ヒルズガーデンクリニック 米納 浩幸
本稿を執筆する幸運(?)に恵まれました、 那覇市松川で開業しています米納浩幸と申しま す。4 巡目の年男です。
1 巡目は、昭和 52 年、福岡県立花畑小学校 6 年。強く印象に残っているのが第一次石油シ ョック。「トイレットペーパーがなくなったら、 トイレはどうする?」と子どもながらに心配し、 長蛇の列に並んでトイレットペーパーを買った 記憶があります。
2 巡目は、平成元年、琉球大学医学部 4 年。 昭和天皇崩御、天安門事件、ベルリンの壁崩壊 と激動の年でした。高校時代より始めた硬式テ ニスを続け、部活三昧の日々を過ごしていまし た。心臓移植がやりたくて母校の第 2 外科に憧 れるも、ポリクリであっさり断念、循環器内科 を志すものの、聴診がさっぱり分からず、自分 にはセンスがないと諦めました。その後、耳鼻 咽喉科で聴力テストを受けたら、難聴と診断さ れました(原因不明)。そんな中、泌尿器科の 先生のお誘いを受け卒業後すぐに泌尿器科入局 することにしました。医局員が少なかったので、 朝は 7 時にやってきて採血から始まり、帰りは 0 時過ぎ。以降臨床のみに明け暮れ、論文を書 くこと等ありませんでした。
ところがある日突然、秦野直助教授から国立 がんセンターで研究してみないかと話を頂きま した。妻(小児科医)に相談したところ、「面 白そうだから行く」とのこと。そして、平成 11 年 4月より国立がんセンター研究所支所臨床 腫瘍病理部に勤務し研究を始めました。最初の 1 年は全く結果が出ずさんざんでしたが、私生 活の方では双子を授かり充実していました。
3 巡目は、平成13年、泌尿器科医 11年目、 研究 2 年目。アメリカの世界貿易センタービル に 2 機の旅客機が激突してビルは崩壊、いわゆ る 9.11です。この文章を書きながら巳年って 荒れるんだと気付きました。自分はと言うと、 幸運が突然やってきました。論文が CANCER RESEARCH にアクセプトされたのです。研究 のおもしろさに目覚め、いつしか「前立腺がん の骨転移機序の解明ならびに治療法の開発」が ライフワークになりました。
大学に戻って 2 年過ぎたころ今度は、小川 由英教授より留学してみないかと話がありまし た。妻に相談したところ、また「面白そうだか ら行く」とのこと。平成 16 年から 2 年間、テ キサス大学サンアントニオ校で前立腺がん骨転 移研究を続けました。平成18年に日本に戻っ たところ、小川教授より「せっかくだから東京 でも経験を積んできたら」と言われました。ま たまた妻に相談したところ、今度は「子どもが 小学校に入ったばっかりなので行かない」とキ ッパリ断られました。東京医科大学での 2 年間 は単身赴任でしたが最先端の技術を目の当たり にし充実していました。
平成20年から再び琉球大学附属病院に勤務し ました。40代半ばとなり始めたころ、陽心会高 良健理事長から「サ高住を建てるんだけど、そ この 1 階が空いているので開業してみないか?」 との話を頂きました。一生に一度は、開業を経 験するのもいいかもと思い、妻にも相談せず自 分一人で決めました。その後とんとん拍子で話 は進み、平成23年5月に開院となりました。い ろいろな不安もありましたが、お陰様でよいス タッフに恵まれ、予想以上に多くの患者さんに 来ていただいています。最近は来院して下さる 皆さんと共有できる喜びを感じながら毎日診察 しています。これは勤務医時代には感じること のできなかった感覚で、開業した者にしか味わ えない醍醐味なのであろうと思っています。
4 巡目の今年、次なる 5 巡目に向け健康に留意 しつつ、クリニック共々、更なる発展充実をめ ざし新たなスタートを切りたいと思っています。
それでは今年もよろしくお願いいたします。