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平成23年度 沖縄県医師会勤務医部会講演会
〜病院総合医の育成をめぐって〜

城間寛

沖縄県医師会勤務医部会
部会長 城間 寛

去る2 月29 日(水)沖縄県医師会館(3F ホ ール)に於いて、洛和会 音羽病院 院長 松村理 司先生をお招きし、『病院総合医の育成をめぐ って』と題する講演会を行った。

松村先生は病院総合医の育成をめぐる現状に ついて次のように述べた。

「脇役」たちがつないだ震災医療

去年3 月11 日の東日本大震災で発生した津 波被害は、通常の震災とは大きく異なり、万の 単位で多くの方々が一瞬のうちに犠牲となっ た。今回の震災では、泌尿器科医が肺炎を診た り、薬剤師等コメディカルが医療チームの要になった。

これらのことを踏まえると、厄災が大きな次 元で起こった際には「専門」ということは必ず しも当てはまらない。医療の中のどのチーム、 どの部隊が一番活躍するかは必ずしも分からな いものである。

21 世紀半ばにかけて
超高齢社会は多病・多死時代

21 世紀半ば、我々は多死時代を迎える。多 くの方々が亡くなる時代、現在の年間80 万人 から大凡170 万人近く亡くなるだろうと言わ れている。現在8 割は「病院死」という格好だ が、多死時代にはどのように終末期を迎えてい くのか。在宅やサービス付き住宅で対応できる のか。非ガン症例、非ガン患者さん達はどのよ うになっていくか。非常に大きな問題である。

そのときに日本の医療界が得意とする臓器別 専門医の知識と技能、スキルの足し算と掛け算 だけでは、乗り切ることは難しい。臓器別専門 医にたくさんにかかわると、スキルあるいは知 識の足し算や掛け算となり、引き算や割り算が 出難い傾向になる。医学的工夫が求められる。

つまり高齢者にとっては、それが高医学的な 貢献になるかどうか難しい側面がある。それぞ れの角度からは何の問題も無いことであっても、全体から見ると問題が起こってくる。質の高い 総合医がおれば彼らの出番ではないかと思う。

臓器別専門医の有り様に文句を言っているわ けではないが、どうしてもたくさん集まると足 し算の理論になり、いわば90 歳の高齢者に30 種類ぐらいの薬が出ている現状がある。これら を誰がどのように整理をするか大きな問題だと思う。

「病院総合医や総合医」について

京都府では行政が主導となり、総合診療を通 してこれからの医療を考える機会とすべく「京 都のスーパーG(ジェネラリスト)集合!」と いうフォラームを開催した。香川県でも医師確 保対策の一環として、県庁を中心に「病院総合 医の養成」「大リーガー医の招聘(アメリカで 秀でた臨床医を招聘)」等、教育に資するよう な取り組みを行っている。

また、今年1 月、厚生労働省が「総合診療医 を育成する」という記事が日本経済新聞に掲載 された。この他、全国自治体病院協議会や中医 協で活躍された先生方からも「病院総合医を専 門医の1 つに」との発言も出ている。

今「病院総合医や総合医」という言葉が、行 政やメディア、専門委員会等を中心に目立つよ うになっており、流れはあるように思うが実態 として進んでいる訳ではない。

総合医が病院崩壊を救う
−専門医との協働を求めて−

2 年ほど前に「地域医療は再生する」という 書物を医学書院から出版した。病院崩壊の打開 策として「総合医としての開業医の拡充」を挙 げた。開業医の先生ができるだけ総合医として、 より一層機能して欲しいと考えている。

病院崩壊を救うという意味で、質の高い病院 総合医(ホスピタリスト)を更に多く養成する。 増加した病院総合医やその卵は、専門医(大半 は臓器別)とその予備軍の労働負荷の軽減にも 全力を尽くす。専門医が更に専門に特化するこ とができる。非特異的な「非専門」は総合医が担う。総合医の質や量が要である。結果として 専門医と病院総合医とのスキルミックスの厚み が生まれると考えている。

