国立病院機構沖縄病院 石川 清司
【はじめに】
平成24 年に改訂された「沖縄県結核予防計 画」の概略を紹介し、沖縄県の結核診療の現状 と課題について触れます。
沖縄県における結核罹患の状況は大幅に改善 されたものの、その減少傾向は鈍化しています。 都市部での発生や高齢者や糖尿病等の合併症を 有するハイリスク者の罹患が目立ちます。予防・ 診断・治療に関する知見の蓄積があり、直接服 薬確認(DOTS)の普及により初回治療が徹底 して行われるようになりました。しかし、根絶 とはほど遠く異常事態宣言を発せざるを得ない 状況にあります。
【結核罹患率の推移】
罹患率の緩やかな減少傾向は見られますが、 安心できる状況にはありません。有病率は全国 平均を下回っていますが、死亡率はほぼ同等と なっています。
【結核予防対策の基本的方向性】
以上が重点項目として取り上げられていま す。大切なことは、的確に取り上げられた重 点項目を実効性のある施策に移すことにありま す。それなりのマンパワーと財政的裏付けが必 要ですが厳しい環境にあります。
【歴史的背景】
戦後の混乱期に蔓延した結核は、生命を脅か す疾患としての恐怖感と多くの悲劇を生み、国 民的課題として取りあげられ、徹底したその対 策がとられてきました。全国、津々浦々に国立 病院、療養所が建設されたのも、結核対策の一 環でした。
昭和23 年、沖縄県で最初に開設された公立 の結核療養所としての沖縄民政府公衆衛生部金 武保養院は、昭和43 年には結核単独の病院で ありながら500 床規模にまで増床されました。 それでも患者を収容するに足りず、結核患者の 本土療養のための送り出し事業が盛んに行われ ました。
昭和53 年、金武町から移転し、現在地の宜野 湾市に国立療養所が開設された当時も5 個病棟、 250 床もの結核病床を有していました。極端な医 師不足もあいまって、内科医だけでは事足りず、 外科医も結核患者を担当する時代でした。
時代が大きく変わり、疾病構造にも変化が見 られ、結核の時代から生活習慣病の時代の到来 となりました。結核病床は漸次縮小され、現在 1 個病棟の50 床で運営されております。
【県内の結核病床数】
沖縄県全体の病床数は基準病床数を上回る数 が確保されていますが、人工透析患者やエイズ に併発した結核患者への対応可能な病床の確保 が課題となっています。
【最近の動向】
最近、結核診療に異変が生じています。入院 結核患者が常時20 〜 30 人程度で推移してお り、減少傾向の鈍化と言えます。その特徴を挙 げると、高齢者の結核、脳血管障害や糖尿病等 の合併症を有する患者、種々の疾患の治療でス テロイドホルモン使用中の患者、抗癌剤による 治療中の極端に免疫能が抑制された患者に見ら れる結核の増加です。
感染経路は不明ですが、若年者の多剤耐性結核の発生がみられました。
【考 察】
国際化社会での海外での感染、外国人の持ち 込む結核、エイズ合併の結核には注意が必要で すが、基本的には、結核に対する気のゆるみが 問題です。現代医療の課題とする「がん」とは 対照的に、結核に対する危機感が薄れています。 医療従事者に発生する結核が問題になるのはそ のためです。平成22 年沖縄県の医療従事者の 結核発症は看護師4 人、医師3 人、その他の医 療職1 人となっています。
結核は決して過去の病気ではありません。長引く咳き、体重減少には気をつけましょう。油断は大敵です。
【おわりに】
国の財政事情を反映して結核患者の入退院基 準の適応が厳しくなっています。格差社会の中 で、貧困と結核は無縁ではありません。安心し て療養に専念できる環境の整備は必要です。
多剤耐性結核が少ないのは沖縄県の結核の特 徴です。先人の築いた徹底した結核対策が功を 奏し、減少の一途を辿ってきた結核が、撲滅さ れることなくくすぶっている現状があります。 今一度、県民に対する啓発が必要でしょう。
(なお、文中の数値は、沖縄県結核予防計画・平成24 年改訂版の資料を参照しました)