はえばる北クリニック 安里 千文
明けましておめでとうございます。はえばる 北クリニックで内科を担当しております安里千 文と申します。本年も(今後とも)どうぞ宜し くお願い申し上げます。
医師会会員登録早々に妙にタイミングよく干 支がまわってきてしまい、つたない文章をお見 せすることになってしまいました。しばしお付 き合いください。
夫君の開業に伴いなんちゃって共同経営者と なったのが昨年の6 月。開業後初めての新年、 初めてのお正月です。とはいっても、この齢ま で新年を迎えての目標を立てたことも特になく、 改めて生まれ年を迎えての思いを・・・といわ れましてもただただ困惑するだけであります。
干支と言われて私が真っ先に思い出したの は、実家で使っていたお正月用の箸の袋です。 大晦日になると母が家族それぞれの生まれ年の 干支が付いた袋に入っている上等な箸を用意し てくれました。普段、自分の箸はあったはずな のに、正月に限って出てくるこの箸が妙にうれ しかったことを思い出します。描いてある干支 のデザインも何となくほのぼのとしておりまし た。最近自分でも探してもみたのですが、なか なか思っていたようなものは見つかりませんで した。
私の小さいころのお正月は、スーパーという もの自体がなく、八百屋さん、肉屋さん、お魚 屋さんがそれぞれあった時代です。セリが休み の間はしっかり正月休みになる時代でしたから、 おせち料理はただのごちそうとしてだけでなく、 お正月の間の保存食としても重要でした。子供 の私と妹の年末の手伝いは、塩漬けした数の子 を水にもどした後の皮むきと茹でたギンナンの 実で正月料理のお飾りを作る作業でした。数の 子の皮むきは塩水の中に手を付けっぱなしで行 うため手がかゆくなり、水を吸って手の皮が白 くふやけてしまいましたが、それでも皮をむき ながら取れてしまった数の子の切れ端を口に運 びながらの手伝いで割と楽しかったことを覚え ています。しかし、ギンナンには若干閉口しま した。まず匂いが硫黄くさい、つまりおならく さかったこと。大人になった今でこそおいしく 感じますが、子供時代にはさしておいしく感じ ないギンナンと格闘するのは大変でした。
お正月には必ず父親の職場の人が新年会と称 してきていたことも懐かしく思い出されます。 大学病院に勤めていた父親の医局の先生たちで したが、当時、女医さんは少なく、当然集まる のはおじさんたちばかり。そういえばあまりお 兄さんくらいの年代の人がいなかったのは、お 正月の病院の当直をしていたんだろうなぁ。と にかく、たくさんのおじさんたちがどっと来て は楽しく食べたり飲んだりされていったもので す。酔っぱらったおじさんたちは子供だった私 たち姉妹とよく遊んでくれました。が、時には 酔っぱらいすぎて石油ストーブにぶつかり耐震 装置を作動させたり(作動するとすぐに火は消 されてしまい、次に着火するまでやや時間がか かり寒くなります。)ついでに向かいの教授宅に向かって「おお〜い、○○!(教授の名前で す)」と叫んで退場になる場面を子供心に楽し く拝見したものです。
現在同じように家庭を持って、同じように医 師の夫を持ってはいるものの、あのころの母の ようなお正月の準備のできない自分を省みて、 自分の子供たちは干支やお正月のキーワードで 何を思い出してくれるだろうか?と今回の投稿 をきっかけにかなり不安になりました。
そうだ、今年は子供たちの思い出に残るお母 さんをテーマに頑張ってみよう!と思いました が、相変わらず帰宅は遅く、手作りの夕ご飯は おろかスーパーのお総菜がテーブルにのる日も 少なくなく、どうしたものか・・・と思ってい るうちにまた来年になりそうな気がします。