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ふるさとを想う

原信一郎

沖縄セントラル病院 原 信一郎

「あなたのふるさとは、どこですか、誰です か…」。この問いかけへの答えはいつになるの だろう、いつの日か自分なりのものがきっと見 つかるものと信じて待って、日々の生活に追わ れている今日この頃です。

20 数年ぶりに帰郷した際に、「ふるさとに想 う」というテーマで随筆を書かせていただきま した。ふるさとは、地図のいらない・さまざま な匂いがある街、逞しさ・温もりのある心地よ い居場所などをキーワードにして想いを述べま した(沖縄医報Vol.47 No.9 2011)

その後、ますますふるさとが好きになりまし た。ますますふるさとのことを知りたくなりま した。友人、先輩、恩師の温もりを感じながら いろいろなところに足を運んでふるさとを感じています。

高校時代の野球部(那覇高校21 期生)の友 人が大宜味村に住んでいます。そこに同期のメ ンバーで押しかけて日帰りの小旅行を敢行しま した。若かりし頃の野球に関する泣き笑い談義、 同級生にまつわる小話、親や子供そして孫のこ とと話題に事欠くことはありませんでした。最 後には、やっぱり年金とお墓の話題になります。 もちろん泡盛と美味しい料理は欠かせませんの で、腹の底から笑い、ときには涙ぐみ、ときに は口角泡を飛ばした“いっぺーあじくーたーの 時間だったさぁ“という光景は、ご推察いただ けるものと思います。

模合の仲間たちとの夏の本島小旅行も“あじ くーたーの時空間” です。屋我地島を中心とし た鏡面のような羽地内海と繁茂する樹木の緑 は、穏やかさとともに厳かさすら感じさせるふ るさとです。紀元前2 世紀の土器などが出土し た古宇利島は、私たちの祖先に想いを馳せざる を得ない貴重なふるさとです。

はじめて訪れた宮古島の砂山ビーチには圧倒 されました。ビーチに向かう小路の白砂を踏み しめていくと、そこに待っていたのは、蒼い空、 青い海、真っ白い浜辺、心地よい潮風とその匂 い、そしてその冠にアダンなどの緑を戴いた力 強い岩でした。自然の営みでしょうか。その岩 は中がくり抜かれていて大きな空間になってい ます。光と緑と岩が演出してくれているやわら かい陰は、“緑陰”、そして“岩陰” そのものです。 うりずんの季節・潤いはじめのその時期の光景 は、私たち夫婦のこころとからだを潤してくれ たものです。夢中でシャッターを切りました。 この「宮古島・砂山ビーチ」の写真は、医報の 表紙に掲載されました(沖縄医報Vol.49 No.5 2013)。

ふるさとを想うときに自然に浮かんでくる感 覚や感情は、“匂い” でしょうか。那覇市の公 設市場の近くで育った私にとって、市場のてん ぷらの匂い、野菜や魚や肉の匂い、かまぼこの 匂い、それらを扱い作っている人々の匂い、匂 いを運ぶ風の匂い、海が運んでくれる潮風の匂 い、そして母の匂い、ふるさとを感じます。

さて、帰郷してますますあふれる想いを感じ るふるさとですが、一方で変化しながら失われ ていく大切な匂い、芳しくない匂いもあるよう な気がしてきています。長寿県から転落してし まいました。女性第三位、男性第三十位という 平均寿命の順位です。若い世代の死亡が多く伝 えられています。肝臓の病気で死亡する率が全 国一位です。このような健康障害の問題だけ でなく、PM2.5 やCO2 などの大気汚染の問題、 職場や家庭や学校や地域における人間関係のき しみ・不和・もつれなどのいわゆる心理社会的 なストレスも見過ごすことはできません。また、 基地の問題も直視せざるを得ないキナ臭い匂い のように感じます。

どうしよう、どうなるのだろう。「あなたの ふるさとは、どこですか、誰ですか…」。この 問いかけへの答えを模索する日々はしばらく続 くかと思います。がじゅまるの木に代表される ような青葉の茂った木立の陰に、愛すべき人々 とふるさが受け入れられる日の来ることを願っ てやみません。そのために、今を生きている私 たちがそれぞれの立場や領域でなすべきことを 実践することかと感じています。いつですか? 今でしょう。

生まりジマぬ 言葉 忘ねー 国 忘ゆん