嶺井第一病院 古謝 景春
沖縄県医師会の皆様方、新年明けましておめ でとうございます。辰年生まれの年男(昭和 15 年生)として、これまでを振り返りつつ雑感を書かせて頂きます。
私は辰年二回り目の昭和39 年に千葉大学医 学部を卒業し、インターンを経て昭和40 年に 千葉大学第一外科(大学院)に入局した。学生 の頃から当時黎明期であった心臓血管外科に興 味があり、この領域の実験的研究等が行われて いた母校の第一外科へ入局した。当時の大学附 属病院外科は第一・第二外科共に、一般・消化 器外科手術がメインであった。私も一般外科と 心臓血管外科の患者を受け持ち術前・術後管理 に励み、大学院の実験は早朝および夜間に行う という多忙な毎日を過ごした。同時入局の同級 生はいまでも毎年沖縄にきてゴルフを楽しむ永 遠の友人であり、また医局では私の人生の師と なる多くの先輩の先生方に接する機会に恵まれ た。この医局生活の体験は、その後の私の医の 原点となり、心の拠り所となっている。
ご承知のように、従来の大学の医局制度の非 能率性が批判され、平成16 年度から新医師研 修制度が発足したが、都市地区を除く地域の医 療過疎化を招き、早くも研修制度の更なる見直 しが迫られている。私は大学医局におけるチー ム医療の体験、先輩に対する礼節・後輩への思 いやりの習得、臨床医学における実験的研究の 重要性等、卒後教育の再認識が必要であると考 えている。大学院修了後は関連病院である国立 千葉病院へ出向し、外国留学をはさんで通算7 年間勤務したが、症例に恵まれ、一般外科は食 道切除・開心術はチアノーゼ性疾患まで術者と して体験させて頂いた。この臨床体験が、その 後の私の外科医として独り立ちする際の大きな 糧となった。
辰年三回り目の昭和51 年8 月、郷里の琉球大 学保健学部附属病院に赴任したが、着任早々か ら週1 例のペースで開心術を行った。医師にな って11 年目、36 才の若輩であり、多くの文献 を頼りにファロー氏四徴症を含む先天性心疾 患・連合弁膜症・冠動脈疾患・胸部大動脈瘤手 術等を行い、昼夜を問わず術後管理に専念した。 琉球大学医学部は昭和56 年に医学科一期生を 迎え、昭和59 年10 月から西原キャンパスの新 附属病院で診療を開始した。私は平成17 年に大 学を退官したが、在任29 年間の心臓大血管手 術症例数は4500 例余りであった。この中でと りわけ手術成績向上のために取り組んだテーマ は、「胸腹部大動脈瘤手術時の対麻痺予防 策」・「Budd-Chiari 症候群根治術手術術式の 確立」である。私は30 才の時カナダにリサーチ フェローとして留学し、動物実験の成果を臨床 に還元する楽しさを経験したが、上記の臨床テ ーマにおいても、琉球大学第二外科の若い医局 員諸君の多くの動物実験に基づく知見が大いに 貢献した。改めて心から感謝申し上げたい。な お、我々の「Budd-Chuari 症候群手術」は米 国の心臓血管外科テキストCardiac Surgery (Kouchoukas N.T.3rd Edition 2003、Churchhill、 Livingstone)に掲載されており、その根治性と 成績が評価されたものと考えている。
最後に若い外科医の皆様に「アイデアの99 % はベットサイドにある。そしてベンチ(研究) で形にした後、再びベットサイドへ持って行く。 そして初めて新しい治療が生まれる(スチーブ ン・アリスター)」という名言を送ります。