琉球大学大学院
感染症・呼吸器・消化器内科
藤田 次郎
琉球大学医学部のど真ん中に巨大な女体があ る、といったら皆さん信じるであろうか。
琉球大学に赴任した直後から、琉球大学医学 部の中庭はパワースポットであると感じてい た。ただしそれを証明するすべもなく大学生活 を過ごしていたところ、赴任後3 年目に、医 局の秘書さんを通して、事務方から「トータ ル・ランドスケープ&ストリートファニチュ ア(1992 年発刊)」というタイトルの本を紹介 していただいた。
この本は優れたデザインを有すると評価され た日本の様々な施設の紹介であるが、この中に 琉球大学医学部がその設計図(図1)とともに紹 介されており、その中で設計に携わった、日本 技術開発(株)田村麗丘氏が設計のコンセプト を執筆しているので以下に紹介する。なおこの 文章は琉球大学医学部の正面玄関に立っている 地図の横にある石板に全文が紹介されている。
琉球大学医学部キャンパス=新しい首里城
琉球大学医学部キャンパスは、本校と独立し た首里に近い小高い丘の上にある。東に太平 洋、西に東シナ海を望む眺望にすぐれた場所で ある。沖縄の歴史的砦が首里城とすれば、もと もと首里城跡にあった琉球大学は、現代の文化 の砦ともいえ、丘の上に立つ医学部を、現代の 首里城のイメージで捕らえデザインした。
沖縄の自然と文化の表現
この新たなる首里城を沖縄にふさわしい文化 的な施設とするため、沖縄の風土が育んだ知恵 を、空間構成の要素に生かす工夫をこらし、沖 縄原産の植物や材料、沖縄の造園の伝統の粋を 集め、それを各所に生かすことを基本として考 えた。また灼熱の沖縄の気候を考え、暗色系の スタイル、芝生、ビーチコーラルなどを使って 照り返しの少ない仕上げにしている。
デザインの発想
正面を入ると、右手に特徴のある屋根を持つ ガジュマル会館、左手に保健学科棟、その間に ガジュマルの木で構成した「森の広場」がある。 そこを抜け、樹齢100 年、直径3 メートルの 大きなガジュマルに向かってゆるやかな階段広 場を上がっていくと、トラバーチン(琉球石炭 岩)の大ヒンプン(沖縄の民家の母屋と門の間 にある目隠しの塀)が立っている。ヒンプンを くぐると、静かな村里を表現した命の泉を中心 にブーゲンビリア這わせたパーゴラに囲まれた 沖縄の「里の広場」が広がる。「森の広場」は 誰でも自由に入っていける開かれた広場である のに対して、「里の広場」はヒンプンによって 閉ざされた、医学部の里とも言うべきプライベ ートな広場となっている。
図1 中庭の設計図
中央にある「里の広場」のデザインは女体を模したものである。
「里の広場」から先は、ビーチコーラルが敷 きつめられ、その中にトラバーチンの自然石を 配し、琉球列島を表現した「浜の広場」が連な り、その先は雄大な中城湾へとつづく。
つまり森から里へ、里から海辺へという御嶽 (うたき)信仰や沖縄独特の世界観を空間づく りの発想の基礎に置いている。
図2 琉球大学医学部中庭の写真(1992 年頃のもの)
中央部が臍に相当、子宮に相当する部分は
「命の泉」と命名され、現在は金魚が泳いでいる。
沖縄の歴史、文化を理解した上で、よく考え られた設計のコンセプトであると思う。しかし 私が特に注目したのは中庭のデザインである。 果たしてヒンプンが守ろうとしたものは一体何 か、答えは女体である。この中庭全体は女体を 示し、ウエストラインを形成し、中央に臍があり、 また子宮も配置されている。乳房部分はやや盛 り上げられ、そこにはモモタマナの木が植樹さ れている。すなわち中庭のど真ん中に女体が配 置されているのである。科学者である私は、い ろいろ調査した上、岩手県在住の田村麗丘氏に 電話をし、その通りであることを確認している。
私が本を手にした当時(2007 年頃)は、左 の乳房部分のモモタマナは台風で倒れたとのこ とで欠損していた。また空いたスペースには、 女体の腹部であると理解していない方々が、桜 を多数、植樹し、さらに卒業記念植樹なども加 わり、女体はボロボロの状態であった。
何かの縁で、2008 年1 月に私は左の乳房位 置にモモタマナを1 本寄付した。幸いなことに そのモモタマナは台風にも負けず、立派に育ちつつある。その後、不思議なことに女体に着き 刺さる形で植樹されていた12 本の桜は次々に 枯れていき、現在、立派な女体が復活しつつあ る。科学では説明できないような不思議な現象 ではあるが、証拠写真も残っており、また実際 に進行中の出来事なので、皆様にもご確認いた だきたい。琉球大学医学部の設計図には、これ 以外にも多数の秘密があるものの、誌面の制限 もあり、今回は女体がデザインされた中庭の記 載だけにとどめておく。