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多くの出会いに導かれて

今村昌幹

沖縄県立八重山病院
医療部長・内科 今村 昌幹

札幌で生まれ東京で育ち、北海道の旭川医科 大学を卒業、中部病院での4 年間の研修後に八 重山病院勤務になりました。私の期から後期研 修後に1 年間の離島勤務が義務になって赴任し たのですが、数年は勤務するつもりでいまし た。多忙な日々でしたが、一般内科医としての 仕事に生きがいを感じ、いろいろな方の助けを いただきながら、1985 年に着任以来27 年間八 重山病院で勤務を続けています。妻は八重山で 独自の人脈を作り、手元には末の娘を残すだけ になりましたが2 男2 女の子供たちにとっては 八重山が故郷です。

医師である父の苦労を見ていて、子供のころ は仕事が大変な医者にはなりたくない、と思っ ていました。しかし、大学進学の時期には、苦 労に値する職業だと感じるようになり医師を志 しました。何年も浪人しましたが第二志望の旭 川医科大学に合格できました。父や祖父が北海 道大学(札幌農学校)の出身で、親戚がいて子 供のころに何回も訪ねた北海道に進学したかっ たのです。卒後研修をした中部病院は、先に来 ていた知り合いの先生から教えてもらいまし た。結核専門医の父が本土復帰前の沖縄に技術 応援で来ていて、趣味で撮影した八ミリ映画を 見せてくれたので、沖縄について少しは知って いました。それでもエクスターンで中部病院に 来たときに、空港からの道に外国を感じまし た。中部病院は補欠採用だったのですが、ただ 見学だけでなく自分にできることをしたいと思 って、ストレッチャーを押して患者搬送を手伝 ったのを、師長が覚えていてくれたのが採用の きっかけのひとつだったとも、ずいぶん後で聞 きました。

八重山病院に赴任したのも、中部病院研修医3 ・4 年次で応援をかねた八重山病院研修を経 験していたからで、興味を持つ在宅医療もその 時の経験がきっかけです。看取りの患者さんを 家族が家に連れ帰ることが普通だったころに、 死亡診断書対応のつもりで始めましたが、在宅 での患者さんの笑顔に引かれて続けています。 摂食嚥下に関しては、お年寄りにとって食べる こと・栄養が経過に大きく関係することから、 また認知症ケアについても最近になって必要が あるので学び始めました。

人生60 年間を振り返るとまるで旅のようで す。私は訪ねた土地で宿の周囲や繁華街に生活 のにおいがするものを見つけるのが好きです。 思いがけない場所にとても興味深い出会いが多 くあります。いくつもの人生の転機で、行く先 は自分で選んで来たつもりでいましたが、その たびに出会いがあって導かれてきたことに気が つきました。振り返れば悔やまれることも多々 ありますが、諸先生方に指導していただき、同 僚・後輩たちにも助けてられてここまで進んで こられました。

還暦を迎えても、論語の「六十にして耳順 ひ」(人の言うことを逆らわないで聴けるよう に)という域に達することはできませんでした が、これからは受けるばかりではなく、次世代 に何がしかを伝えることで先輩方への恩返しに させていただきたいと思っています。

今回の執筆依頼が人生を振り返るよいチャン スになりました。これからの道がどうなるかわ かりませんが、医者として八重山に住み続ける つもりでいます。

最後になりましたが、諸先輩がたのご指導に 感謝するとともに、皆様のご多幸をお祈り申し 上げます。