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ダラムサラ、インドヒマラヤ紀行
〜リトル・ラサとブルーポピー〜

長嶺信夫

長嶺胃腸科内科外科医院
長嶺 信夫

1. 一路ダラムサラへ

インドの列車は久しぶりである。2012 年7 月15 日午前7 時20 分、デリー発ジャランダ ールへ向かう。線路沿いの民家は相変わらず乱 雑、いたる所ゴミの山である。しかし、次第に 様子が変わってきた。これまで見てきたインド は、むっとした熱気と埃にまみれた所だったが、 列車が北上するにつれ広々とした畑が広がり、 諸所に潅木が生えている。以前インドのバグド ーグラからダージリンの茶園に向かう途中に見 たシェイド・ツリーに似た趣である。

うっとりとして車外の景色を眺めていると、 やがて、あたりが薄暗くなり、霧雨模様に変わ ってきた。雨季の始まりである。霧雨にかすむ 風景もまた風情がある。隣の席では今回の旅の 同行者である4 人の姫君たちが賑やかにおしゃ べりしていた。

デリーからダラムサラまで行く列車はない。 ジャランダールからは4 輪駆動車に分乗して、 ダラムサラへ向かう。秘境ツアーが専門である 西遊旅行では、しばしば4 輪駆動車が利用され ている。チベットのツアーでは、トヨタのラン ドクルーザーに乗車した。空気が薄く、悪路の 多いチベット山岳地帯では公安警察の車までト ヨタのランドクルーザーであった。中国での尖 閣列島抗議デモで、トヨタ製の公安警察の車が 民衆にひっくり返される様子をテレビで見た時 は、思わず吹きだしたものである。

2. ジャンボランの果実に興奮

ジャランダールでインド料理の昼食をとり、 更にダラムサラまで6 時間余の乗車である。途 中ガイドが紙皿に載せた黒紫色の実を差し入れてきた。缶詰の黒いオリーブの実にそっくりで、 果実の上に塩が振りかけてあった。かじってみ ると僅かに甘みのある渋い味である。実をかじ りながら頭にひらめいたことで興奮していた。 ここ数年インドの果実で最も関心をよせてきた 未知の果実である。沖縄で発行された熱帯果樹 の本に載っていた「ジャンボランの実」にそっ くりである。この果実はきっとあの「ジャンボ ラン」の果実に違いない。きっと、そうだ!

ジャンボランは、フトモモ科の植物で仏教説 話にでてくるあの世の国の一つ「チョンプー大 陸」の中央に生えていると言われている樹であ る。興奮しながら、片言の英語でドライバーに 訊いてみると、「そうだ」という。種を沖縄に 持ち帰って蒔くことにして実と種を紙につつ み、リュックにしまいこんだ。

3.Dharamsala-Little Lasa

ダライ・ラマ14 世は1959 年にチベット からインドに亡命し、1960 年にダラムサラ (Dharamsala)で亡命政権を樹立している。ダ ラムサラには亡命政権の各省庁やチベット仏教 倫理大学、チベット子供村、ノルブリンカ芸術 文化研究所などがあり、亡命チベット人の心の よりどころになっている。欧米人はダラムサラ のことを、しばしばLittle Lasa とよぶ。

ダラムサラに近づくにつれ、谷川沿いの道は 細くなり、所によって、片側は深さ100 メー トルの谷である。途中車が止まっていて、人々 が谷底をのぞいていた。ツアーの車列も一時停 車、谷底をみると、一台のバスが転落している のが見えた。深い谷なのでバスも小さく見える。 前日転落したという。

進むにつれ、次第に標高が高くなり、標高 1,800m のダラムサラの街に着いた。ダラムサ ラは起伏に富んだ山岳丘陵地帯にあり、標高差 がある二つの地域に分かれ、亡命チベット人の 多くは上方の集落(upper Dharamsala)・マク ロード・ガンジに住んでいて、ダライ・ラマ 14 世の官邸もマクロード・ガンジにある。

4. チベット亡命政権の外務大臣を表敬訪問

翌日ダラムサラ最大のチベット仏教僧院であ るナムギャル僧院を訪問。参道わきや僧院の境 内には、パンチェン・ラマ10 世が謎の死をと げた後、ダライ・ラマ14 世によってパンチェン・ ラマ11 世に認定されたものの、中国当局に拉 致され、行方不明になっている当時2 歳のニマ 少年写真入りの看板があり、看板には

“TIBET'S STOLEN CHILD-the PANCHEN LAMA
GEDHUN CHOEKYI NYIMA
THE WORLD YOUNGEST POLITICAL PRISONER”

と書かれていた(写真1)

写真1.

写真1. 中国当局に拉致され、行方不明のニマ少年の看板

また、チベットで弾圧された犠牲者の記念碑 が目をひいた。

僧院の祭壇の前で、同行のT 嬢は「ダラム サラから、わざわざ法王さまは沖縄まで来てく ださるのね」と涙ぐんでいる。3 年前、法王を 沖縄に招聘したとき、ボランティアをし、今年 (2012 年)11 月に再度法王をお迎えすること ができること、また法王亡命地ダラムサラを訪 問できたことに感激しているのである。

ダラムサラにはチベット難民の子女や幼児を 収容しているチベット子供村(TCV)があり、 現在約2,000 人の子供たちがここで学んでい る。中には雪山のヒマラヤを越えてきた子供も いる。訪問してみると、子供たちは皆明るく、 礼儀正しい。教室には、ダライ・ラマ14 世の 写真が飾ってあり、“THANK INDIA THANK AMALA THANK ALL” と書かれた壁掛けが 掛けてあった。AMALA とは法王の姉が設立し たチベット子供村を姉亡き後、引き継いだ14世の妹ジェツン・ペマ女史のことである。

