沖縄県医師会 > 沖縄県医師会の活動 > 医師会報 > 1月号

Shall we play violin?

沖縄協同病院 諸見川 純

「3 〜 4 歳から始めないとバイオリンは弾け ない」というまことしやかな言説が流布されて いる。1974 年にグレープが発表した「精霊な がし」の曲中で流れるバイオリンの音色が長く 耳に残り、いつか綺麗な音色でバイオリンが弾 けたらと思いながら月日が過ぎさっていった。 ICU を中心とした激しく昼を夜に次ぐ臨床の 仕事から開放され、新設の診療所に赴任するこ とになった。ふと、「バイオリンが弾けるよう になりたい」という気持ちが頭をもたげてき た。ちょうどその頃、少子化を見越した市場ニ ーズの開拓ということなのか、ヤマハが企画 する大人のためのバイオリン教室が沖縄でも 始まり、その教室の門をたたくことになった。 先立つものは楽器、はやる気持ちを抑えつつ 楽器専門店に行った。「今頃始めてどうするの」 というふうな店主の冷たい視線に「45 の手習 いですよ」と受け流しつつ、「バイオリンと弓 はセット販売ではなく、別売りです」の声にや っぱりなと思いながら、「 初めからいい楽器 を買うほうが練習が身が入り、何かにつけ得で すよ」と囁く声にふむふむと頷き、手頃な値段 のバイオリン、弓を買い求めての修行開始となった。

それにしてもバイオリンという楽器はどのよ うにして世の中に誕生したのだろうか。木箱に G、D、A、E と5 度づつ離れた弦を張った楽 器は見れば見るほど、考えれば考えるほどよく できている。改良する点があるとすれば、顎と 鎖骨で挟まないと両手が自由にならず、楽器そ のものが弾けなくなる点だけだろうか。、これは実は頑固な肩こりにつながるのだ。楽器製作 の黎明は16 世紀初頭とされているが、様々な 試行錯誤を経て17 世紀イタリアの地で、スト ラディバリ一族、グアルネリ一族等によってそ の頂点に達したとされる。これ以上改良の余地 が無く完成された楽器、中でもアントニオ・ス トラディバリウス、バルトロメオ・ジュゼッペ・ アントニオ・グアルネリは制作者として名高く、 以降300 年余、数多いる世界のバイオリン制 作者をもってしても彼らを超えるバイオリンを 作れないでいるとされ、その製法は今なお謎に 包まれている。

バイオリンの弦を押さえる黒檀でできた指板 には、ギターの様にフレットが無い。だから、 左手でどこを押さえたらどの音が出るか、自分 で習得しないといけない。音の習得には他の楽 器と同じく繰り返すスケール練習が欠かせな い。低音域では普通の指幅でいいが、弦が半分 より上になると音の間隔が半分になり、指をず らしながら押さえないと音が出ない。また弦を こする弓は他の弦に触らずに弾かないといけな いため、正確に肘の位置を決めてできるだけ弦 に直角に弾けるように弾く、など練習すること は山ほどある。比喩的に、音階練習だけで一生 が終わると比喩されるゆえんである。わずか 60 〜 62g の弓が早く弾く際には、その重量さ え重たく感じ、自由にしなやかに動かせない。

ともあれ、教室の門を叩いてからもう14 年 が過ぎることになる。3 〜 4 歳で始めた神童な らもうチャイコフスキーコンクールで1 位に なるとか、一流の交響楽団と共演するとかな るのだろうが、そこは練習不足の凡人のこと、 なかなか上達しないこと甚だしい。しかし、精 霊流しは美しいかどうかは別にして、弾けるよ うになり、バッハだって、モーツアルトだって、 ビバルディだって弾ける様になりました、簡単 な楽譜なら。だから、寝転んでこの文章を読ん でいるそこのあなた、バイオリを始めてみませんか?

Shall we play violin ?