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沖縄医療の先人

島尻佳典

島尻キンザー前クリニック 院長
島尻 佳典

先だって「大琉球料理帖」(高木凛著、新潮社、 2009 年発刊)と題する本を読んだ。沖縄料理 について解説した本で、「御膳本草ごぜんほんぞう」という琉 球の食医学書をもとに書かれている。近所の古 本屋でその「御膳本草」の復刻版を見つけるこ とができたので、原著についてこの機会に紹介したい。

著者は、医師で本草学者の渡嘉敷(旧姓諸見 里)通寛先生である。沖縄における栄養学もし くは食育の祖、と呼べよう。

高嶺徳明先生は全身麻酔と補唇術(1689 年) を、上江洲倫完・仲地紀仁両先生は種痘(前者 は1766 年、後者は1848 年)を、琉球で初め て成したことを知る人は多いだろう。しかし、 渡嘉敷先生の知名度は高くないと思うので、経 歴を家譜から掘り下げてみた。

先生は今から約220 年前の1794 年7 月10 日(江戸は寛政6 年、清は乾隆59 年、寅年)、 御典医であった父諸見里通治と母眞蒲戸の間に 首里大中に生まれた。童名は眞三郎、唐名は呂 継續。22 歳で父の後を継ぎ、親雲上(ぺーちん) の位に叙せられた。43 歳で渡嘉敷間切惣地頭 職に転授され、その後渡嘉敷姓を名乗った。

23 歳、医術見習いとなり、初めて渡清。福 建で内科、外科、眼科を学び、北京で医薬学を 学んだ。3 年のスーパーローテーションを終え て帰国し、下庫理(しちゃぐい)御番医者とい う出世コースの起点のポストに就く。30 歳で 御典医の補佐(御医者相附)に任命され、再び 北京留学を命ぜられる。

時の国王しょうこうが病弱で、その治療法を学ぶこ とが目的であったようだ。精神科や鍼治療を学 び、さらに内科、外科、甫女科(産婦人科のこ とか)、小児科など、当時最先端の医療を研鑽し、 34 歳で帰国した。帰国後は王族の治療や出産、他の医師の指導にあたり、38 歳で「御膳本草」 を完成させた(1832 年)。実は、留学中(32 歳) に王の侍医(御医者)に任命されている。国家 が留学の最中に役職を用意し、それを担保に呼 び戻したのだろう。

当時は外国船の出没が相次ぎ、飢饉と旱魃、 疫病が襲い、さまざまな国難に見舞われていた。 餓死者が数千人も出て、王府は蔵を解放して貧 民救済にあたった。このようななか王は精神を 病んでいたようで、「いきたらぬことや 一人 身にみしょうち 百草ももくさのあわれ 救てたぼれ

(行き届かないことがあれば私一人に罰をお 与え下さい、人民の苦労を救って下さい)」と、 天に祈る苦悩の歌を詠んでいる。やさしく繊細 であった。最後は治療もむなしく、舟遊びの最 中に「イヤー」と叫び、浦添小湾の沖で自ら海 に落ちて薨じたと伝えられている(享年47 歳)。 ノイシュヴァンシュタイン城を造営したバイエ ルン王のルドヴィッヒ2 世の最後に似ており、 同じように陰謀説もある。なお、この王の在位 中、先島地方では医師増員事業が行われた。宮 古島ではそれまで3 年毎に医者1 人が赴任する 体制だったが、もう1 人加増された。この2 人 詰医者制度は最後の国王尚泰の代まで続いた。 王府も一丸となり、琉球各地の医療レベルを上げた。

話がそれたが、「御膳本草」には今でも沖縄 で使われている食材の性質、効用、禁忌などが 細かく記載されている。ただ内容は、今となっ ては非科学的な感は否めず、慎重に吟味したい。 例えば、「塩」についての項を抜粋する。

塩は琉名「マアス」である。諸毒を解し、気 を清し、胸中の病を吐下せしむ。毎朝是を用い て歯をすり、其水を吐出して目を洗へば夜細字 でも見える。多く食へば皮膚の色を悪くする。 筋力を損し、渇きを発する。水腫、消渇淋病には忌むべきである。

メガネや電気もない頃なので塩を薬として使 っていたのか、吹き出しそうな記述である。ま た、当時はそのように治療していたのかと思う と、医療人として気の毒でもある。

近代栄養学の基本である熱(カロリー)が燃焼されることと、呼吸(酸素)との関連性を見 出していたラボアジェが亡くなったのは、奇し くも渡嘉敷先生が生まれた年なので、彼我ひがの差 に今更ながら驚く。先生が清ではなく、フラン スに留学できていればもっと素晴らしかったと思う。

しかし、暑い沖縄で栄養状態も悪く、食べ物 からしか治療ができなかった時代に、経験的に 食べ物で治療するという、現在でも沖縄の生活 の中で脈々と流れている医食同源思想の根幹を 記載し、食事を基に治療して行く現代栄養学の 姿を予見していた偉大な我々の先輩が、もう少 し脚光を浴びても良いのではないか、と思って 筆をとった。学んだことを役立てようと、一生 懸命まとめた先生の意欲のほとばしりを感じ、 我々もこのような系譜に連なっていると思うと 素直に嬉しい。

今や食に れ、食べ物を粗末にするのは良く ないと思いながらも、患者には残しなさい、と 指導している。この本を紐解くことが、現代へ のヒントにつながるのかも知れない。

渡嘉敷先生が今の沖縄の平均寿命転落のニュ ースを聞いてどう思うであろうか。ちなみに、 先生は53 歳(1846 年)で他界されているから、 昔の沖縄の人は短命であったことが分かる。