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琉球と国道58号線

辺野喜英夫

辺野喜内科・小児科 
辺野喜 英夫

国道58 号線は沖縄本島の西海岸側を南北に 貫く基幹道路である。鹿児島県鹿児島市中央公 民館前を起点とし鹿児島市鹿児島湾迄の700mから始まり、種子島エリア、奄美大島エリアの 各島々に存在する国道58 号線を南下し、沖縄 本島に至る。沖縄本島では起点の国頭村奥か ら終点の那覇市の明治橋迄の125.0km である。 沖縄本島での58 号線は翻弄され続けてきた沖 縄の歴史でもある。沖縄の道の始まりは畑へ 行く道、村々を繋ぐ道から12 世紀からできた グスク(地域のリーダーである按司の居住地) を中心に各村落を結ぶ道ができた。各按司は競 いあい、14 世紀〜 15 世紀にかけて沖縄本島で は南から南山、中山、北山の三つの地域勢力 が形成され権力闘争を繰り広げた(三山時代)。 15 世紀の初め、尚巴志によって三山が統一さ れ、琉球王国が誕生した。尚巴志は首里城を 居城とし、首里に王府を置いた。王府時代に は市町村にあたる間切りがあり、各間切りに は番所(駅ともいう)と呼ばれる役所が置か れ、王府からの公文書が番所から番所へと届 けられるしくみができ、首里城より各番所へ 向かって街道が延びていった。この頃の街道 を現在の地図に重ねると現在の道とあまり違 わないのに驚かされる。王府時代の道路は宿 道(しゅくみち)、脇道(わきみち)、原道(は るみち)の区分があり、宿道は首里を起点とし、 地方に延びる公道で、各番所を結んだ主要道 路だ。宿道は道幅が8 尺(約2.4m)と定めら れていた。また道の両側に6 尺(約1.8m)の 幅がとられ、リウキュウマツが植えられ、松 並木になっていた。1609 年徳川幕府の後ろ盾 を得た薩摩軍は約3 千名の兵で琉球に侵攻し、 武力を持たない琉球はやむなく降伏し、以後薩 摩の支配下におかれ、検地の結果8 万9 千石 が課せられた。1872 年琉球藩設置。1879 年日 本政府は琉球処分を強行し、沖縄県を設置し た。1883 年将来国道58 号線の終点となる明治 橋(木造)が初めて架けられた。1903 年明治 橋(南北2 橋全長252m)完成、有料渡橋始ま る。1915 年(大正4 年)那覇〜今帰仁に国頭 街道開通、後に名護迄を国頭街道と呼ぶ、那覇 〜羽地間は現在の国道58 号線とほぼ同じコー スである。1941 年12 月8 日太平洋戦争始まる。 1945 年3 月26 日慶良間列島に上陸した米軍は、4 月1 日に1,500 隻近い艦船と延べ約54 万人 の兵で沖縄本島に上陸を開始した。ここから約 3~5 ケ月にわたる沖縄戦が始まる。この沖縄で の戦闘は、 同年6 月23 日に第32 軍の牛島司 令官と長参謀長が自決したことにより、組織的 抵抗は終結したが、本島内外で局地的戦闘は 続いた。8 月15 日昭和天皇の玉音放送があり、 9 月2 日日本政府が降伏文書に調印した。しか し南西諸島守備代表が降伏文書に調印したの は9 月7 日である。沖縄の戦闘で亡くなった 日本兵及び一般住民の方々は、一般住民約10 万を含め約19 万人で、米軍も12,520 人の死 者をだした。11 月21 日米海軍政府令にて車の 右側通行が通達された。その後米軍は那覇市〜 国頭村迄を軍用道路(一部は緊急時の滑走路と して使用を想定)として整備しHighway No.1(1 号線)と呼ばれた。1952 年(昭和27 年)4 月 28 日サンフランシスコ条約が発効し日本国の 主権は承認されたが、同3 条により南西諸島(北 緯29 度以南、琉球諸島・大東諸島など)が米 国の信託統治領と認められた。同年琉球政府発 足。那覇市明治橋〜読谷村大湾は米軍管理の 軍道のまま、読谷村大湾〜名護町名護〜国頭 村奥は政府道1 号線に認定された。しかし読 谷村〜名護町についても管理は米軍が行った。 1972 年(昭和47 年)4 月25 日軍道の管理が 琉球政府に移管された。同年5 月15 日の沖縄 返還と同時に、政府道1 号線を含む鹿児島県 鹿児島市迄の区間が一般国道58 号線に指定さ れた。1978 年7 月30 日午前6 時より車は左 側通行となる。2005 年度道路交通センサスに よる平日24 時間交通量は、沖縄県浦添市勢理 客で81,255 台/ 日であり、九州・沖縄で第1 位であった、これは広大な米軍基地の為、なか なか迂回路が建設できず、国道58 号線は慢性 的な渋滞を呈していた。これを少しでも改善す るため1994 年12 月16 日沖縄西海岸道路は計 画路線に指定された。これは中頭郡読谷村を起 点とし糸満市に至る延長約50km の地域高規格 道路の建設計画である。読谷村〜那覇空港間は 国道58 号線として、那覇空港〜糸満市間は国 道331 号線として建設する。すでに2000 年3月国道58 号宜野湾バイパス全長4.5km は全線 開通。2007 年3 月国道331 号豊見城道路全長 4km は全線暫定2 車線で開通。2011 年8 月国 道58 号那覇西道路全長3km 開通。2013 年4 月国道読谷道路の6km 中3km 開通。このよう に国道58 号線と同名で呼ばれるほぼ平行に走 る道路を始め、多くの障害がありながらも整備 されてきてはいるが、道を守り育てるのは人で あり、そこで生きていく人々が 平和で幸福な 日々を過ごせるように願わずにはいられない。