浦添総合病院 古波倉 史子
今年は午年。いつのまにか年を重ね、浦添市 の牧港クリニックの平良豊先生からのご推薦で 何か書かなければいけない羽目になってしまい ました。大変お世話になっている先生なので、 お断りするわけにはいかないと筆を執ることに しました。
2 〜 3 年前から、小学校(今年で廃校予定の 久茂地小)、中学校(1 学年19 組のマンモス那 覇中)、高校(那覇高)とそれぞれに還暦祝い の同期会をしようとすでに盛り上がっていま す。さぞかし忙しい年になるでしょう。
還暦だからと特別な決心などないので、思いつくままに書いてみます。
今でいう後期研修医の30 歳、外科医として 自信もつき充実していた40 歳、ついこの前だ ったような50 歳。今まで10 歳年が増えるた びに、また年をとってしまったという思いはあ まりなく、区切りがついて新しいスタート地点 に立てて何だかうれしいような気持ちで迎えてきました。
【30 歳】
両親の大反対を押し切って外科に進み、毎日寝る間もないくらい忙しく、でも充実した研修 医生活を送っていた4 年目30 歳の誕生日。1 年大学浪人、1 年留年、国家試験半年遅れで合 格のため30 歳で4 年目、決して遊びまわって いたわけではありません。両親には本当に心配 をかけました。夕方7 時ころ、外科の仲間で抜 け出して大学病院の前にある不二家のレストラ ンでバースデーケーキで祝ってもらい、サービ スで写真を撮ってもらい、さあ仕事だとルンル ン気分で病棟に戻りました。病棟には鬼のよう な顔で上司が待ち構えており、オペ患を放っぽ らかして何たることかと全員こっぴどく怒られ ました。ルンルン気分もあっという間にふっ飛 んでしまった、30 年近く前の懐かしい思い出 です。その頃から誕生日のサービスにハッピバ ースデイの歌を流し、写真を撮っていた不二家 のサービスはすごいですね!
どうして女性で外科を選んだのですかとよく 聞かれますが、偉そうな理由はありません。大 学6 年の秋に何科を選択したいかのアンケート がありました。父が内科医なので自分も内科に 進むのかと漠然と思っていましたが、いざ○を つける時になって「違う!自分のやりたいのは 外科だ!」と思ったのでした。女性の外科医が 非常に少ない時代だったので、母親からは泣い て反対されました。
【40 歳】
それまで両親からの「沖縄に帰ってこいコー ル」を聞かないふりをして、のらりくらりとは ぐらかしていたのに、突然来年帰ろうと思いた ったのです。高齢ではありましたが両親とも元 気だったので、なぜ突然決めたのかいまだに不明です。
【50 歳】
50 歳になってちょっといい気分だったと思 います。父と二人、バースデーケーキをいただきました。
【60 歳】
今年は数え60 歳の年女。きっと多くの友人 達もそうでしょうが、気持ちだけは40 台のつもりです。
今は、趣味のピアノ(年1 回の、先生と仲間達のコンサートが励みです)と、学会ついでに 美術館へ行くことや、2 年くらい前から週一回 ですが筋力をつけるべく頑張っているジム通い などが楽しみです。ジム通いは「ロコモ」を意 識して始めたのですが、ということはやっぱり 年齢を気にしているという証拠ですね。
今まで読んでこられてお気付きだと思います が、「何となく」や「急に思いついて」の人生 を送ってきているような気がします。満60 歳 の誕生日は1 年後ですが、もしかしたらまた突 然思いついて、なにか行動に出るかもしれませ ん。楽しみです。
最後に、現役の外科医として今まで続けて こられているのは、同僚や家族、友人の助け や理解があってのことだと思います。本当に感謝です!
また健康で、頑丈な体と心に生み育ててもらった両親に大感謝です!