仲本内科 仲本 昌一
沖縄県医師会の皆様、あけましておめでとう ございます。今年還暦を迎えます、那覇新都心 地区で開業しています仲本昌一(なかもとまさ かず)と申します。今年も皆様にとって良き年 でありますようお祈り申しあげます。
さて、私は昭和29 年、甲午(きのえうま) に生を受け、なんの根拠もないが母から「お前 は午年(うまどし)生まれ、サラブレットのよ うに輝いてよい生まれをしている」と言われ、 いつしか自分もその気になり、今でも験担ぎに ついつい馬柄のネクタイなどをします。しかし 現実は厳しく、運動会では足は遅く、苦汁を味 わってきました。今年で干支は一回りし、人生 の折り返し(還暦)に差し掛かっておりますが、 まだ十分に駆け回った気が致しておりません。
振り返ってみますと、医者になるスタートは、 昭和48 年国費留学生として長崎大学医学部入 学にあったと思います。祖国復帰は前年の昭和 47 年でしたので、本土へはパスポートを必要 としませんでした。沖縄育英会から配置大学の 知らせがあり、しばらくして前年度入学の先輩 から長崎大学へ決まった4 人が先輩の沖縄の実 家に招かれ、いろいろと大学の状況ついて説明 があり、下宿も探してもらい大変お世話になり ました。沖縄県人の強い絆に心強く思いました。 長崎へも先輩が同行して船で4 人一緒に行くこ とになりました。
船の門出はなかなか良いものです。見送りに は家族全員が来て、出港に際し桟橋と船の間を 七色の紙テープで渡し、互いに持ち合います。 船はしだいに桟橋から離れて行き、色とりどり のテープは長く伸びて行き、そのうち切れて 船体側と桟橋側に別れます。私は甲板に立ち、 桟橋に立つ両親、兄弟姉妹の姿が小さくなるま で別れを惜しみ見送ってもらいました。その後帰省はスカイメイト制度が普及して便利な飛 行機になりました。もし門出が飛行機であった ら、もう少しあっさりとしたものになったでしょう。
鹿児島港へまる1 日かかり到着し、船から 降りると地面が揺れている感じがなんとも言え ず、さらに8 時間かけて汽車で長崎へ向かいま した。車窓からは田んぼの緑に沖縄ではあまり 見慣れない和風の家々と時に有明海が見えまし た。佐賀と長崎間は単線であり、上りと下りの 行き交いに通過待ちが結構あります。それに加 え先輩は長崎駅で下りず、一駅前の大学に近い 浦上駅で「ここが長崎で一番の繁華街だ。」と 言い私たちを降ろしました。閑散とした駅と通 りにネオンは少なく、相当な田舎へ連れて来ら れた感じがして落ち込む者もいました。それを 見て笑っている先輩の顔から嘘であることは明 らかでした。
話は変わりますが、昨年10 月にクルーズト レイン「ななつ星in 九州」が運行を開始しま した。列車は、贅を尽くしたスイートルーム、 ゆったりとくつろげるラウンジ、ダイニング。 自然、食、温泉、歴史、文化などの和の魅力に あふれた九州めぐり、なんと素晴らしい旅でし ょうか?新たな人生にめぐり逢えるようではあ りませんか?すでに予約で一杯だそうです。こ れからは便利、安い、速いだけではない、質・ 内容にこだわる時代になるかと思います。医療 においては多死社会の到来を迎えて在宅・介護 医療の充実が叫ばれる中、質をどう保って行け ばよいのでしょうか。まずは自らを変えるべく、 還暦を機に人生を楽しむ何がしかの手習いを始 めようかと思います。今後ともご指導・ご鞭撻 をよろしくお願い申しあげます。