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私の東京散策

平田清司

平田内科医院 平田 清司

今年も待望のゴールデンウィークがやって来 た。今年は3 泊4 日の東京旅行を計画しており、 連休初日の5 月3 日、午前10 時頃、妻と2 人 で那覇空港に向かった。15 分程で空港に到着。 案の定、空港は大変な混雑で何とか11 時30 分発の全日空の搭乗手続きを済ませ、出発ロビ ーに向かった。案内のアナウンスに従い搭乗す ると、機内は満席で20 分遅れの出発となった。 毎回思うのだが、機内で2 時間30 分も狭い座 席で拘束される事は、非常に苦痛である。そう こうしているうちに羽田空港に到着。到着口を 出ると、ロビーは相変わらず大変な混雑で、さ すが、大都会東京である。私達は、午後2 時 40 分発のリムジンバスで渋谷のホテルに向か った。道路は思いの外空いており、10 分程早 くホテルに到着した。一休みして、息子(千葉 在住)、娘(東京在住)と連絡をとり、東京駅 近くのJP タワーKITTE(今年3 月にオープン) で夕食をとる事にした。JP タワーに入館する とタワーの中心部は吹き抜けになっており、建 物全体が明るくなっている。夕食をとる為に、 エスカレーターに向かうと、エスカレーターを 利用する人が長蛇の列になっており、整理員が慌ただしく動き回っている。東京の凄まじさを 感じた。何とか4 階のレストラン街にたどり着 いたが、各レストランは満席で、30 分〜 1 時 間待ちの状態だったが、私達は運良く30 分で 入店でき、久しぶりに家族4 名で食事をした。 JP タワーを出た後、東京駅周辺を散策し帰路 に着いた。

5 月4 日、今日は午前中、妻と2 人で学生時 代に住んで居た北区十条を、35 年振りに訪ね たいと思い、山手線で池袋まで行った。
赤羽線に乗り換える為に赤羽線のホームを探し たがみつからず、駅員に尋ねると、現在、赤羽 線の名称は無くなり、埼京線で十条まで行って 下さいとの返事。私は、今浦島の心境であった。 埼京線に乗り、十条駅で下車。ホームは昔のま まで、改札口を出ると、35 年以上経過してい るにも拘らず、当時のままの喫茶店やレストラ ンが残っており、商店街を散策したら、見覚え のある商店もいくつか残っていた。30 数年前 の思い出が走馬灯の様に頭を駆け巡った。商店 街を散策しながら、住んでいた昔のアパートを 訪ねたが、アパートはすでに無く、周辺の家も 新しい家に建て替えられ、よく利用した銭湯も マンションに建て替えられており、かつての面 影は全く見当たらず、35 年という時の流れを感じた。

私達は十条を後にして、妻の希望である、新 築された歌舞伎座に向かった。歌舞伎座に着く と大勢の人(観光客も多い)で混雑しており、 正面入り口で、写真撮影し屋上の庭園を見学し て帰る事にした。歌舞伎座を後にして、家族で 銀ブラをしていたら、懐かしい和光ビルや、三 愛ビルを目の当たりにして、昔の映画の1 シー ンを思い出した。銀座で夕食を済ませ、ホテル に帰った。部屋に入ると、急に疲れが出てその まま就寝。

5 月5 日午前中、子供達と一緒に、六義園と 旧古河庭園を訪れる為、駒込駅で下車。駅の向 かい側に六義園の入り口があり入園料を支払 い、入園。(六義園は面積8 万7 千m2の広大の 庭園で、柳沢吉保が築園し、その後、岩崎称太 郎別邸となり、昭和13 年に東京都に寄付された)その広大な面積に驚き、又、大都市東京には、 こういう癒しの空間が必要であると感じた。庭 園は、つつじが満開でさらに歩を進めると、大 きな池が現れ、数羽の鳥が水面で戯れている。 普段、自然に対して無関心な私でも、何か心が 癒された気持ちになった。







庭園を散策していると、山小屋風の小さな休 憩所があり、近くを小さな滝が流れ非常に絵に なる光景だった。庭園の周囲は、高層マンショ ンが立ち並んでいるが、都会の喧騒もなく、異 次元の世界のようだった。1 時間程庭園を散策 し、六義園を後にして、旧古河庭園に向かった。駅から、徒歩15 分〜 20 分となっているが、 日頃歩く事の少ない私にとっては1 時間以上に も感じられ、途中、歩を緩めたりして歩いたの で、家族から年寄り扱いされながらも、どうに か旧古河庭園に到着し入園すると、そこは、明 治時代を彷沸させる洋館が建ち、さらに庭園に は数10 種類のバラが咲き誇り、まるで絵葉書 の世界であった。

明治時代の財閥の華やかな生活を垣間見た様な気がした。







旧古河庭園を後にして、次の目的地浅草に向 かった。駒込駅で山手線に乗車。途中地下鉄に 乗り換え浅草で下車。地上に出ると、そこは大変混雑している。浅草六区の商店街に行くと、 さらに混雑はひどくなり前に進めない。その時 ふと、私の脳裏にはかつての那覇の平和通りと 重なり、数10 年前の賑やかで活気ある平和通 りが懐かしく思い出された。

雷門から仲見世通りに入ったが、あまりの混 雑に浅草寺での参拝は断念し、東京駅前の丸の 内ビルで夕食を済ませた後、東京最後の夜の銀 座、有楽町をぶらぶら歩いた。気持ちのいい夜 だ。まさに、眠らない大都会の姿だ。しばしの 間時計の針が止まってほしい。

5 月6 日、午後4 時発の飛行機で沖縄に帰る予 定。東京での3 日間、連休にも拘わらず子供た ちが私達と行動をともにし、今日も、羽田空港ま で見送りに来てくれた。社会人となり、徐々に親 の手から離れていく子供たちに安堵しながらも、 寂しさを隠せない複雑な想いで、沖縄行きの全日 空に搭乗し、3 泊4 日の東京の旅を終えた。