日本の病院勤務医は、専門医と専門医になろ うとする人が大半である。しかも、臓器別専門 医がほとんどである。専門医は忙しく、その割 に国際的な「生産性」が低い。臓器別専門医の 互換性は乏しい。つまり、各診療科間の取り換 えがきかない。内科系専門医たちは、手が空い ていても、手術の助手になれない。外科系専門 医たちは、手術のキャンセルで暇ができたとし ても、忙しい内科系外来を手伝えない。専門以 外のことに携われないことがある。

特に専門特化していない中小規模の病院にお いては、医師の絶対数が同じなら、専門医が少 ない構造のほうが、その逆より病院崩壊をきた しにくい。また病院再生につながりやすい。

救急医療の現場において

日替わりメニューで専門医が救急当直し、一 次救急にも駆り出され、ふだん経験しない「非 専門」に四苦八苦する愚は、そろそろ避けた い。こういう「各診療科(各当直医)相乗り型 救急」を墨守するのではなく、病院の一次救急 を、ER 型救急専属医や彼・彼女たちと連携す る総合医にできるだけ任せてはどうかと考えて いる。

理想とする総合診療

我々が考える総合診療科というのは病院の中 において、図1 右下の下の部分だと考えている。 間口も奥行きも広く、体積、面積の広い部分で ある。上の部分は各臓器別である。専門科と協 調・協力していきたいというところである。こ のところの協調・協力の部分は、実際にはなか なか難しいところである。

ワンランク上の病院総合医を目指していくに は、1)診断推論・臨床推論の訓練、2)治療の EBM(バランスのとれた治療)、3)チーム医療 下での屋根瓦方式教育指導体制の3 つを挙げた い。これは何も病院総合医に特化した話でもないが、診断推論や臨床推論の訓練というものは、 非常に病院総合医にとっては間口の広い領域を 扱うだけに、特に大事なものである。

図1

図1 理想とする総合診療(福井次矢氏、ER magazine より)

健康問題の発生頻度と対処行動

ある地域の一般住民の健康問題の発生頻度と 対処行動について1,000 人を対象に1 カ月間調 査したデータである。図2 では、どこに勤め ているか、どこの医療現場にいるかによって疾 病の構造や疾患の密度も変わることを示してい る。また、検査を行った際の陽性率も変わる。 また、陽性であった際の病気の予測値も変わっ てくる。同じ検査だとしてもその検査の意味合 いが変わってくると考えている。しかし、これ を科学的にきちっとした形で出すのは非常に難 しい。日々の臨床の中で、先輩と若い医師たち、研修医が頭を抱えて悩んでいる部分は大変大事 なことだと思う。

図2

図2 扱う問題の頻度の高さ
わが国の一般住民における健康問題の発生頻度と対処行動
Fukui,T et al.JMAJ 2005;48: 163-167(調査期間:2003年10月1-31日)

後医は名医!

総合医の立場から述べると「後医は名医」と いうことなので、後医は後ろにくる医師ほど、 つまり総合医、プライマリ・ケアの立場からす ると、後ろに立つ人、専門医ほど患者のすべて の臨床像ができあがった姿を見やすい。一番初 めの像はなかなか難しいため、プライマリ・ケ アの診断の能力というのは、本質的に難しいと ころがある。

症例の吟味4 種類の疾患

結局、症例を吟味すると、4 つに分かれると 考える。「典型的症候を呈するありふれた疾患」 「非典型的症候しか呈さないありふれた疾患」 「典型的症候を呈する珍しい疾患」「非典型的症 候しか呈さない珍しい疾患」

殆どは比較的ありふれた病気が非典型的な症 候を示すために、なかなか診断がつけにくいも のも多い。ここを診断学という意味では症候論 として乗り切り、この辺は面白いというものが ないと、なかなかホスピタリストのところへは 集まってこないと感じている。

総合診療の本質

あらゆる病人のあらゆる症状、病気・病態を 診断する。あらゆる病人を非特異的に診る。「木 を見て森を見ず」には陥らないと常々言ってい る。しかしながら、アイデンティティ・クライ シスに陥ったり、疲弊困憊したりもする。また、 専門医が分けあい救急などを行っていた場合 に、ER 型の救急医と総合診療医がおれば、あ まり出なくても良い傾向になってしまう。そう なると、一般的に救急をしたいという専門医は 少ない。総合診療医からみれば怠慢というよう な感じが出て、不公平感を生むこともある。

