沖縄県医師会 > 沖縄県医師会の活動 > 医師会報 > 10月号

「麻酔の日(10/13)」に寄せて
手術室から消えたもの・現れたもの・変わらぬもの

国吉茂

沖縄県立中部病院 麻酔科 国吉 茂

私は1982 年の卒業で2 年目から麻酔科の仕 事を始めて30 年が経った(因みにオリンピッ クで言えばローマは知らず東京から、相撲で言 えば栃若は知らず柏鵬から、野球で言えば稲尾・ 金田は知らず堀内・江夏からという世代。番外 としてプロレスで言えば力道山は知らず馬場・ 猪木から)。その間、手術室から消えていった ものも数多く、また新しく現れたものも多い。 思いつくまま挙げてみたい(あくまでも中部病 院手術室での話)。

消えていったもの

1. 前投薬の硫酸アトロピンとホリゾン

患者は病棟から手術室に出発する前、硫酸ア トロピンとホリゾンを筋注しストレッチャーに 乗せられて搬送するのが通常で手術室到着時は すでに半分眠っていた。1999 年に横浜で手術 患者の取り違え事件があり、その要因の一つに 前投薬が挙げられた。手術室の入り口で患者確 認を行うときに、もっとも信頼できるはずの本 人の証言が得られなかったからである。この事 件の衝撃は大きく、何となく経験的に続けられ ていた前投薬がすーっと潮が引くように日本の 麻酔の現場から消えていった。確かにホリゾン の筋注はとても痛いようで術後の痛みよりも痛 かったと患者には不評であった。

2. 研修医の鈎引き

今ではリトラクターに取って代わられたが、 その商品名は「アイアンインターン」である。

3. サクシン・笑気

サクシンは1990 年のマスキュラックスの発 売により、笑気は2007 年のアルチバの発売に より使用が激減した。使用している時にはあま り気にならなかった欠点がより良い薬の出現により目立つようになってしまう…なんだかかわ いそうになってくる薬である。

4. 明治生まれの手術患者

2012 年7 月30 日以降すべての明治生まれ は100 歳を超えている。中部病院での2012 年7-30 〜 2013 年7-29 までの明治生まれの 手術件数はかろうじて1 件(4143 件中)であ った。自分が小学校6 年生の1968 年に明治 100 年記念式典がありまだ明治を数えている 人がいるのかとびっくりしたが、現在の自分 は昭和を数えている。今年は昭和88 年である。 まさに「降る雪や 明治は 遠くなりにけり (中村草田男)」

5. ガラスの注射器

自分が医者になった頃には硬膜外麻酔時に使 用されるのみであった。それもしばらくしてデ ィスポに取って代わった。しかし硬膜外麻酔時 の独特の抵抗消失の感触はガラスシリンジの方 が優りまだ使用している病院も多いと思われ る。今では感染の観点から全く使用の余地がな いと思われるが環境問題の点からプラスチック 製注射器に代わり見直されつつあるらしいとは 驚きである。

現れたもの

1. 男性看護師

「この世の見納めとなるかもしれない手術患 者にせめて最後はきれいな看護師さんを見ても らおうと病院側が手術室には美人ナースを配属 してある」と「いのちの落語」(樋口強)とい う本の中に書いてある。その真偽はともかく今 では約半数が男性看護師になった。

2. 術後鎮痛

昔は「術後鎮痛」のことはあまり考えたことがなかった。目が覚めたあとの鎮痛というのは 病棟で主治医にお任せで、「病棟で痛み止めし てもらいますからね」というのが決まり文句だ った。硬膜外カテーテル挿入がルーチンにな ったのは1990 年以降でそれもモルヒネ+局麻 を術中に一回入れるだけで、その後の注入は主 治医任せであった。術後に麻薬の作用が残るこ となどはむしろ危ないこととされた時代であっ た。一変したのは硬膜外持続注入器が出現した 1992 年以降で、その後から麻酔科による術後 鎮痛のウエイトが増した。術後、患者さんに「痛 いですね」と言われたら…心が痛む。

3. 院内PHS

医者になって最初の2 年間は院内PHS はお ろかポケベルも無い時代だった。今ではなくて はならない院内PHS だが、まわりがみんな同 じ機種を持っているから、着信音がまぎらわしい。他人のPHS に反応してしまうため、着信 音は、ひと目、いやひと耳で分かるように、自 分でPHS に音符を打ち込めばまちがいなくマ イ着信音である。ビートルズの曲を打ち込んで いた研修医がいた。音符を打ち込んでいった熱 意には感心するが好きな曲を着信音にするのは 感心しない。好きな曲もだんだんその着信音を 聞く度に緊急手術申し込みへの恐怖と直結して しまい、嫌いな曲になってしまう。お勧めは、 緊急手術へ立ち向かうアドレナリンがほとばし るような、勇気を奮い起こさずにはいられない ような曲、そう「ロッキーのテーマ」。

変わらないもの

外科医の技量であってほしい。我々の世代が安心した老後を過ごすためにも…。