沖縄県医師会 > 沖縄県医師会の活動 > 医師会報 > 1月号

クバ笠は世界を巡る

川根内科外科 比嘉 司

幼少より、地図と歴史書が好きだった。半ば 道間違え、医者になったがナースも海外旅行に 行ける時勢に、このまま朽ち果てるか、過労死 かと悔やんでいた。憧れは世界遺産やシルクロ ード、名曲アルバム、など書籍とDVD の形で 集積されたが、所詮、国内それも脳内での話で あった。時間と金のないのが縁の切れ目でバツ イチになった頃良きパートナーに巡り合い、現職場に転職した。当前のことだが時間と金が手 に入るとあれほど憧れだった海外旅行がいとも 簡単にできるようになった。最初は東京より近 い韓国、ここからデビューした。エジンバラの 駅を出ると建物間に隙間がなく思わず叫んでし まった。セビージャではフラメンコに感動し た。以後、連日行き先々の街でそれを堪能し た。最初のシルクロードへの旅は西安から始ま りカシュガルまで赴いた。30 年来の憧憬が連 なり、毎日が保存できない上書きの連続だっ た。井上靖のように号泣こそしないまでも敦 煌、鳴沙山には潤むものがあった。ドナウはモ ルダウがフィヨルドにはグリーグが良く似合 う。ヒバ、トレド、サンクトペテルブルグ、イ スタンブールなどは街全体が世界遺産でそのス ケールの大きさには驚いた。鎌倉芳太郎の戦前 の写真では首里と城下町は米軍の10.10 空襲が なければ充分に世界遺産に値した。現首里城は 沖縄サミットの御祝儀のため外交機密費で登録 されたと思っている。世界遺産とのことで訪れ る観光者には気の毒だ。個人的には慶良間から 与那国までの海が充分に世界自然遺産に相当す ると思っている。実は波照間島に出向いた時、 釣り、マラソンに愛用していたクバ笠をかぶっ た。以後10 回目のチベットからクバ笠で世界 を巡っている。ポタラ宮殿は山合の秘境にある ことを想像したのだが、拉薩のシンボルとして 街中にあった。親切なチベット族は日焼けして 信仰に厚く五体投地でポタラ宮を周回してい る。漢民族のせいで自由にポタラ宮に入れな く、いずれ暴動が起こるだろうと予測していた らそうなった。新疆でも似たようなことを感じ た。アメリカ人をみると性悪説だがブータンで は性善説を信じた。未登録だがブータンのゾン は紛れもなく世界遺産クラスだ。彼らは其の誘 致運動すら知らない。アメリカ資本のホテルが 建設中なので日本のように邪悪に染まるのは時 間の問題か、行くなら今の内だ。ブータンは国 民の95 %が幸せと、貴方の幸せが自分の幸せ という平和な国だ。インドはカオスだったがブ ータンはコスモスだった。

イスラムの国々を全て回った訳ではないが治 安は日本よりはるかに良く、ウズベキスタンの 人々の目はずっと輝いていた。バスに乗ってい てもこちらに手を振って会釈している。沖縄の 離島のようだった。道行く女性の歩き方が美し く、何名も動画に取り込んだ。イスラム社会へ の恐れは多分に日米のプロパガンダと確信して いる。今までのところホームレスの一番目立っ た国は日本であり、駅ホームで最前列に並べな いのも日本だ。ロベン島に16 年収監されてい たマンデラ元大統領の牢獄をみると私なら3 日 以内になぶり殺されていると思った。

クバ笠は何処でも目立ち行き先々でかぶせて くれ、ツーショットしてくれ、果ては厚かまし くも譲ってくれ、と大人気だ。今にYou tube で目撃者の投稿欄が出来るかもしれない。帰国 後はこれに想いを込め印象を書いている。各々 の紀行文は字数制限上タイトルから想像して頂 きたい。10 天空への旅、11 インカの空中都市、 12 密林の遺跡、13 アドリア海の真珠、14 ベド ウインの幻影、15 龍の降りた湾、16 シルクロ ード、オアシス、17 野生動物とビクトリアの 滝、18 皇帝たちの栄華、19 氷河の掘削、20 ヒ マラヤの仏教王国、21 葡、英国の東洋への土 産、22 ククルカンの降臨とチャックモール、 23 玉葱尖塔教会とツァーリの宮殿、最近、“こ こ行った”、という画面がTV で散見できるよ うになり、うれしいのだが、そう、まだ数えら れる回数だ。パスポートも大分余白が少なくな ったがまだ1 冊目だ。余命は少なくなったのに行きたい場所は思いつくままこの3 倍以上あ る。そして、増え続ける。ここ10 年で世界遺 産は2 倍に増えた。体力がいつまで持つか?問 われている。因みに私の中の世界遺産ベスト5 は 1)アンコールワット、2)テオティワカン、 3)敦煌、鳴沙山、なんと4)があのマチュピチュ だ。5)ピョートルのペトロゴフ、感動するにも 体力が必要だった。

2011.8 月ロシア・キジ島、世界遺産木造教会

私より若い人の死亡が目に付く、医師会報も 死亡欄からみるようになった。自身、若き頃、 遭難死寸前が2 回、老いてからも2 回、死に直 面する大病を患った。後、何回クバ笠は世界に 披露できるか分らないが今年もクバ笠で世界を 巡るつもりだ。