那覇西クリニック 乳腺外科 玉城 研太朗
那覇西クリニックまかび 玉城 信光
The First Okinawa Breast Oncology Meeting Member
要 旨
沖縄県の乳癌死亡率は年々上昇傾向にあり、 2010 年度の乳癌年齢調整死亡率は全国ワース ト2 位となってしまった。そこで2012 年7 月 6 日に沖縄県の乳腺診療に携わっている医師が 一同に会し、第1 回Okinawa Breast Oncology Meeting を開催し、乳癌検診や術前・術後療法、 社会経済問題や地理的問題、補完代替医療の問 題などの観点から乳癌死亡率減少のための討議 を行った。まず検診においては離島や遠隔地の 検診システムとしてマンモグラフィと比較し移 送の簡便な乳房超音波検査が有効である可能性 が示唆された。また遠隔地では距離的・金銭的 理由から、患者さんが十分な適正治療が受けら れないことが浮き彫りとなり、自治体レベルの 経済的支援が必要であると考えられた。また補 完代替医療の問題点やエビデンスに基づいた治 療選択の重要性を広く沖縄県民に伝える必要が あると考えられた。
緒 言
現在全世界で年間約140 万人の女性が新規 に乳癌と診断されている。日本では2006 年に 年間約70 万人の人が新規に癌と診断され、そ のうち乳癌は女性の癌罹患部位の第1 位であっ た(53,783 人)。乳癌死亡数を見てみると、米 国では1975 年に人口10 万人あたり48.3 人、 1990 年には49.7 人に上昇したものの2000 年 には38.0 人にまで減少した。さらにスペイン では1993 年以降、年間3%ずつ乳癌死亡率が 減少している。他の欧米諸国においても同様の 乳癌死亡率減少が認められた。1990 年代より 欧米諸国ではピンクリボン運動が盛んに行われ、乳癌検診の重要性やエビデンスに基づいた 乳癌適正治療の重要性が広く世間に認知される ようになり、乳癌死亡率減少に大きく寄与した ものと考えられる。一方、本邦の乳癌年齢調整 死亡率は年々上昇しており、乳癌死亡率減少に 向けた対策は重要な課題の一つであると考えら れる。
沖縄県は大小160 もの島々が東西約1,000 キ ロ、南北約400 キロにわたる、非常に美しい 島国である。温暖な気候と豊富な自然、また 琉球王国の世界的にも貴重な歴史や文化があ り、国内外を問わず多くの観光客が毎年沖縄を 訪れる。しかしながら沖縄県は経済的には決 して恵まれておらず、沖縄県民の平均年収は 約2,000,000 円で日本の70%程度、全国ワー スト1 位である。このような地理的、経済的 不利な状況が一因となり、沖縄県は現在日本 で最も乳癌死亡率の高い県の一つとなってし まった。沖縄県の乳癌死亡者数は2007 年に人 口10 万人あたり7.8 人であったが、2010 年に は12.5 人と全国ワースト2 位になってしまっ た。沖縄県における乳癌死亡率減少に向けた 対策が急務であると考え、2012 年7 月6 日に 第1 回Okinawa Breast Oncology Meeting(The 1st OBOM)を開催した(図1)。沖縄県の乳腺 診療に従事する医師が一同に会し、乳癌死亡率 減少に向けて、1. 乳癌検診システムの問題点、 2. 術前術後療法の重要性、3. 地理的、経済的問 題、4. 補完代替医療の問題点について討議を行 い、討議内容を2013 年にJapanese Journal of Clinical Oncology 誌に発表した(図2)1)。
図1 第1 回Okinawa Breast Oncology Meeting。
2012 年7 月6 日開催。
図2 第1 回Okinawa Breast Oncology Meeting のコンセン サスをまとめた論文。The challenge to reduce breast cancer mortality in Okinawa:Consensus of the first Okinawa Breast Oncology Meeting.Jpn J Clin Oncol 2013;43:208-213.
