県立八重山病院 依光 たみ枝
「新春干支随筆」の原稿依頼が届いた日に、 職場の後輩から「シルバー川柳」を手渡された。 ウチアタイする川柳に涙しながら笑う自分も、 その仲間に入っている!!
子育て真っ最中の 3 回目のトシビーに、この 「新春干支随筆」を書いたような、書かなかっ たような…、だんだん記憶も定かでは無くなっ てきた。今日大笑いした「自己紹介 趣味と病 気を ひとつずつ」にならい、歩んで来た自分 自身の「女の一生」を川柳で振り返ってみよう と思う。ちなみに趣味は我流川柳で、病気は人 名記憶・記銘力障害である。
【研修医時代】
・ね〜ね〜と 呼ばれて「はい?」 と問い返し
中部病院での 1 年次研修医(当時はインター ン)16 人中、女性は私 1 人であった。あっち こっちでコールされ病棟を走り回っているのを 「ね〜ね〜水飲みたい」と言われ、救急室で診 察し検査しましょうと言うと「この病院では医 者は診ないのですか」と不審がられ、手術着で 回診していた 2 期後輩は「掃除のおばちゃん」 と子供に言われ憤慨し、女性医師は希少動物的 な存在であった。
・立ったまま 眠る特技を 獲得し
・当直で 夜食に呼ばれ 10 キロ増
【麻酔科医へ】
・モニターは 5 感が頼り 良き時代
旧手術室は 6 室で心電図モニターは 2 台の み、1 台は心臓手術の麻酔専用、残りの 1 台は もっともリスク大の患者優先、4 人の患者は胸 壁聴診器、手動カフ血圧計、パルスオキシメー タはなく血の色を絶えずチェックし、物(モニ ター)のない時代は自分の 5 感が頼りで、何か 変だという第 6 感で患者も自分も助けられた古 き良き時代に麻酔科研修が開始した。
・10 時間 バッグもむ爪 出血し
・患者より 自分の心臓 止まりそう
【結婚】
・長続き 秘訣を聞かれ 距離と言い
お互いの仕事上離れて暮らして 30 年以上、 ジジババ家庭だった我が家では娘達もそれが普 通だと思っていたようだ。
・えらいさ〜 夫は褒められ 私は?と聞き
・三分刈り 気づかぬ妻は 反省し
久々に帰宅した夫の散髪に気づかなかった失 敗を次回こそ取り戻そうと、「あれっ、今日散 髪したの?」と聞くと、「帰って来る 2 日前か ら三分刈り!」と言われた後から、散髪の話し は禁句にしている。
【子育て】
・量よりも 質が大事と 言い聞かせ
・山登り 覚えてないに ただ涙
・絵本読み 子らより先に 夢の中
・ぐれもせず よくぞ育った 親に感謝
月 10 回以上のオールナイトの当直は、66 歳 から第 2 の子育てをしてくれた母親が頼りだっ た。ミルク飲んでもぐずる娘に、しなびたおっ ぱいをしゃぶらせて寝かしつけた母が、ひ孫の 顔を見ることなく享年 95 歳で急逝したのが、私 以上に娘達にとって最大の心残りだったようだ。
【ICU 専属へ】
・50 すぎ 過去問解けず うなされて
・念願の 施設認定 夢かない
・オバー呼んでのオジーおれど オジー呼んでのオバーなし(字余り)
これは ICU 入室患者の実態である。女はい くつになっても強し!
【八重山病院へ単身赴任】
・古里の 面影消えて 道迷い
・管理職 商売道具が 印鑑へ
・人集め 離島の苦労 実感し
・病院は 一人ひとりが みな家族
40 年ぶりの古里、車が人をよけ、馬の糞が 道から消滅した代わりに、信号機がたち、一方 通行ができ、歩道があり、グルメの店が満載さ れ、かわいかった友の面影もなく(人の事は言 えないが)、あまりの変貌ぶりに複雑な思いを した 1 年半があっという間に過ぎ去った。
救急の現場から管理職への転換、医学用語よ り難しい行政・経営用語をインターネット検索 しても、頭にす〜っと入らず…。できる事から しかできないといい聞かせ、とにかく face to face でコミュニケーションをモットーに、「私 たちの病院」と病院職員だけでなく、地域住民 に愛され信頼される病院にするにはと暗中模索 の毎日です。