はざま胃腸内科クリニック
玻座真 博公
老楽力は、私の造語ではありません。昨年出 版された外山滋比古氏の本の表題です。15 年 前、ベストセラーとなった赤瀬川原平氏の「老 人力」は、忘れぽくなったことを忘却力がつい てきたとポジティブに考えることでものが開か れ、もの事が良い方向に回転するという思想で す。外山氏には別著に、「忘却の整理学」があ ります。「老楽力」では、はっきりと定義して はいませんが、老楽力とは、かっこよく老いる ためにもっと積極的に老いに立ち向かっていく 力を意味しています。アメリカのリズ・ベーカー女史の3 つの心がけを和風に解釈して、招 待された会合は出来るだけ出席する、人を呼ん で御馳走する、恋をせよ等の人とのつきあいを 積極的にしなさいということです。恋は人とだ けとは限りません。俳句、短歌、詩吟等の趣味 を心から好きになって楽しむことでもよいので す。この度、緑陰随筆への寄稿の御依頼があり、 喜んでお応えしたいと思います。
平成24 年4 月1 日、玻座真内科医院を廃止し、 長男博明を院長とするはざま胃腸内科クリニッ クが開設されました。4 月は京都で第109 回日 本内科学総会・講演会があり、久しぶりに参加 しました。息子と同道するのは始めてのことで した。最終日の午後は、花見どきの京都見物と いうことで平安神宮から銀閣寺、南禅寺と花見 を楽しみ、湯豆腐も頂きました。
哲学の道混合へり花の昼
はざま胃腸内科クリニックは、自動扉、CR システム、電子カルテと少しはIT 化されてい ます。待合室の正面にはテレビが置かれ、絵も 飾られています。受付の横の方にはそう上手で もない字で書かれた俳句の色紙が収まった額が 壁に掛けられています。私が書いたものです。 恥もなくと言われそうですが、年のなせる業と 御勘弁下さい。
<面の皮だんだん厚く初日の出>
木の芽晴新看板の緑映ゆ
開設後まもなくして、<うりずんの新看板に 双手挙ぐ>と書かれたメモが受付に預けられま した。近所にお住いの時々軽い風邪で来院され るM さんからのものです。
私の色紙を見ての贈答の俳句と思われ、とて も有難いことでした。小柄の上品な御婦人です。 これが縁でベテランの歌人であることが判り、 短歌の載った文芸誌も頂きました。いろはがる たならぬいろは歌の48 文字を頭に詠まれた短 歌は、自然への憧憬、環境破壊への危惧、戦争 と平和への思い等、卒寿の覇気しきりなりに圧倒されました。
M さんは来年カジマヤーを迎えます。軽い高 血圧があり、降圧剤をお出ししておりますが、 診察時には「死ぬ時はポックリゆきたい。家族 には迷惑をかけたくない。」が口癖です。血液検 査や心電図検査の結果はわるくなく、「お元気で すからそんな心配は要りませんよ」と慰めにな るのかどうかそう答える外ありませんでした。 生きゆく希(のぞ)み短歌(うた)にたよりぬ と短歌にかける老楽力は十分おありです。
ここで「老楽力」からの少し長い話の引用をお許し下さい。
『ある大学の卒業式での学長の訓辞の中にひ ょっこり<浜までは海女も蓑着る時雨かな>と いう俳句が出てきた。句の意味を勝手に想像す ると、海女はいずれ海に入るのであり、時雨が 降ってきてもどうせ濡れるのだから構うことは ないとしてもよいところだが、さすが嗜は忘れ ないで蓑を着ていく。その心を美しいと見た句 であろう。作者は瓢水といって、はじめ播磨の 富商であった。千石船を7 艘も有するほど栄え ていたが、風流によって産を失い、晩年はむし ろ貧しかった。生涯、無欲、無我の人で逸話に 富んでいる。瓢水の評判をきいて旅の僧が瓢水 を訪ねたところ、あいにく留守だった。どこへ 行かれたかという旅僧の問いに、家人が、風邪 をこじらせたので薬を買いに行ったと答えた。 それをきいて旅僧は、「さすが瓢水も命が惜し くなられたか」といくらか嘲りの言葉を残して 立ち去った。帰ってこの話をきいて瓢水の作っ たのがこの<浜までは海女も蓑着る時雨かな> であるといわれる。薬を買いに行ってなにが悪 いのか、年をとってはいるが、いよいよとなる まではわが身を労りたい、病気を治したいのだ という含意である。そうするとこの「浜」は死 ということになる。人間死ぬまで、生きている 限りせいぜい身をいとい、よく生きることを心 がけなくてはいけない。』ということでありま す。この話は老楽力を暗示しているようです。
俳句は作者の手を離れると読み手の解釈に 委ねられます。特に寓意にみちた句であれば 尚更理解する洞察力が要求されます。脳細胞の数は老いと共に減少してゆきますが、細胞と細 胞をつなぐシナプスは増やすことが出来るよう です。俳句とは、ふだん見なれたものや光景の 中に新しい関係性や意外性を発見し、それを 五七五にすることで脳細胞が刺激され、シナプ スが増え、ボケ防止になる所以です。還暦から 第2 の人生といわれますが、70 代が本当の第 2 の人生の始まりで、しのびよる老化を自覚さ せられます。老いは心や脳の柔軟性を鈍らせま す。脳の活性化のため、当たり前のことに「面 白がる」癖をつけることもかっこよく老いる心 がけの1 つと言えましょう。
開設1 周年がすぎて5 月も近づいた頃、たま たま家の物置きに長男博明のために求めた40 年以上前の鯉幟が残っているのが判り、それを 今年は挙げてみようと私が言いだしました。妻 には小さい子供も居ないのに変ではないですか と諭されましたが、私の決意は揺るぎませんで した。九州に居る次男に今年1 月、待望の男の 子が生まれました。<赤ん坊の大きなあくび淑 気満つ><新玉の空気がいっぱい赤ん坊>。ま た長男の男の子が今春めでたく県内の有名私立 中学に入学出来たこと等理由に不足はありませ ん。それでもまわりの人には、体力、気力の失 せてゆくのに反比例して募る「一途感」、つま り「偏屈」「頑固」と思われているかもしれません。
鯉幟用のポールを買ってくれば仕事は簡単に 済みましたが、安く仕上げたいと物干し用パイ プを利用しました。真鯉は4m、緋鯉は3m の 大振りです。始め7m のポールを予定していま したが、風が心配で5m にしました。ポールを 立てては風への揺れ工合で、パイプを3 本〜 4 本と補強しました。なにしろ40 年前のものな ので多少のほころびが出来て、その修理をした り紐の長さの調整をしたりで、1 週間は朝、夕 屋上に上って監視をつづけたものでした。
年を経し大鯉幟子は父に
少し長めの駄文になってしまいましたが、私 として、第2 の人生の坂を上っている所であり、M さんに負けないように老楽力を磨いて行きましょう。