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喜屋武朝章先生を偲ぶ

喜屋武朝章先生

故 喜屋武朝章先生

喜屋武朝章先生が去る8 月25 日に逝去され た。長年の親友を失い悲しみに耐えない。先生 を偲び在りし日の面影を書いてみたい。

[先生の略歴] 大正12 年(1923)誕生、お 父上は首里の由緒ある士族の出身、県立二中を 卒業、旧制水戸高校を経て、九大学医学部に進 学、昭和23 年9 月卒業、九大医学部第三内科 に入局、同大学で研鑚を積まれ、昭和26 年同 内科桝屋富一助教授が九大から鹿児島大学医学 部第一内科教授に就任されたとき、喜屋武先生 は桝屋先生とともに鹿児島大学医学部講師とし て赴任された。鹿児島大学では診療、研究、教 育に多忙を極められたとのことである。昭和28 年1 月桝屋教授ご夫婦の媒酌で大城延子さんと 結婚、円満な家庭を築かれ、二人の男児に恵ま れた。昭和32 年鹿児島大学を退任され帰郷、 34 歳の若さで沖縄赤十字病院院長に就任され た。赤十字病院では診療内容の充実向上、諸設 備の整備、職員特に看護婦の教育養成に力を尽 くされるなど、数々の功績を上げられ、一年余 の赤十字病院勤務を辞して、昭和33 年6 月那 覇若狭大通りに三階建29 床の喜屋武内科を開 設された。名医で評判の高い先生は多忙を極め られた。金武、本部半島まで往診され、朝の開 院に間に合わせるため午前3 時に病院を出発さ れたという。患者さん方に対する温かい行き届 いたご配慮にはただ頭が下がるばかりである。 先生に対する患者さんの信頼が絶大であるのも 宜なるかなである。

[医師会活動] 先生は多くの役職につかれ立 派な業績をあげられた。消化器内視鏡会、内科 医会、循環器科医会、プライマリ・ケア研究会 等の設立、内科医会会報の発行に主導的役割を 果たされた。沖縄内科医会長を十数年間歴任さ れ、日本集団検診学会沖縄大会会長も勤められ た。本県に医療保険が導入された時は県医師会 の担当理事として、その受け入れ体制作りに尽 力され、社保の審査委員長を長年勤められた。

平成9 年に沖縄医学会長になられたが、残念 ながらご病気で一年間で退任された。

[表彰] 先生は数々の表彰を受けられた。そ のうち特記すべきものをあげると叙勲、勲五等 瑞宝賞、日本医師会最高優功賞、沖縄県医師会 功労賞、那覇市政功労者表彰等である。

[海外旅行] 昭和52 年銀婚式を記念してご夫 婦でアメリカ、ハワイへ旅行された。ヨーロッ パの四大都市、ロンドン、ローマ、ジュネーブ、 パリの旅にはご兄弟ご親戚の方々もご一緒に参 加されたとのことである。先生は奥様とお二人 で自分史“二人三脚の歩み”を書いておられ る、まことに楽しい素晴らしい自分史である。

[沖縄寮歌祭−大学の歌祭り] 旧制高校の卒 業生が中心になって、各国立大学、私立大学 の卒業生や家族も含めて、毎年2 月に寮歌祭を 開催しているが、他府県からの参加も多く盛大 である。先生は毎年積極的に参加され水戸高 校同窓生の先頭に立って大いに高唱謳歌して おられた。

[先生との思い出] 喜屋武先生、稲福全三先 生と私の三人は日本内科学会総会に揃って参 加した。これは20 年位続いたが楽しい思い出 が沢山ある。那覇市医師会報2010 夏季号に掲 載させて頂いた京都吉兆の一夕の宴は格別で 忘れられない。

[スポーツ] 先生はゴルフを愛好され、一水 会や医師会のゴルフ大会にはいつも奥様とお二 人で仲良く参加された。私はゴルフをやらない のでゴルフの楽しさ、醍醐味は知らないが、先 生の腕前は相当なものだと伺っている。

誠実、温厚、寛容なお人柄でマフラーを巻い た上品な白髪の温顔、英姿が今でも目に浮か ぶ。お二人のご令息も医師として立派な活動を しておられる。喜屋武先生、どうぞ安らかにお 休みください。

古波倉医院 古波倉 正照