専門医や総合医にかかわらず、その病院で働 く医師は、当然救急に携わるものであるという 部分が大きく残っていると、そういうところは割合、ER 型の救急医は少なく、そして総合医 が必ずしも育っていない。

我々は自覚的にER 型の救急医を育て、総合 診療医を大きくすることを行ってきた。しかし、 救急を巡り随分不公平感が出てきた。総合診療 医も専門医が専門のことをもっと一生懸命やっ てくれている。必ずしも救急に出てこなくても、 あるいは救急現場でここぞというときにその専 門医が出てくれなければならないときに、何と なくフットワークも遅いということになってく ると、非常にだめである。この数年、その思い を非常に強くしている。

専門諸科との齟齬について、ひとつの検査所 見に拘り介入の時期を逸する。すばやく生検し なければならないのに行わない。画像検査より も外科的手技が必要な事態なのに、石橋を叩き 割るように画像検査を行って患者を失う。この 辺りを専門医と共にどうクリアしていけるのか が大きな課題だと考えている。

病院総合医の活躍の鍵

総合医は、病院総合医から家庭医、ER 型救 急医や老年科医まで幅広い。当然、総合医としての開業医や総合医マインドをもった臓器別内 科系専門医、後期研修医の総合医マインド、還 暦前後の勤務医、小病院の専門医など、総合医 の予備軍があろうかと思う。

総合医の質にはリーダーの存在が必要であ り、総合医の量には院長の理解・協力が必要で ある。専門諸科との協働によるwin-win の関係 が必要である。もちろん、経済的なインセンテ ィブを与えることが重要である。その他、専門 医認定や医学界での市民権、世間からの社会的 評価が挙げられる。

その後、行われた質疑では、ゼネラル志向の 研修医達に継続して総合医マインドを持たせる にはどうしたら良いか等の質問があり、松村先 生は、ホスピタリストの核となる医師がかなり 診断能力的に長け、その医師が教育に専従する 時間があり、具体的な症例をここまでみること ができるのかという診断の妙味を示す必要があ る。また、病院の総合医が集まり症例検討会を 定期的に行う雰囲気作りも大切であるとの考え を示した。

印象記

沖縄県医師会勤務医部会
部会長 城間 寛

2 月29 日、勤務医部会講演会として、洛和会音羽病院の院長、松村理司先生を招いて、「病院 総合医の育成をめぐって」と言うタイトルで講演が行われた。地域医療崩壊や病院崩壊などと 言われるようになって久しいが、その原因として、「臨床研修制度の変更により、起こった」な どと言われることもよく聞かれた。しかし、それよりも、これまで日本の医師の育成が、大学中 心或いは、学会中心に、専門医育成を目標に行われてきたため、診療分野が狭まり、現場の医療 needs に対応できなくなってきた事が、現在の状況ではないか、と言う指摘もある。

その中で、最近総合医育成が医療崩壊対策の切り札とも言われているが、音羽病院の松村先生 方の取り組みは、非常に参考になるものであった。同じ人数の医師がいた場合に、総合医と専門 医のバランスでは、総合医が多く、専門医が少ないほうが、医療needs に対する生産性は高まり、 病院崩壊を来たしにくいと、松村先生は主張された。そのために、音羽病院では質の高い病院総 合医(ホスピタリスト)育成を目標に、医師の研修を実施し、その実際を、紹介された。

沖縄県では、県立中部病院の研修医制度や、宮城征四郎先生を中心とする群星沖縄プロジェク トの研修制度が、ほぼ同様な趣旨で、研修医教育が行われている事は、沖縄県の地域医療の点か らは、幸いなことである。平成16 年の医師臨床研修医制度の発足は、それを目指していたもの なので、初期研修だけでなく、それに続く制度として病院総合医という制度が定着していくこと を期待したい。