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空手部の頃

中山仁

中山内科医院 中山 仁

最近、近い記憶は怪しくなる一方だが古い記 憶は案外鮮明である。大学時代の話を書いてみ たい、結構面白く読んでもらえるかと思う。

医大の寮に入って半月ほど過ぎたある夜、私 の部屋のドアをバーンと乱暴に開けて巨漢が入 ってきた。

「お前、相撲部に入れ!」といきなり甲高い 声で命令する、肥満しているが目つきは鋭く威 圧的だ。

「あの、相撲部に・・僕がですか?」突然の 事に当惑する私に「お前背はどんだけだ?身長 だ!」と尋ねるので「173 くらいです」と答えた。

「体重は無さそうやな、まあいい、心配ない。 入ったらどんどん肥らせてやるから大丈夫や」 と勝手な事を言う。

非常にまずい状況である、このままでは強引 に相撲部にされる、冗談じゃない、あんなフン ドシ、いやマワシ一丁で尻っぺたを人前にさら すなんて当時人一倍シャイだった私には恐怖で しかない。おまけに無理やり飯を詰めこまれ、 肥らされるのだ。

困惑する頭に妙案が浮かんだ。

「あのぅ、実は・・僕は沖縄の出身で・・その、 前から郷土の武道、空手を習いたいと思ってい るんで・・相撲の方は、ちょっと・・」としど ろもどろに言うと、「そうか、わかった」と思 いのほか簡単に納得して出て行った。

ほっとしたが、安心したのは早かった。

10 分足らずで、部屋の外の廊下にばたばた 足音がして、ここや、ここやと声がした。

ドアを開けて入ってきたのは、やたら肩幅の 広いがっしりした男で金縁メガネ、角刈りの端 正な顔をしていた。後ろに先程の巨漢もいる。

「お前か、空手部に入りたい言うとんのは?」 「あ、はい・・」まさかだろ!私は焦った。

「わしゃあ、空手部の牛尾ちゅうもんじゃ、 明日、5 時に道場に来い。待ってるぞ。これか ら一緒にがんばろう」にかっと真っ白な歯を見 せて笑うと出て行った。

こうして、子供の頃から運動音痴の私はなり ゆきで空手部に入る破目になった。

まいったな、とは思ったが、何せ医大の空手 部だ、知れてるだろうと高をくくる気持ちもあった。

結構ハードな日々が待っていた。

二人の先輩、相撲部の岡田さんと空手部の牛 尾さんは強面なイメージで後輩に畏怖されていた。

私はたまたま不在だったある晩、寮の一年生 全員が集められ、たるんでるというので二年生 が制裁した事があった。

と言っても怪我するようなもんじゃなく猪木 のビンタみたいなもんだから男ばかりの集団の 通過儀礼で、上級生なめんなよ、こら!と言う だけの話である。

たるんでなくてもおなじだったろう。

空手は思いがけず私の性に合った。クラブ活 動もしたことがない私だが真面目に稽古にはげ んで、それなりに上達していった。

二年の終わりには関東学生空手選手権(医学部リーグではない)のメンバーに選ばれた。

国立武道館の大会場で我がチームは早稲田と対戦したが、早稲田は船越義珍が最初に指導し た大学で強豪として知られていた。

次峰の私の相手は少年剣士みたいな凛々しい 顔だが、背は私より5,6 センチは高く肩幅が広 く手足が長い、こういうのはやりにくい。

懐が深く、長いリーチで間合いをとられたら どうしようもないのだ。

試合が始まってすぐ接近した途端、相手の上 段突きが流れてカツンと私の顎に当たった。

寸止めルールではこれは反則だ、むかっとし て睨むと、文句があるかという顔で睨みかえさ れた。

頭にきて、次の接触で水月に突きをぶちこむ と、うっ、と声を出して顔をゆがめた。

「こら、双方注意!はなれて」審判が叱りつ ける。相手の顔は怒りで真っ赤であるが私もす っかり興奮していた。

それからは何が何やら、寸止めも何もあった もんじゃない、乱打戦になり審判は双方反則失 格、引き分けと判定した。

田林監督に怒られているところに中背のがっ しりした40 半ばの人がやってきた。

年中不機嫌な顔の監督が最敬礼しているのを そばで見ていたら、私に向き直り「君、中山く ん、元気があっていいぞ。医者になるのはおし いなぁ」と笑って肩を叩いた。全空連のコーチ の高田さんだとその後先輩が教えてくれた。

それから三年、空手部を退部した私はアパー トでテレビを見ていた。「全日本ライト級1 位、 中村***」リングアナウンサーに紹介されて コーナーで片手をあげたのは早稲田のあいつで あった。

寸止めルールのフラストレーションから解放 された中村くんは、今は少年ぽさも抜けた精悍 な顔で思う存分殴ったり蹴ったりしていた。