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「医業は人なり」

高石利博

もとぶ記念病院 高石 利博

「謹賀新年」午年に因んでと言うわけではあ りませんが、自分は北海道の道産馬の性格で、 この年まで後先を考えず働いてきました。1980 年開院の当時は県北部には愛楽園と県立北部病院の二つしか医療施設はなく、医師や看護師な どの確保がとても難しい状況(今でも)であり ました。開放的精神科医療と地域精神医療の二 つを目標に地元の青年達と只夢中で働いてきま した、今は北部にも病院も8 ヶ所に増え、介護 保険施設や在宅ケアのための施設も沢山出来、 当時から見るとこの30 数年の北部の医療環境 の発展は目を見張るばかりです。

あらためて自分を省みると、今自分の人生は 「リセット」と言う言葉が相応しい状態にある と感じております。30 才代で開業し、40 才50 才代はあっという間に過ぎ去り、60 才にいた って、法人内部の確執で病院運営の中心から離 れることになり、心ならずも一線を退いたよう な形になってしまいました。これは想定外の事 態で、心身の調和を崩し、喘息・器質性肺炎・ 頸部脊椎管狭窄症の手術・心筋梗塞と相次ぎ、 ついには“老兵は去る” の心境にまで至りまし た。しかし、この10 年間での当院の医療現場 の衰退、経営も落ち込み、危機感を感じた病院 幹部の皆から呼び戻され、平成23 年7 月再び 私は院長・理事長に就任しました。そこには、 経営上の問題、低迷した医療の現場、それに失 望し多くの心ある職員の離職、更には永年勤め ていた院長・副院長も相次いで退職し、医局は 機能停止に近い状態、新患受付も新規入院も停 止し、病床数も退院促進のための入院数の減少 とは別に看護師不足による休止で100 床近く 減少しておりました。この事態をこれからどう 再建するのか、厳しい現実がありましたが、開 設した者の責任と、この年になって皆から必要 とされることに一念発起し理事長復帰を決心致 しました。

そこで実感していることは、「医業は人なり」 ということです。開院当初は開設者である院長 主導であっても、このような地域に在る施設は、 安定した運営の継続が求められ、時代に沿った 更なる前進は優秀な心ある人材なしでは達成で きないことであり、有資格者も、それを支える 一般職の人達も、総力戦でなければ地域医療は なしえない事であります。

役職員一丸となってこの2 年間半病院改革に取り組みました。幸いなことに現場も再び元気 を取り戻し、経営も順調に好転しております。

資本主義の中では医業は当然経営も伴わなけ れば良い医療も出来ないわけでありますが、そ こには利潤追求の一般的事業とは自ずから異な る一面があります、責任者のみではなくそこに 働く人達にも同様に求められる、サービス精神、 医療・介護への倫理・使命感であると思います、 残念ながらこの10 年間は法人運営にこのこと が欠けており、医療の停滞を招きました、これ はひいては私の責任であり、患者さんをはじめ 職員の皆さんに大きな負担を強いてしまいまし た。生まれ年に当たり初心に立ち返り「リセット」 して、残った人生を最期まであるいは認知症に なるまで頑張っていこうと決心しております。