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午年に因んで

吉里時雄

吉里小児クリニック 吉里 時雄

昭和56 年に医学部を卒業して32 年が過ぎ た。平成7 年に中部病院を退職して以来19 年 がたち、平成12 年に開業してから13 年が過ぎ た。人生の半分以上を医療に従事し、その半分 以上を個人診療を行なって過ごした事になる。

開業以来、患者登録者数が1 万2 千人を越え、 一般診療、予防接種、低身長症に対するホルモ ン補充療法、心疾患児の経過観察等を行なって いる。とりわけ気管支喘息の重症児が多い事が 特徴である。その礎になるエピソードがある。 それは中部病院勤務時、喘息を専門にしていた スタッフが退職し、急に550 人の喘息児の診 療を任される事になった。早速内科呼吸器専門 の宮城征四郎先生の下に相談に行き、一冊の専 門書を紹介された。英国で発刊された吸入療法 を主体とした喘息専門書であった。それに基づ いて患児のケアーにあたり、満足の行く成果が 挙げられた事に感動した事は今でも忘れられな い。感謝の一言である。

ところで、IT 技術が我々還暦を迎える年代 にとって理解し難い程超高速で進歩するこの 頃、面白い現象がある。それはクリニックを初 診で受診する喘息児の紹介者の多くは、おばあ ちゃん達という事である。それも多くの場合重 症である。大抵は2 〜 3 回の入院歴がある。最 重症例は2 年前に例によっておばあちゃんに紹 介された患児で、2 箇所の総合病院に計40 回 入院した児である。ICU に4 回入室し、その 内1 回は人工呼吸管理をされた事がある。最 近は吸入療法を含め総合的な治療により軽症化 し、通学日数も増えてきている。当然インター ネットを調べて来院する人もいるが、デジタル 化がどんなに進んでも、おばあちゃん達の情報 源は井戸端会議を通じて得られていると思われ る。開業以来、吸入療法を施行した例数は850例以上にのぼる。

私には医療と共に、かなりのエネルギーを費 やしてきた事がある。それは父母が家業として 営んできた、いなりとチキンの製造、販売のサ ポートである。約半世紀以上にわたり営まれて いるが、あるエピソードをきっかけに、本気で サポートしようと思いついたのである。それは、 中部病院勤務時、K 内科医師が、浜比嘉島に検 診に行った際帰りに「これは地元で有名ないな りです」と勧められ食べた所、おいしくてお土 産まで持ち帰ったとの事。医局でそのいなりを にこにこしながら、私に見せて「これは何だか 分かりますか」と聞くではないか。我が家のい なりだよと言うと、「こんなおいしいいなりだ ったらもっと近くに店を出したら、お客さんに とっても好都合で売り上げも伸びるよ」と言わ れた。思い出してみると実家に帰る度に母が「遠 くからお客さんが来るようになった」と聞かさ れていた。たまにはあるだろうぐらいに考えて いた。実際は、かなりの実績を挙げており、営 業を拡大しても良い頃であった。その頃母に「こ のいなりのお陰でお前は医者になれたんだよ」 と言われ、学生時代の4 万円の仕送りの事を思 い出した。急に使命感みたいなものが萌え出し、 遂に家内と二人で両親に相談に行った。当初は 年齢を理由に断られたが、平成8 年私の自宅一 階にて営業開始し、その後業績を伸ばし、現在 は兄がうるま市で、妹が沖縄市で、長男が宜野 湾市で独立して営業している。

一昨年、全国区の番組でもとりあげられ、生 存中はマスコミ嫌いの父ではあったが、天国か ら母と二人で喜んで見ていたかもしれない。

医業と飲食業、全く別の分野ではあるが残 りの人生も情熱をもって取り組みたいものである。