沖縄県医師会 > 沖縄県医師会の活動 > 医師会報 > 1月号

県立名護病院勤務を振り返って

山城和也

地方独立行政法人那覇市立病院
外科 山城 和也

新年おめでとうございます。私は昭和27 年 の辰年生まれです。干支に因んだ随筆をとのこ とですが、もうすぐ還暦という立場には何の感 想もありませんので、若い頃お世話になった、 今は無き名護病院のことを書いてみたいと思い ます。

皆さんは、県立名護病院をご存知ですか。平 成3 年12 月1 日に県立北部病院が新築・新生 され、県立名護病院は建物も名称も消滅しまし た。過去に不祥事が二三あったので、まるで忌 まわしいものが消し去られたような印象があり ました。

私は昭和57 年9 月から名護病院に勤務しま した。当時、名護病院は建物としては県立病院 で一番古かったのですが、若く気鋭の医師が多 かったと思います。内科・小児科・外科には中 部病院で研修を受けた医師が多く、先進の心意 気は高く、小児科では極小未熟児の治療、腸重 積症のエコー下空気注腸整復など目を瞠るもの がありました。内科の先生は気管切開、透析用 シャントの作成などは自前で行っていました。 しかし、脳神経外科、泌尿器科は診療科が無く 緊急開頭術、尿管切石術、腎摘術などは外科医 が行っていました。

外科スタッフは、トップは中部病院研修医一 期生で厳しさと優しさを兼ね備えた何でもでき るY 先生、温厚で私と同郷の兄貴分のI 先生、 琉大よりの派遣医で飲むと性格の変わるK 先生 がいらっしゃいました。スタッフが少ないため 待機手術は2 人で行わざるを得ないなどの制限 がありましたが、通常の勤務に負担感はありま せんでした。しかし時間外と救急医療は大変で した。整形外科医1 人を加えて5 人で当直を行 っていましたが、月に6 回、土日は日当直で、 21 時間・24 時間連続勤務、当直明けの休みは ありませんでした。さらに月に1 回は24 時ま での名護市医師会夜間診療所での勤務も任され ました。

北部地域は、週末には中南部よりのツーリン グで来た若者のバイク事故が多く、昼食をとる 暇もないほど救急が忙しかった記憶がありま す。整形外科医は夜間、土日は不在の事が多 く、ギプス固定やキルシュナー鋼線けん引など は自分で行っていました。

名護病院ならではの診療もありました。古宇 利島や嘉陽部落などへの巡回診療、離島からの 漁船による緊急搬送、真夏の公民館での乳がん 検診、大京オープンゴルフの顧問医・・・名護 病院は地域にとても貢献していたと思います。

救急医療さえ忙しくなければ北部地域は素晴 らしいところで、国頭の原生林、安田集落、屋 我地湾や塩屋湾など、心が洗われる場所ばかり でした。結婚そして長女の誕生、星空の下での ビーチパーティーやみどり街での歓楽など楽し い思い出がいっぱいあります。

沖縄の医療はこの様なものだと思っていまし たから、今思えば厳しい勤務にも耐えられたと 思います。おかげで外科医師としての体力と気 力はかなり鍛えられました。昭和61 年より那 覇市立病院に勤務しておりますが、私が名護病院で経験してきたようなことは現在ではありえ ません。専門以外の診療を行うことは社会環境 が許しませんし、手術でも助手としてしっかり とした経験が無ければ執刀も任せられません。

近年、外科医不足が言われていますが、施設 を集約し専門化すれば、医師も充足し、時間外 勤務の負担も減少すると思います。また、癌の 症例は確実に増加してきていて、手術適応も増 えています。腹腔鏡下手術などこれから発展が 期待される分野もあり、外科医の将来は明るい と思います。外科は手術で病気を治癒させるこ とが出来る診療科です。若手医師で将来何をす るか悩んでいる方は、外科を専門とする事を一 度ご考慮ください。