南部徳洲会病院 歯科口腔外科
(日本顎関節学会専門医)
神農 悦輝
はじめに
1956 年に東京医科歯科大学の上野正教授が、 「顎運動時の関節痛、関節雑音および顎運動異 常を主症状とし、顎関節部の腫脹、発赤、熱感 などの明確な急性炎症を欠く症候群」をわが国 で最初に「顎関節症」と命名しました。当時はま だ症例も少なく、一般的に理解されていない疾 患でした。最近では、う蝕、歯周病に次ぐ第三 の歯科疾患と言われる程増加して、学校健診に も導入されるまでになりました。そしてその後 の顎関節疾患に対する研究の進歩と、CT や MRI など各種の画像診断法や顎関節鏡などの 導入によって詳細に解明されてきました。簡単 に説明すると、顎関節症はあごの関節(顎関 節)の周りに何らかの異常が生じる病気です。 食べたり、話をした後にあごがだるい、疲れ る、あごを動かすと痛い、口が開けづらい、口 を開けると音がするといった症状があるもので す。しかし、このような症状がみられるのは、 顎関節症患者の特異的な症状とはいえず、さま ざまな疾患でもみられます。たとえば、親知ら ずの炎症が強くなると、痛みや開口障害が出現 します。また、顎をぶつけて骨折すると、折れ たところがこすれて(偽関節)が生じて口を開 け閉めする際に音がすることがあります。この ように顎関節症と類似の症状を示す口の病気は たくさんあります。そのため、最初に顎関節疾 患以外の疾患と鑑別をすることが大事です(除 外診断)。そして直接的な原因となる疾患がな ければ、顎関節症の治療をはじめます。
性、年齢別分布について
顎関節症は男性に比べると女性のほうが約3 倍多く、なかでも若い女性に多くみられます。 年代別では、20 代が最も多く、30 代を過ぎる と次第に減少します。そして女性に多い理由と して、一般に女性の靱帯が男性よりやわらかい こと、顎関節の適合がしっかりしていないこ と、さらに女性ホルモンの関与などがあげられ ていますが、確実なことはまだよくわかってい ません。
顎関節症の症状によって起こる4 つのタイプ
日本顎関節学会では、症状に基づいて顎関節 症を大きく4 つに分類しています。
T型 噛むための筋肉である咀嚼筋の障害
U型 関節包や靭帯の障害
V型 関節円板のズレによる障害
W型 顎関節の変形による障害(変形性関節症)
簡単に説明すると、T型は筋肉の機能障害で す。口を開けたり、閉じたりする筋肉(咀嚼 筋)に痛み等の不具合が生じて口が開けづらく なったものです。
U型は関節包・関節靭帯の障害によるもので す。耳の前のあたりが痛くて口が開けにくい場 合がこれに相当します。顎関節の中で滑膜炎が 起こっているものです。
V型は、関節円板が本来の位置から前方へず れてしまったものです。これには関節円板のず れかたの程度によって2 つの場合に分かれま す。口を閉じている時だけ関節円板がずれてい るものは、口を開けるときに本来の位置関係に もどるので口は開きますが、その時にカクンと 音がします(復位性関節円板前方転位)。この 場合、音がするだけで痛みはあまりありませ ん。そのため、放置されることもよくありま す。もうひとつは関節円板のずれがさらにひど くなり、口を開けようとしても関節円板がもと の状態に戻らなくなったものです(非復位性関 節円板前方転位)。この時、下顎の前の動きが 妨げられて、口を大きく開けることができなくなったものをクローズドロック(closed lock) と言い、顎関節症のなかで最も症状が強く、激 しい痛みと開口障害を伴います。
W型は、顎関節に強い負荷が繰り返し、あるい は長時間持続して加えられて、下顎の骨が変形し たものです。この状態になったものを変形性顎関 節症といいます。口を開け閉めする時に、ゴリゴ リ、ジャリジャリという音がすることが多いです。
顎関節症の原因について
当初、顎関節症の原因は咬み合わせの不具合 であると言われておりましたが、現在では、多 因性でなおかつ様々な病態を示す疾患であるこ とがわかってきました。近年、食生活や生活習 慣が変わり、あまり噛まないで食べることが多 くなったために関節、筋、関節周囲の機能が 低下してきたのが根本的な原因だと考えられて います。昔はよく噛んで食べていたようです。 20 歳ごろではすでに咬耗(歯の先がすり減る) がみられたのですが、最近では、30 歳を過ぎ ても摩耗していない咬頭(歯の尖った部分)が みられます。そればかりか、後にはえる親知ら ず(第三大臼歯)の萌出するスペースがなくな り、斜めにはえてきたり、骨の中に埋伏するこ とからもわかりますが、噛んで食べなくなった ことで顎まで小さくなりました。
