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事故の記憶

佐村博史

さむら脳神経クリニック 佐村 博史

あれは忘れもしない今から14 年前、1998 年元旦のことです。

年明け直前に脳出血の急患が入って、私は 1998 年の始まりを八重山病院の手術室で迎え たのでした。手術が終わって帰宅する時はたい したことなかったんですが、夜半過ぎから降り 出した雨は激しさを増し、夜が明けてからも土 砂降りの年明けでした。朝食の時病院から、 「救急室が大変なことになっている。すぐ来 い!」と電話が入りました。飛んで行くと救急 室は血の海。

夜中に浜辺で酒盛りをした高校生7 人のグル ープが、パジェロに乗って帰り道でクラッシュ し、超重症交通外傷が5 人いっぺんに搬送され てきたのです。5 人とも超重症頭部外傷で、全 て脳外科医が対応しなければなりません。

他の地域であれば、別々の病院に搬送された かもしれませんし、救急患者のたらい回しが言 われるご時世ですから、受け入れ出来ませんっ てコトもあったかもしれませんが、当時の石垣 市に、いや、八重山郡に病院は八重山病院ただ 一つ。救急車のピーポーピーポーが聞こえれ ば、必ず八重山病院に搬送されてきます。

勿論「受け入れ出来ません」などとお断りす ることなど、びた一文出来ない状況です。救急 室の初期対応では、小児科、産婦人科、外科、 整形外科など医局の先生方が総出で手伝ってく ださり、何とか乗り切ることが出来たのです。

運転席と助手席の2 人は軽傷ですんだのです が、後部座席に乗っていた4 人のうち2 人はほ ぼ即死。残り2 人も助かりませんでした。トラ ンクで寝ていた最後の1 人は、3 ヶ月間は意識 のない状態が続きましたが、何とか意識も回復 し装具や杖などを使ってどうにか歩けるくらい までに回復しました。

年の初めから書くべき内容ではないかもしれ ませんが、これは14 年前の元旦に実際に起こ った出来事です。私は4 人目の患者さんが亡く なるまでの3 週間余の期間、ご家族と脳死の現 場を一緒に戦いました。私にとって絶対忘れら れない出来事ですし、このような悲惨な事故が 二度と、いや絶対に起こってはならないと思い ます。

時が経てば事故の記憶は薄れ風化していくか もしれませんが、亡くなった子供達のご家族に はいつまでも消せない悲しい記憶として残って いるはずですし、それはあの事故で犠牲になっ た子供達を受け持った私も同じです。忘れよう と思っても忘れることは出来ません。

毎年元旦には、事故で亡くなった子供達のご 冥福をお祈りします。高校生って、なりはでか くてもまだまだ子供です。計り知れない可能性 を秘めた未来ある若者達が、若さ故の無謀な過 ちや暴走行為で大切な命を無駄に落とすことの 無いよう願わずにはいられません。

今年1 年、みんなが健康で過ごせますように!

悲惨な事故が、二度と起きませんように!!!