沖縄県の乳癌検診の状況と展望
乳癌治療における手術や放射線治療の技術革 新、あるいは化学内分泌療法の進歩には目覚ま しいものがあり、多くの乳癌患者さんを救命で きる時代になってきた。しかしながら一方で日 本の乳癌死亡率はいまだ高い水準を推移してい るのが現状である。マンモグラフィ検診による 乳癌の早期発見、早期治療は乳癌死亡減少効果 の観点より極めて重要である。米国では40 歳以上の約70%の女性がマンモグラフィ検診を受け ており、英国の乳癌検診受診率は69.5%(2005)、 オランダの乳癌検診受診率は81.9%(2005)と 欧米諸国の乳癌検診受診率はいずれも高い水準 を示している。一方、2010 年度の日本の乳癌検 診受診率はわずかに24.3%、沖縄県の受診率も 29.2%と欧米諸国と比較してとても低い。沖縄 県の乳癌死亡のデータを解析すると、初診時に ステージIII 以上の進行癌症例が58.5%と非常 に高いデータであった(図3)。
図3 乳癌死亡症例の初診時のステージ分類および症例数。
これらの死亡症例のうち、乳癌検診により早 期発見できていれば救命できた症例も少なから ずあったのではと推測される。また沖縄県の検診 システムを解析してみると、離島や遠隔地など の地理的条件により、厚生労働省が推奨する標 準的なマンモグラフィ・視触診検診がすべての 市町村で行われていない現状がわかった。74.1% の市町村でマンモグラフィ、視触診検診が行われ ている一方で、7.4%でマンモグラフィ単独検診、 7.4%で超音波単独検診、11.1%でその他の検診 方法が行われている結果が得られた。マンモグ ラフィ検診はエビデンスに基づいた検診方法だ が、現在超音波検診の有効性を検討する大規模 研究(J-START)が進行中であり、この結果に よって乳房超音波検診の有効性が証明されるこ とが期待される2)。マンモグラフィ搭載検診車の 移送が困難な離島や遠隔地では、乳房超音波検 診が有効な検診方法となりうると考えられた(図 4)。都心部のみならず遠隔地域で乳癌検診の機 会を増やすことで、検診受診率が向上し、乳癌 早期発見・早期治療に結びつくと期待される。
図4 沖縄県における乳がん検診システム
乳癌術前術後療法の現状
乳癌は単一の病態でなく遺伝子レベル、ある いは病理組織学的、免疫組織化学的に複数の病 態に分類される。またそれぞれの病態で乳癌 の悪性度、化学内分泌療法の反応性も異なり、 病態によってエビデンスに基づいた治療法が 決められている。The St.Gallen International Expert Consensus on the Primary Therapy of Breast Cancer 2011 では、エストロゲン受容 体、プロゲステロン受容体、HER2(ハーツ ー)タンパク及びKi67 標識率によって乳癌術 前・術後の化学内分泌療法の治療方針が決定さ れている。例えばエストロゲン受容体陽性、プ ロゲステロン受容体陽性、HER2 タンパク陰性 でKi67 低値の場合、術後全身療法は内分泌療 法単独、Ki67 高値であれば化学療法を追加す るといったことがエビデンスベース、あるいは エキスパートコンセンサスにより推奨されてい るのである。現在、浸潤性乳管癌のKi67 のカ ットオフ値は世界レベルでコンセンサスが得ら れておらず、日本においては筆者を含め9 人の 専門家が日本乳癌学会Ki67 班研究で現在検討 中である。HER2 タンパクに関しては、HER2 陽性であれば化学療法に分子標的治療であるト ラスツヅマブを1 年間投与し、エストロゲン受 容体、プロゲステロン受容体、HER2 タンパク のすべてが陰性のトリプルネガティブ乳癌(最 も予後不良で、内分泌療法感受性やトラスツヅ マブの感受性がない)では、厳密な化学療法が必要である、といったことがエビデンスベース で決定されているのである。過去の膨大な研究 により、このような治療法が乳癌死亡率減少効 果に大きく寄与することが証明されており、術 前・術後に適正治療が行われることは乳癌死亡 率減少のため極めて重要である。データを提供 して頂いた県内4 施設:那覇西クリニック・沖 縄県立中部病院・中頭病院・浦添総合病院のデ ータを解析すると、死亡症例のうち11.6%で 適正治療が受けられていないという実態が分か った。原因については後述するが、沖縄県の乳 癌死亡率減少のために適正治療の徹底は重要な 要素であることが示唆された。
沖縄県の地理的、社会経済的問題
過去の研究において、個人の社会経済的状 況(Socioeconomic status)が健康状態や生命 予後と関連があるという論文が数多く報告され ている。乳癌においても経済状況と乳癌死亡率 は負の相関を示していることが報告されてき た。沖縄県は残念ながら日本で最も個人所得の 低い県である。都道府県別1 人当たりの県民所 得は2007 年2,965,000 円、2008 年2,756,000 円、2009 年2,660,000 円であったが、沖縄県 では2007 年2,052,000 円(日本人平均年収の 69.2%)、2008 年2,043,000 円(74.2%)、2009 年2,045,000 円(76.9%)であった(図5)。過 去の研究で、低所得層では乳癌検診受診率が低 く、進行乳癌として発見されることが多いとい う報告があり、また手術や術前・術後の化学内分泌療法、あるいは放射線療法などの適正治療 が十分に行われないという結果が出ている。沖 縄県においても、県民所得が乳癌死亡原因の一 端を担っている可能性が示唆され、沖縄県の経 済状況の改善も乳癌死亡率減少の観点から必要 なことだと考えられた。
図5 日本と沖縄県の平均年収の違い
