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海を渡り2000 キロの旅をする蝶・アサギマダラ

安次嶺馨

沖縄県立中部病院・ハワイ大学卒後医学臨床研修事業団
ディレクター 安次嶺 馨

午年生まれの私は、十二支を6 回巡って、平 成26 年の秋に12 × 6 = 72 歳となる。「思えば、 第2 次大戦を生き延び、よくここまで来たものだ」 と感慨を覚えると言いたいが、百寿者の多い日 本一の長寿県(であった)沖縄においては、私 など、まだまだ若造にすぎない。日々、研修医 たちとともに過ごしている私は、彼らからエネ ルギーをもらい、また趣味の世界を探索しなが ら、もう少し社会の役に立ちたいと考えている。

というわけで、話は急転、私の趣味ともいえ る蝶の世界に向かう。日本には、約250 種の 蝶が定着し、そのうち約半数は沖縄県で見られ る。蝶を愛する人々は捕虫網をバッグに詰め込 み、飛行機に乗って全国から憧れの地沖縄へ飛 んでくる。やんばるや石垣島・西表島などの離 島では、一見してそれと分かる人々を見ること ができる。

ところで、海を渡って飛んでくるのは人間だ けではない。日本本土から南西諸島の島々へ、 2,000 キロ以上も旅をする蝶がいるのをご存知だろうか。アサギマダラである。アサギマダラ は、青緑色の前翅と茶色の後翅をした大型の美 しい蝶である。

平成25 年3 月のよく晴れた日、大国林道近 くの山奥に終の住処(ついのすみか)を建て、 悠々自適の日々を送る友人を訪ねた。友人は那 覇市内にスーパーを経営する実業家であるが、 ふだんはやんばるの森に棲み、5,000 坪の山林 で趣味のみかんや野菜を育てている。見晴らし のよい丘を整地した場所に建つ彼の山荘からの 眺望は、息をのむほど雄大である。朝日に輝く やんばるの山々の新緑、暮れなずむ森の影、東 シナ海に沈む夕日、深閑とした夜の闇に手が届 きそうな星々の輝き。私は彼の家の近くの空き 地を買い、整地して小さな山荘を作りたいと言 い続けているが、予定は未定のままである。

昼食後、山荘周辺を散策した時、アサギマダ ラが数頭、吸蜜している場所に来た。なにげな しにカメラのファイダーを覗いていた私が、「お っ、見つけたぞ!」と声を上げると、友人たち が何事かと寄って来た。私が見たのは、翅に明 瞭なマーキングがなされたアサギマダラだった。

アサギマダラの翅は鱗粉が付着していないの で、翅の白い部分に油性フェルトペンで印を付 けることができる。印は標識地、標識者、日付 を示してあり、これをアサギマダラネットとい うインターネットのネットワークで調べれば、 蝶の出自が分かる。全国各地で、何万頭とい うアサギマダラのマーキングが行われ、フィー ルド調査により、アサギマダラの移動が徐々に 明らかにされてきた。私の見た蝶の後翅には、 ON255 という記号が書かれていた。

さて、平成25 年11 月2 日の沖縄タイムス 紙で、アサギマダラの国内移動距離の新記録達 成が報じられた。8 月25 日に山形県蔵王で放 蝶されたアサギマダラが、10 月28 日に与那国 島の久部良岳で確認されたという。移動距離は 約2,500 キロで、国内の最長移動距離を更新し たという。まことにおめでたいことで、新記録 を達成した長距離ランナーならぬ長距離フライ ヤーをねぎらいたい。読者は、ここで疑問を持 たれることであろう。与那国まで飛んだのであれば、目の前の台湾まで飛ぶこともあろうか。 そのとおりです。実際、台湾どころか、中国大 陸まで海外旅行をした勇者もいる。記録上は石 川県輪島市→中国浙江省平湖市、和歌山県→香 港の例がある。

アサギマダラは、なぜ、何の目的で、海を渡 るのか、まだよくわかっていない。かつて私は、 カナダとメキシコ間5,000 キロを旅することで 知られるオオカバマダラを、メキシコの越冬地 で見る機会があった。このことは拙著「おきな わ蝶物語(ニライ社、1996 年)」に書いてある。 オオカバマダラの生態、渡りについては、かな り研究が進んでいるが、アサギマダラについて は、まだ分からないことが多い。紙数が尽きた ので、海を渡るアサギマダラの詳細については、 また稿を改めて紹介したい。

午年生まれの私は、馬に乗って疾駆するより、 蝶のように大空を飛翔することを新年の夢に見 たいと思っている。