次に顎関節症を引き起こす原因としてくいし ばりや歯ぎしりがあげられます。これらは本人 が自覚しないまま放置していることが多いで す。歯ぎしりは、隣で寝ている人に指摘されて 初めて気がつくことが多いようですが、実は、 音のする歯ぎしりは20 %に過ぎず、残り80 % は音のしない歯ぎしりです。こうしたくいしば りや歯ぎしりは、咀嚼筋の緊張を引き起こし、 関節に過度の負担をかけるため、顎関節症の大 きな原因となります。
さらに咬合、口腔顔面痛、補綴治療、睡眠、 心身医学、矯正歯科治療との関連も指摘されて います。
治療について
最初に口腔内に不良補綴物、早期接触、咬頭 干渉がないか等を診査した後、すべての患者に 図で示す生活指導を行います。初診時から正し い咀嚼習慣を身につけさせ、症状が消失した後 も再発しないように指導します。さらに頬ずえ の禁止、同じ姿勢を長く続けない、姿勢をよく するなどの姿勢指導を行います。それから、 個々の症型ごとに治療をおこないます。
急性症状があるときは、薬物療法(筋弛緩 薬、消炎鎮痛剤)で症状を緩和させますが、慢 性症状へ移行するとスプリント療法、顎運動訓 練(オーラルリハビリテーション)に移行しま す。スプリントはスポーツ選手が用いるマウス ピースとよく似たものです。スプリントを用いて噛みあわせを少し上げて、顎や筋肉にかかる 負荷をやわらげたり、顎の位置のアンバランス さを改善する効果があります。顎運動訓練は、 あごのリハビリテーションで関節や筋肉を強化 して顎関節症にならない関節にする治療法で す。スプリント療法がなおるまで待とうという 治療に対し、顎運動訓練は積極的になおそうと いう治療です。これにより、疼痛の軽減、機能 の回復が得られます。さらに顎関節症のなかで も強い痛みや重度の機能障害を呈するクローズ ドロック症例では、顎関節にキシロカインや滑 液の主成分であるヒアルロン酸を注入して関節 円板の引っかかりを除去(パンピング・マニピ ュレーション)します。また、痛みの強い症例 では、疼痛の緩和目的に顎関節腔内洗浄、さら に関節内の円板の癒着が原因で口が開かない場 合では、全身麻酔下で顎関節鏡を用いて癒着の 剥離(顎関節鏡視下剥離授動術)を行います。 当科では、重症例に対して早期に症状を改善さ せるために顎関節鏡視下剥離授動術を積極的に 行っておりますが、狭い顎関節腔への関節鏡の 挿入は、一般的には困難であり高度な専門性と 熟練を要します。
治療期間について
最近、「顎関節症は疾患自体が自ら潜在的に 症状を消失させ、治癒していくことができる自 己限定的(self-limiting)な疾患である」という考え方が米国を中心に紹介されました。自然 経過の調査報告でも、2.5 年後では、88 %がな にもしないでも改善するという報告がありま す。すなわち、放置しておいても9 割は良くな るというのです。しかし、症状を訴えて来院す る患者になにもしないわけにはいきません。顎 関節症の治療は、患者の苦悩期間を短くしてあ げることに意義があると考えています。
また、強い関節疼痛と開口制限により著しい 機能障害を生じるクローズドロック症例につい ての当科の治療期間を図に示します。当科では、 6 か月以内に約9 割が症状の改善を認め、日常 生活に支障をきたさない程度まで症状が回復し ています。また、6 か月以上の治療期間を要し た症例においても継続治療を行うことにより、 症状が緩和していることがわかりました。すな わち、最長でも17 か月では全例治癒しており、 2.5 年を越えることはありませんでした。
最後に
顎関節症は、治療をすれば早期に症状の改善 が見込まれる疾患です。症状が改善した後、再 発を防止するためには、かみ合わせを安定させ て両側の奥歯でしっかり30 回噛んで食べるこ とが大事です。そのためには、日頃からきちん と歯ブラシをして口腔内をいつも清潔しておく ことや、定期的に歯科検診をしてむし歯や歯周 病などは早めになおしておくことが必要です。 このことは顎関節症の予防だけではなく、体の 健康を維持するために非常に大切です。
参考文献
1)日本顎関節学会編:顎関節症,永末書店,第1 版,2003
2)古谷野 潔他:TMD YEAR BOOK 2011:クインテッセンス出版株式会社,第1 版,2011
3)Kurita.K.,Westesson.P.L,et al: Natural course of
untreated symptomatic temporomadibular joint disc
displacement without reduction.J Dent Res 77:361-
365,1998