沖縄県における地理的状況も乳癌死亡率にお いて重要な要素である可能性が示唆される。過 去の研究では、乳癌発症率は都心部が遠隔地よ りも高い一方、乳癌死亡率は遠隔地の方が高い ことが報告されている。県内4 施設(那覇西ク リニック、沖縄県立中部病院、中頭病院、浦添 総合病院)のデータによると、乳癌死亡症例の 22.9%が乳腺専門施設のない遠隔地の症例であ った。これらの症例のうち初診時比較的高ステ ージであるにも関わらず(Stage III:21.9%、 StageIV:35.4%)、十分かつ適切な治療が受け られていない症例があるという実態がわかって きた。遠隔地の患者さんは地理的、時間的制限 により治療選択が限られている可能性があり、 エビデンスに基づいた適正な乳癌治療が受けら れるために、自治体レベルの経済的支援が必要 であると考えられた。
補完代替医療の問題
世界保健機構(WHO)は補完代替医療を伝 統的、民族的な医療と包括的に定義している。 癌患者さんがサプリメントや心理学的施術、あ るいは自然療法などの補完代替医療を通常医 療とともに、時には通常医療の代わりに使用し ていることが少なからず認められる。日本では 約30%以上の癌患者さんが補完代替医療を行 っており、アガリクスやサメの軟骨、プロポリ スといったものがよく使用されている。このよ うな補完代替医療薬は患者さんの親戚、隣人あ るいは友人によって勧められているケースが 多い。沖縄県の乳癌死亡の原因を解析すると、 8.1%の患者さんがエビデンスベースの適正治 療を受けずに、補完代替医療のみを行い死亡に 至っていることが判明した。沖縄県では古来よ り伝わる伝統行事や豊富な自然環境により、他 県に比べ容易に補完代替療法薬を受け入れやすい環境にあると推測される。補完代替療法薬を 販売している業者の広告を見てみると、例えば 培養細胞などの画像を用いて免疫力向上効果が あるといったことを強調したり、患者さんの体 験談などを掲載しているものを数多く認められ る。しかしながらこれらの補完代替医療産物は エビデンスレベルの高い治験や臨床試験を経て いないものがほとんどである。がんの補完代替医療ガイドブック第3版 https://hfnet.nih.go.jp/usr/kiso/pamphlet/cam_guide_120222.pdf によると、ヒトにおける治療法の効果を評 価するための研究方法の信頼度として、もっと も信頼性の高い治療法は治験や臨床試験の結果 から得られる治療法であるとし、一方、最も信 頼度の低い研究方法として、経験談や権威者の 意見を挙げている。つまり、多くの広告にある ような経験談や医学博士、大学教授推薦といっ た補完代替医療薬は科学的根拠に基づくと、信 頼度の低い治療ということになり、医療人とし ては積極的に勧めるべきではないと考えられ る。補完代替医療には精神的安定やプラセボ効 果といった補助的な効果を期待するのが本来で あると考えられるが、多くの癌患者さんが補完 代替医療薬にむしろ癌増殖抑制や治療効果を期 待しているのが現状である。これらの補完代替 医療に傾倒するあまり、科学的根拠に基づいた 適正治療が十分受けられていない現状を考える と、我々専門家は適正治療の重要性を広く県民 に広く伝えることが重要であると考えられた。
結 語
沖縄県は現在、乳癌死亡率の高い県の一つと なってしまった。マンモグラフィ検診で乳癌を 早期発見することは、乳癌死亡率減少に非常に 効果的である。しかしながら沖縄県の遠隔地の 地理的条件により、マンモグラフィ検診が十分 に行えない地域も少なくない。移動が簡便な乳 房超音波検診は沖縄県において有効な検診シス テムであると考えられた。乳癌患者さんのうち 経済的・地理的条件により適正治療が受けられ ない患者さんがおり、乳癌死亡率上昇の一端を 担っている可能性が示唆された。遠隔地の患者さんがエビデンスに基づいた適正治療が受けら れるよう、自治体レベルの経済的支援は必要で あると考えられる。さらに沖縄県民は補完代替 医療を容易に受け入れる傾向にあり、補完代替 医療の正しい解釈の仕方、エビデンスに基づい た治療の重要性を広く県民に伝えることが極め て重要であると考えられた。
謝 辞
データをご提供頂いた以下の御施設の皆様に 心より感謝申し上げたいと思います。
那覇西クリニック(玉城信光先生、鎌田義彦先生、上原協先生)
沖縄県立中部病院(??宮城正典先生、上田真先生)
中頭病院(座波久光先生、尾野村麻以先生)
浦添総合病院(蔵下要先生、宮里恵子先生)
宮良クリニック(宮良球一郎先生)
中部地区医師会検診センター
那覇市医師会検診センター
沖縄県総合保健協会
本論文はJapanese Journal of Clinical Oncology 2013;43:208-213 に掲載された論文、The challenge to reduce breast cancer mortality in Okinawa:Consensus of the first Okinawa Breast Oncology Meeting を解説したものである。
引用文献
1. Tamaki K,et al.The challenge to reduce breast cancer
mortality in Okinawa:Consensus of the first Okinawa
Breast Oncology Meeting.Jpn J Clin Oncol 2013;43:
208-213.
2. Ohuchi N,et al.Randomized controlled trial on
effectiveness of ultrasonography screening for breast
cancer in women aged 40-49(J-START):research
design.Jpn J Clin Oncol 2011;41:40-49.