午後は、今回の旅行の主目的であるチベット 亡命政権外務大臣への表敬訪問である。沖縄か らツアーに参加した6 名だけの別行動。亡命 政権らしい質素な部屋に通されると、小柄な 40~50 歳ほどの美しい女性が出迎えてくれた。 名刺を見ると肩書きに「KANON」と書かれて いる。「KANON」とは大臣のことで、出迎え た女性はデキ・チョヤン外務大臣であった。若 い美人大臣にびっくりして「大臣はもっと年配 の女性と思っていたが、若い美しい大臣なので びっくりしました。7 月の東京での法王誕生会 には出席しなかったが、こんな美人大臣がイン ドから来ていると分かっていたら、出席すれば よかった」と言うと、一同大笑いで一気に和や かな会見になった(写真2)。

写真2.

写真2. チベット亡命政権外務大臣を表敬訪問

表敬訪問の目的は秋の法王沖縄招聘に関する 挨拶であるが、大臣は矢継ぎ早に色々質問して きた。いわく「どうして、沖縄に法王が2 度も 訪問することになったのか? そのきっかけに なったのは何なのか?」等である。米軍基地で 働く同行のボランティア嬢4 人の通訳で大助か り、沖縄の戦争の歴史、琉球と中国、東南アジ アとの歴史的関係、はては、菩提樹との関連で 「ビルマの竪琴」の話まで話さなければならな いほどであった。

外務大臣表敬後、ノルブリンカ芸術文化研究 所を訪問したのであるが、庭園は日本人の著名 な通訳であるとともに建築家であるダラムサラ 在住のマリア・リンチェン女史が設計に関与し たというだけに、日本庭園風の美しい庭園であった。チベット人が異国の地で経済的に自立す ることをめざし、20 歳代前半までの青年を対 象にタンカの制作、仏像彫刻、刺繍などの職業 訓練がなされていた。

当日の夕食は外務大臣から招待されたチベッ ト料理の晩餐会であった。筆者は沖縄で開催さ れる法王講演会の際、通訳してくれるマリア・ リンチェン女史との会話が主であったが、女性 軍は得意の英語を駆使し、外務大臣と談笑して いた。「ナガミネはいったい何者なのか?」など、 色々きかれた模様である。

5. インドヒマラヤの避暑地マナリへ

ダラムサラでの日程を無事終了し、インド ヒマラヤの避暑地マナリ(標高2,050m)への 移動の日である。前日は日程が詰まっていて、 街の様子がよくわからなかった。街の様子を 見るには自分の足で見て回るにかぎる。朝、 街角では、インドの食べ物「ナン」に似た丸 い焼きパンなどが売られ、また、朝の勤行に 間に合わせるのだろう、青年僧が小走りに駆 けていた(写真3)。

写真3.

写真3. ダラムサラの街並み

通りに面した住宅の壁に「TIBET ONE PEOPLE ONE NATION fifty years of resistance 1959 〜 2009」と書かれた大きな看 板がかかげられていた。中国に対する精一杯の 抗議である。

ダラムサラを出発し、道中KANGRA TEA の茶園で休憩、記念に紅茶を購入、パランプー ルのドゥクバ・カギュ派のタシ・ジュン僧院に立ち寄りマナリへ向かう。マナリに近づくにつ れ、景色はスイスの山村をおもわす風情で、こ れがインドかと思われるほどであった。

マナリはインドがイギリスの植民地の頃、 避暑地として栄えた街で、現在でもインドヒ マラヤの観光基地として栄えている。街の中 央にヒマラヤから流れ下る川があり、川の両 側の谷あいに集落が形成されていた。宿泊し たホテルは、なかなかツアーで経験すること ができないデラックスホテルで、大使家族が 避暑に滞在するという。一同その豪華さに歓 声をあげた。高台のホテルから見る川向いの 夜景も格別で、夜景を見ながら、ダラムサラ での出来事、これまでのいきさつなどを語り 合い、楽しいひと時をすごした。

6. 幻のブルーポピーに感激

マナリはインドヒマラヤの一大観光基地であ る。ここを起点にして、ロータン・パスの高山 植物の観察にでかける。ロータン・パスは標高 3,980m に位置し、マナリとの標高差は2,000m 近い。一行を乗せた4 輪駆動車は次第に高度を あげ進んでいく。先頭を行く車が急に停車した。 道路沿いの岩陰に待望のブルーポピーを見つけ たのである(写真4)。

写真4.

写真4. ブルーポピー

一同歓声をあげながら、カメラを手にかけ より、おもいおもいにシャッターを切る。ブ ルーポピーは幻の花と呼ばれ、この花を見る ために世界各地からヒマラヤを訪れるほどで ある。前後2 日間にわたってロータン・パス を訪ね、ブルーポピーのほかエーデルワイス など高山植物の花々を心ゆくまで堪能するこ とができた(写真5)。駆け足の9 日間の旅で あったが、充実した日々であった。また何時 の日か、ダラムサラとロータン・パスを訪問 したいものである。

最後に、一日も早くチベットの人達の願いがかなえられますよう祈念いたします。

写真5.

写真5. ロータン・パスでのトレッキング


絵になる風景(チベット)