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本当に為せば成るのだろうか?

長澤慶尚

北部地区医師会病院 内分泌代謝科
長澤 慶尚

上杉治憲うえすぎはるのり は江戸中期出羽国米沢藩の第九代藩 主である。他に例がない程に人口に占める家臣 の数が多く(公務員が多い理由は決して最近の ギリシャの様な事情ではなく、藩の禄高が減り 収入が限られる様になりながらも、初代藩主以 来の家臣達を決してリストラする事が無かった 為らしい)、領地返上寸前に迄陥った深刻な米 沢藩財政の再生のきっかけを作り、江戸屈指の 名君として語り継がれている。

藩主隠居後の号である鷹山ようざんの方が著名である が、直江兼続の教えを手本に、藩政改革に示し たリーダーシップを賞賛し、殊にバブル崩壊後 の現代日本では、『有るべき経営者の姿』とし て耳目を集め、時には「天明の大飢饉に於いて 餓死者が藩内から一人も出なかった」等という 風評の如く、明らかに誇張された喧伝も有るが、 以下の一文等は皆どこかで目にした事が有るの ではないだろうか。

「生せは生る 成さねは生らぬ 何事も 生らぬは人の 生さぬ生けり」

これは武田信玄の名言「為せば成る、為さね ば成らぬ。成る業を成らぬと捨つる人のはかな さ」を模範として和歌に詠んだものとされてい る。勿論それ自体が元を辿ると中国の歴史書『書 経』の一節である「弗爲胡成」(為さずんばな んぞ成らん)に由来するらしい。

『生す』と『為す』の差等、微妙な語彙の違 いも有るのだろうが、信玄が「工夫して苦労を 重ねても、そうして頑張ればちゃんと上手く行 く道が拓けるのに、その探す努力を尽さずに、 上手くいかないから放置してしまう人の儚さ」 を憂えているのに対して、基本的に鷹山の言い 換えは部下に対する戒めとしての性格が強い文 章の様で、その中には「上手く行かんのは、お 前がきちんとやっとらんからぢゃい。」と言う イメージが感じられてならない。

この文章を発する主体が「誰か?」に依って も勿論意味合いが異なり、私は何もこの一文を 座右の銘として自らを律して居られる諸兄を批 判するつもり等毛頭ない。自分の心の内でこう 思うのならそれは素晴らしいと寧ろ思うが、全 国の自治体首長の尊敬するリーダー第一位とし て名が挙がるとなると(2007 年版;そもそも こんなアンケートをとる讀賣新聞の見識を疑う が)、この言葉にはリーダーに成りきれていな い無能な上司が部下に責任を転嫁して発する傲 慢さも見て取れるのである(不遜な解釈である と御批判を頂くのは致し方ないですが、少なく ともこの言葉を研修医が心に秘めても構わない が、指導医が披瀝するのは適切でないと思って ます)。

そんな事を考えていた矢先に、某国内自動車 メーカーのCM をネットの動画配信で目にし た。本田宗一郎と言う創業者が一代で築き上げ、 モータースポーツ界では勇名を馳せているこの 会社も、近年の構造不況の中で必ずしも順風満 帆ではないと言う。

『負けるもんか(プロダクト)篇』と名付け られたその60 秒間はカット無し一発撮りで創世記のA 型原動機付自転車から最新のNSX コ ンセプトに至る迄の「名車」達を経時的に淡々 と移し続けるもので、そこにナレーションがオ ーバーラップする。面白い表現だったので紹介 してみたい。

「頑張っていればいつか報われる、持ち続ければ夢は叶う!」

そんなのは幻想だ。

大抵努力は報われない、大抵正義は勝てやしない。

大抵、夢は叶わない。

そんなこと現実の世の中ではよくある事だ。

けれど、それがどうした? スタートはそこからだ。

新しいことをやれば、必ずしくじる。腹が立つ。

だから、寝る時間・食う時間を惜しんで何度でもやる。

さぁ、昨日までの自分を超えろ。

CM と言う形で公表されては居るが実は地上 波・衛星放送で実際に目にした事はないし、そ の内容はユーザーに対しての宣伝と言うより も、不況の中で不透明な先行きに不安を抱えて いる自社の従業員に対しての鼓舞・叱咤のメッ セージの様では有る。

個人的には学生時代の原付バイク以外にはこ の会社の製品を購入した事が無いので、余り思 い入れもないのだが、You tube で配信された このCM に対して絶賛するものから非難するも の迄様々な反応があった点がちょっと興味をそ そられた。

「第二次大戦後に我が国が再興する力となっ た『もの作り』のスピリットが失われつつ有 る現代に向けた熱き思い」等と言われればア ナクロに過ぎるし、こういった言葉はいつか 来歴も原点も判らないまま一人歩きしていく だろう。先人の名言程には未だ洗練されていないし、起承と転結の間の論理的な飛躍・乖 離が気にも成る。

だからこの文章も実は人に向けて言うべき言 葉ではないのだろうと思う。ただし心の中で、 自分に問いかけるにはちょっと良いかも知れな い。少なくとも自分の心が折れそうな時、実は 心が疲れているのではないかの判断基準には成 るかなと思っている。

でも今のうちだけで、そのうち忘れてしまっているかもな。