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カジマヤーは眼前に!

田中旨夫

新緑会屋宜原病院
あかみちクリニック 田中 旨夫

皆様新年おめでとう御座います、希望に満ち た新春をお迎えの事とお慶びを申し上げます。

何時の間にか駿馬が疾走するが如く8 巡の午 年を迎える年となり、カジマヤーも眼前に迫っ て居ります。

駿馬と言えば赤兎馬(日中が千里、夜間は 五百里を駆ける)が三国誌を飾る花形の名馬で、 呂布の愛馬だったが後に曹操の手に渡り、乗り こなせる人が居ない程の暴れ馬で、曹操を困ら せて居た、桃園三結義と云う三国演義中の有名 な、劉備、関羽、張飛三大豪傑が義兄弟の義を 結んだ出来事から話が始まる、年順で劉備(大 兄)関羽(二兄)張飛(弟)。

劉備皇帝の妃である国王孫権の妹が、里の母 上に逢う為に孫権の元に里帰りしたが、孫権に 足止めされ劉備の元に帰られなくなり、諸葛孔 明の謀りに依り関羽将軍を迎えに派遣, その帰 途で曹操軍に妃諸共生け捕られ、(関将軍は普通 でしたら幾つもの関破りが出来たが妃を守る為) 曹操は英雄難過美人関と云う人間性の弱点を試 すとの悪知恵で同室に監禁し、様子観察した処、 妃の傍で関将軍は毎日毎晩怯まず、一心不乱に 戦書千秋を読み耽る忠義の良さに曹操はすっか り、関羽の人柄に惚れこみ、関羽に手持ちの暴 れ馬赤兎と宝物をさずけ、帰順する様に説得す るも関羽将軍には通じず、赤兎を貰った直後、 赤兎に跨り一目さん眼前の6 か月間も曹操軍を 困らせていた敵軍を蹴散らし、落馬する敵大将 の首をすかさず斬って、飲みかけたお茶が又冷 えない内に曹操に敵大将の首を献上、勝ち戦に 報いた由、曹操は後に護衛までつけて安全に送 り返すと云う程の、曹操にとっては異例中の異 例ぶり(曹操は疑い深い奸勇でもあったが)。

私は大正7 年の台湾生まれで、旧制中学か ら東京で就学し、戦中の昭和18 年9 月30 日 に昭和医学専門学校(現在の昭和医科大学)を 6 ヶ月早めて卒業、同じく18 年10 月30 日に 医師免許状取得、南方派遣の軍医として、運よ く昭和19 年1 月から台北帝国大学医学部寄生 虫学教室にて大鶴正満先生(後に琉球大学医学 部の創設者でその好しみで、私は梯梧会NO40 号献体登録会員である)と共に研究、終戦に至 る、戦後、総合病院にて産婦人科を研修、昭 和25 年体調を崩しTbc 発病、新薬のSTOMI、 Pascal、Ina 等で一命を繋ぐ事が出来、昭和29 年から台北市にて産婦人科を開業、昭和50 年 6 月23 日招聘に依り憧れの沖縄東風平診療所 に赴任沖縄療育園、を経て赤十字沖縄県支部に 転勤、沖縄に赴任してから運よく、すぐ那覇 市救急診療所田端辰夫所長先生の計らいでロ ーテイション医として数多くの県立病院、協 同病院、赤十字病院、国立病院等の若き精鋭 の先生方(現在多くの医療関係幹部の先生方) と共に救急医療に奉仕、那覇市市制60 周年記 念大会で、個人として感謝状を受ける事が出来 ました。

昭和61 年県赤十字支部に在籍中、アメリカ シカゴで開業中の長男が、今アメリカでは東洋 医学の針治療がブームになっている事を知り、 本来の考えではとても信じ難い処、検証した結 果、西洋医学にも難しくで対処出来ない処も有 り、それを補う学問として確かに有効と分か り、中国の衛生部(厚生省)に研究したいので、 良い大学を紹介して下さる様手紙を出しました ら、上海中医薬大学から招聘状を戴き、昭和 61 年12 月の末、上海入りし1 ヶ月間の研修を 終えて(私の研修中は休み時間を利用し、教授 にホテルに来て貰い熱心に特訓して戴き)帰国、 その後津村製薬会社様のお世話で北里大学東洋 医学総合研究所にて研修、翌年ギックリ腰の針 治療と題して県医学会と国際学会に投稿七月学 会参加と同時に再研究、その後機会があって 1996 年4 月WHO の主催で3 ヶ月間の国際鍼 灸医師研修会に参加(その間も教授に時間外の特訓を受ける)、無事卒業する事が出来ました。

2003 年2 月13 日、上海経由で西安、桂林の ツアーに参加、桂林から帰国後直ぐ40 度以上 と呼吸困難を発症、那覇救急診療所を受診、イ ンフルエンザとはちょっと違う感じなのでイン フルエンザテスト(―)呼吸困難改善無く、国 立沖縄病院受診するも改善無く、琉球大学医学 部受診するも功なし、三日間大量の痰と高熱で 呼吸困難が益々悪くなり、那覇市立病院島袋洋 先生にお願いして翌日入院を予約、その夜、自 分のツボ療法を開始30 分後に終了、何時の間 にか深い眠りに入り、翌朝目覚めたら、昨夜ま での高熱、呼吸困難と多くの痰が何処かへ消え てしまい入院をキャンセル、翌日再びツボ療法 をして完治、それから続けて家族二人が同じ症 状を発症、抗生剤を投与してツボ療法をして治 す事が出来ました、2003 年4 月ころに発症地 桂林から香港、台湾等に同じ症状で、多くの医 療関係者が亡くなられたSARS を考え合わせ たら、みぶるいが止まりません、2 月の自分達 家族だけの感染だけで本当に良かったのではな いか?と時々思い出します。

6 年前2007 年11 月13 日朝突然眞黄色い尿 を発見、痛くも熱も無く夕方まで様子見してい たが変化無く、有名救急病院を受診、16 日の エコー、CT 検査で肝臓に異変がある事で病名 が確定するのは、病院がこんでいるので12 月 12 日にMRI 検査を予定、結果が出るのが12 月の28 日頃になるとの事、早く特別にしても 12 月の始め頃になるとの事で、明らかに現症 状として胆管が閉塞している事?強い黄疸もあ り、一刻も早く処置しなければならないと考え た結果此の儘悪化したら困ると心配し、友人の 国立台湾大学医学院付属病院陳院長先生に電話 で相談した処「すぐいらっしゃる様に!」との 事で11 月26 日の便で台北に行き、翌日27 日 月曜日、院長先生の外来を受診、即入院検査の 結果右肝葉、胆管腫瘍、胆管閉塞と判明、まず 胆汁排出の為にドレン二本挿入、経過良好だっ たので12 月12 日午後2 時OP 開始、自分が 目覚めたのがICU の時計が4 時を指している のを見て、開けて手が就けられないで放り出された!と、今まで助かると喜んでいたのに!シ ョックで、人生は此れで終わりだなーと、今迄 に無かった深い悲しみを体験しました、

処が6 時前にスタッフが夜が明けるのが又早 いとの会話を聞いて、助かった!私にとってこ れ以上の喜びはありませんでした、そうして人 間関係は何時までも大事にしなければいけない と改めて再認識致しました。

その後幸い転移も無く、神様の下さった此の 生き残った身を大事に、特殊外来で有効に、悩 める人達への奉仕を後十年は元気で楽しく頑張 りたい!と毎日考えて居ります。

皆様!今年も、よりよい一年であります様祈念致して居ります。