせよipad にせよ50 年前には想像もでき なかったものであふれている。

実際あまりのテクノロジーの変化の度合いに 誰もが追いつけなくなってきた。昔ほどの感動 もだんだんなくなってきている。

ipad が初めて発売されたとき、本当の意味の 未来が手に入ったと思ったものである。あの薄 っぺらなスクリーンがPC になりテレビになり 本棚になりナビ機能搭載の地図になる。ドラえ もんのポケットのようである。でも中学生の頃 に感じたウォークマンの感動には到底かなうも のではなかった。あの小さなイヤフォンから聞 いたこともないほど美しいステレオの音楽が聞 こえてくる。たったそれだけなのに感動は100 倍であった。(正確に言うとipad の方が断然音 はきれいなのだが)

結局これからも、もっともっとテクノロジー は進化しマンガの世界で未来を予想したそうい う生活が待っているだろうけれども。

そういう進化はたぶんに人間の根本的なもの にはかかわらないのであろう。だからそういう ものの変化を50 年で考えてみてもあまり意味 がないのかもしれない。

昨年友人とともに伊勢神宮にお参りに行っ た。1300 年変わらないこの社を参拝して考え た。結局のところ日本人という国民は何も変わ っていないのではないか。

大きな戦争を経験し敗北し経済戦争にも負け た。でもあいかわらずお伊勢様を参拝し朝日を 拝み農作物に感謝する。この長い年月で根本的 には何も変わっていないのであろう。

50 年の年月の移ろいを感じながら突飛のな い話になってしまった。今年1 年よい年でありますように。